おはようございます照れ

 

Rukaです。

 

 

突然ですが、今日から妊娠してからの記録を、

ここに書き綴っていきたいと思います。

 

 

現在に至った経緯としましては。

 

 

今月の生理予定日が11日だったのですが、

1週間経っても生理が来ず、

検査薬を使ってみたところ、結果はなんと陽性びっくり

 

前に通っていた産婦人科がネットから予約できずあせる

翌日に電話し急遽受診しました。

 

「まだエコーでも見えないかもねー」

なんて言われつつ。

 

無事胎嚢確認ニコニコ

 

おまけに、子宮内膜症?チョコレート嚢腫??

かもしれないものも発見されましたガーンw

 

これは、前にも同じ病院で一度治療していたもの。

 

レルミナで生理を止めて治療していたんですが、

同じ頃に肛門科にも受診していて。

 

何故か肛門にもう一つ通路があると言われ笑い泣き

それじゃないかということになり、

婦人科での治療は終了となっていたのに。

 

「なんで治療止めちゃったんだろうねぇ」

 

と先生真顔

 

治療止めたの、先生ですからー爆笑www

 

 

「まぁでも前に進むしかないね」

となり、私の妊婦生活がドタバタとスタートを切ったのでした。

 

今は6週目になっていて、予定日は来年2月19日。

 

想えば、今年の3月くらいから妊活を始めていました。

 

最初に生理が来てしまったときには結構ショックでした。

 

出血しているのが「流れてしまったんだな。。。」と、

哀しみを強く感じたのを鮮明に覚えています。

 

 

そもそも、妊活を始めようと思ったのは、

早く産休に入りたいからという不純な動機でしたオエー

 

今の職場に入職したのは2年半前で、

当時は相談員として働いていたのですが、

今年2月に管理職として主任が異動してきて、

その人と初っ端から揉めましてw

 

もう無理!となり、異動させてもらった先の主任ともまた合わずw

 

それだけならまだ良かったのかもしれませんが、

業務がこなしきれなくなっていたのに、

更に業務変更となったり、追加されたりして、

見事キャパオーバー。

 

先週から仕事を休んでいます汗うさぎ

 

 

前にも病院で働いていた時に適応障害になり、

抑うつ状態と診断され休職していました。

 

そのときと状況も似ていたので、再発なのかもしれません。

 

でも、今はACTという認知行動療法のおかげで、

前みたいなしんどい思いはせずに済んでいます照れ

 

 

今日本当は仕事に行こうと思っていたのですが、

見事に眠れなくてw

 

なので、申し訳ないですが今日も休むことにしようかと思っています。

 

 

そして、今の職場は退職することにしました。

まだ上司には伝えていないですがw

 

貯金がとりあえず目標達成して、

半年仕事しなくても生きていけるくらいにはなったので、

出来る仕事をぼちぼちしながら、

出産に備えたいなと思っています。

 

そんな事を決意できたのも、

ACTのおかげです。

 

ACTは、DaiGoさんが運営するDラボで学びました。

 

うつや統合失調症の患者さんにも効果的な治療法です。

 

それを実践したおかげで、

ものの見事に、感情に振り回されることがなくなりました。

 

前に休職していた時も認知行動療法がいいよ、と

友だちが教えてくれて、本を買ったりしていたのですが、

中々うまく実践できていませんでした。

 

ACTという治療法がある、というのは1~2年前に参加したセミナーで

聞いたことはありました。

 

今回、仕事を休んでしまった状況で

解決策はないかなぁとDラボを見ていた時に、

目に留まったのがACTでした。

 

簡潔に言うと、

 

感情や思考を客観的に捉えて、

それが身体のどこから出ているものなのかをスキャンして、

呼吸をして息を吹き込んで、

そこに置いておく、

 

という流れです。

 

そうすることで、感情や思考を切り離すことが出来て、

苛まれることがなくなり、

淡々と目の前のことに集中できるようになるのです。

 

前々から集中力がなくて、考え事して思い付いた違うことに手を付けて……

ということが続き困っていたのですが、

その原因が分かり、

自分がどんなに思考や感情に振り回されていたのかが

今、身に沁みて分かります。

 

何があっても、‟単なる物語だ”としか思わなくなるので、

淡々としていられますw

 

元々私は感情的な部分が多々あったので、

これくらいがちょうどいいと思ってますw

 

 

もしACTについて詳しく知りたい方は、下記が参考文献ですニコニコ

 

『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない: マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』

/ラス・ハリス

 

 

『相手は変えられない ならば自分が変わればいい: マインドフルネスと心理療法ACTでひらく人間関係』

/ラス・ハリス

 

 

『自信がなくても行動すれば自信はあとからついてくる ――マインドフルネスと心理療法ACTで人生が変わる』

/ラス・ハリス

 

 

 

本は苦手だな……という方は、Dラボが無料期間が20日間あるので、

 

そちらで学んでみるのもオススメです*

 

他にも役立つ動画がたくさんあるので、DaiGoさんが嫌いじゃなければぜひw

 

 

妊娠の話から最後はなぜかDラボの宣伝みたいになってしまいましたが爆笑

 

こんな形でつらつらと書いていきますので、

良かったらまたのぞいてみてくださいうさぎのぬいぐるみ

こんばんはこんばんわ

 

流夏です!

