❇️ 子ども達を寝かし付けた後で…
主人とこの日限定の、身体に優しいスナック(笑)へ繰り出しました👟
ご訪問いただき、ありがとうございます。
のんたん(kotoha)と申します。
この所。
漸く、といっていいのかもしれません。
主人と自然体で、力を抜いて、自分が出せる様に
なってきました。
私は、多言語を活動としてやっていた事が…
そもそもが、『人間としての言語』をやりたかっただけ
だったこと…
団体としては、「話せるようになる」と
唱っていたのですが。
それは、創設した榊原 陽氏がそもそも父親であ
り、自分の子どもの為に世界で対等なコミュニケー
ションを取れる様な、人間になって欲しいとの、
純粋に子を想う『願い』👐だけが
あったんだと、そう思うのです。
それが、発展して。
この活動自体が地理的な背景も含めて、
敗戦後の目の前の「日本人」の為にと考えられ、
試行錯誤の実践として、子育てしている親の子ども
の観察を主として、その発見がある『家庭」から捉
えようと、見つけてきたモノだったのを強く、感じ
ます😌🙏
英語1つとっても、なかなか日本人は口にする機会
も日本だけの環境で必要性が乏しいですよね。
島国の、ほぼ同じ人種の国民性は、陸続きの他国か
らすれば自分を主張する為の、言葉をあまり使わな
いshyな☺️印象も持って当然、かもしれません。
先日、英会話のお仕事をしている黒人の女性と話す
機会を思いがけず得てみて、彼女はそう言っていま
した😊
カナダ🇨🇦のトロント出身で、公用語が2か国語で
す。英語と、フランス語。
私はそれでも、団体の活動をやめてから言語の音に
触れる機会を『封印』してきていたのに、この子と
フランス語でコミュニケーションしたいなぁ~とい
う気持ちがむくむく湧いて、英語で伝えていまし
た。でも…結局、緊張と口も耳も私の思考の突然さ
についていけず(笑)、でしたが🤭☆
でも、私的には🙆をあげられたんですよね
それは本当に、チャレンジ出来た自分の姿勢へ👏
それだけのことなんです。
でも、それが🌏️で人間同士が1つになる、大切な
姿勢なのではないかな…🙏
そんな風に感じています。
私自身が、その事を漸く、俯瞰して
主人に伝えられそうな心境になりました💕😌
主人が、私の気持ちに応えられていなかった自分を
自分で認められない🙈…と恐怖と不安がかなり、大
きかったのか、というのが当時の彼を支配していた
姿だった事も少しずつ、理解が進みました👐
お互いに、相手を見て
先の時間は繋いでいきたい。そう、思っています😌
ここまで、お読み頂きありがとうございました🌿