 

突然ですが!

あなたは、
自分の人生を自分らしく生きることが
出来てますか?
 

「自分らしさって何?」
とか

「自分らしく生きるにはどうしたらいいの?」
 

そんな風に思っていませんか?

今日は、

私なりに考えた、
自分らしく生きるための、

3つの方法

お伝えしていきます。


***************************


その1.インナーチャイルドに聴いてみよう
【心の声に耳を傾けるのだ】

実は、自分の中に、
誰しもがインナーチャイルド(本来の自分)を
抱えています。

インナーチャイルドとは、
自分の本心であり、
自分の心の声でもあります。

例えば、
決断を迫られたときに、
どっちにするかを
心の声に聴いて決めるのです。

ちなみに私は、
インナーチャイルドを
“こはるちゃん”と名付けて、

その子に問いを投げかけて、
いつも相談しながら生活しています。

こはるちゃん、かわいいんですよ~


Love&Peaceがモットーなんですから!

そんな風に、
私はこはるちゃんと生きています💛

自分の内なる声を聴くことで、
心の底から感情を感じることができ、
自分と仲良くなれますよ(*'ω'*)


2.自分の人生を生きよう
 

インナーチャイルドの声に耳を傾けると、

何が起こるかっていうと、
自分の人生を生きることが出来るように

なるのです。

例えば、
毎日は
決断に迫られたり、
判断に迷ったり、
ということの連続です。

それを他人に委ねてしまうと、
自分で決めたことではないので、

他人が決めた人生になってしまうのです!


行動するのは自分なんだから、
自分の感覚に目を向けて、
その感覚を十分に感じ
どう感じているのかを考え、
自分に問うてみて、
それらを総合的に判断して、
決断をし、行動していく

そうしていく内に、
自分で決断することができるので、

他人が決めた人生ではなく、

人生を歩んでいくことが
できるようになるのです🎵


3.自分の中に軸を持つ
【ものさしで測ろう!】


自分で決断が出来ないと、
周りに振り回され、
疲れ切ってしまいますよね。

自分軸を持つとは、
自分の中にものさしを持つということ。

何でも自分のものさしで測って、

どう想うかを感じて、
判断する。
そして、
その判断を軸に行動していくのです。

そうすると、
他人の意見に振り回されることはなくなっていき、
凛とした自分が出来上がるのです!

自分軸を持つと、
決断も早くなり、
自分の人生をコントロールすることが可能なんですね🎵

****************************

この3つの方法を実践していくと、
自分が求めていた、
望む未来に近づくことが出来、
毎日が充実している人生を
歩むことが出来ます。

自分探しの旅はもうやめて、
自分の人生を生きていきませんか?

自分らしく生きて、
充実した毎日を

一緒に送っていきましょう( *´艸`)

おはようございます^^

流夏です。



今回は、

婚約して今現在の地に降り立った

その後について書いていきたいと思います。


*****************


私が今の土地に引っ越してきたのは、

寒さ厳しい2月のことでした。



相方は仕事があったので、

仕事を休んでいて動けた私が、

物件を探して決めたり、

1か月先に引っ越しをして、

生活用品をそろえたりしていました。

3月下旬には相方も引っ越してきました。



それまで大学時代から約15年、

ずーっと独り暮らししてきた私にとって、

人と暮らせること、

しかも、

大好きな人と暮らせることは、

この上なく幸せでした。


私、こんなに幸せでいいのかな。。。


そんな風に思うほど、

幸せでした(もちろんケンカもしましたが笑)。



そうして、数か月幸せな期間を経て、

GWにもなるし、

そろそろ仕事も始めようかと考えました。


看護師に戻ろうかと

仲介サイトにも何社か登録したんですが、

まだ復帰の段階で、

少ない日数からしか始められなかったり、

障害認定も受けていたので、

登録の段階で厳しいことを言われ、

一生懸命探してくれる方もいらっしゃいましたが、

看護師復帰は厳しい状況でした。



そして、

直接雇用だと障害があると偏見などに遭ってもいやなので、

自分のことを全部話さなくてもよくて、

給料がいい一般の派遣の仕事に登録してみました。



登録した派遣会社の担当の方は、

メンタルマネジメント検定の管理者ラインを受けていた方で、

私の今までの話をすると、

とても理解を示してくださり、

ぜひ担当させてください!とまで言ってくれました。



登録会のときに色々話をして、

条件を週3日からできて簡単な仕事、

ということにしたら、

その場ですぐ紹介できる仕事があると言われました。

そんなにすぐに見つかるのかとびっくりしました。

 

 

しかも、

そこまで親身になってくださるなんて、

中々できる出会いではありません。

その日は登録説明会だったので、

後日改めて話をすることになりました。

後日、

お話をした中でもスムーズに話が進み、

職場に挨拶に行くことになりました。

そこは大手の会社に商品を卸している大きな倉庫会社でした。

挨拶に行くと、

2番目に偉い人(笑)が対応してくださり、

エントリーシートを見るなり

えっ!看護師さんなの!

じゃーなんかあっても安心だね!と、

気さくに声をかけてくださいました。


簡単に仕事の内容を聞いたところ、

ピッキングのお仕事で、

表を見てそこにある商品をピックアップし、

それを決められている場所に出す、

というお仕事でした。


宝探しみたいで楽しそうですね!と、

大きな倉庫で説明を受ける中で言ったのでした。


そうして、その倉庫で、

お仕事を始めることになりました。



ピッキングの仕事は初めてだったので、

見よう見真似で仕事を覚えました。

私は方向音痴なところがあるので(笑)、

場所を覚えるのが大変でしたが、

それもすぐに慣れました。

最初はミスもありましたが、

徐々になくなっていきました。



朝になって仕事行きたくない病にかかることもありましたが、

突発的に休むということも可能でした(もちろん事前連絡が必要)。

職場にはたくさんの従業員がいました。

直接雇用の方たちはもちろん、

他の派遣会社も何社か入っていました。

私は、

11時から16時までの勤務で、

同じ時間帯に勤務している方たちも良くしてくださいました。



土日祝という条件で働いていたので、

祝日のない週は2日しか勤務がなく、

収入も少なかったので、

在宅でできる仕事を探していました。

ネットで探していたんですが、

怪しい案件もたくさんありました。

そして私は見事にそれに引っ掛かりました笑。

Twitterで出会った方で、

アフィリエイトで稼げたからそれを教えてあげると言われ、

コンサル料として24万払い、

怪しいアフィリエイトを始めたこともありました

(もちろん稼げませんでした笑)。

 

「動画配信で月200万目指しましょう!」と言われ、

100万を超える額を払って動画配信を始めたこともありました笑。


転売も、

後戻りできるからと言われて始めたけど、

挫けてしまったこともありました笑。


怪しい投資案件にも手を出しました笑。

そんなこんなで、

出会った副業を始めては辞め、

を繰り返していました。





秋ぐらいには、

クレジットカードでしていた決済の支払いが追い付かなくなっていました。

確実に怪しい案件も何件かあり、

どうしようかと困った結果、

消費者センターに相談することにしました。



そこの対応はなんとも悲しいものでした。



泣いて電話して、「すぐ来れますか?」と聞かれたので行ったら、

「なんで来たんですか?」



え?おいでって言ったの、あなたですよね。。。?



色々事情を聞かれて、

挙句の果てには自己破産しろと言われる始末。

10月に入ったばかりのおばちゃんに、

相談した私がバカでしたかね?笑笑



ネットに書いてあることは全部嘘だという

そのおばちゃん。

私はあなたのことが信じられません笑笑笑。



そんな困ったおばちゃんに、

困り果てたクレジットカード会社の方が、

提案してくれました。


「ある一つの決済代行会社の決済が多いので、

その会社だけに絞って対応してもらいましょう」



もはや、

何をどこで決済したのかわからない状態になっていました(私の管理能力の低さよ笑笑)。



そこを救ってくれたのが、

とあるクレジットカード会社の方でした。



そうして、

消費者センターのおばちゃんには、

ある1つの決済会社への返金を求めてもらうことになりました。



そうしたことで、

いくらか返金されました。

払った額に対しては、

満足いく額には到底及びませんでした。



そんなこんなで多額の借金を抱えた私。



それでも生きていかなければなりません。



派遣会社の仕事は、

泣かせられたりなど事件がありつつ、

淡々とこなしていました。



そうしたある日。



1年経とうとしているとき、

派遣の契約解除を言い渡されました。



働ける日数が少ないから、という理由でした。



仕事はずーっと歩きっぱなしなので、

中々きついし、

日数を増やしてまで

そこに残りたいという強い気持ちもありませんでした。



なのでまた、

転職活動を始めることになりました。



次こそは看護師に戻れるんじゃないかと思い、

去年登録していた仲介会社に再度連絡をしました。



前に看護師の仕事を探しているときに

一生懸命になって下さった方がいた会社に連絡しました。

 

違うルートからだったので、

また新たに違う担当の方が付いてくださいました。

 

そこで、私が住んでいる地域で、

ちょうど外来の募集をしている病院があったので、

面接に行ってみることにしました。



看護部長と仲介会社の方と3人でお話をし、

外来は救急対応があるので、

夜勤ができる人を優先にとっている、

ということでした

(ちなみに私は精神科の主治医から

生活リズムは崩さないよう言われていました)。

私は今までの経緯や障害認定を受けていることなど、

話せることは隠すことなく話しました。

面接後、

間もなくして仲介会社の担当の方から連絡がありました。


「部長から提案があった。

外来ではなくて、

退院支援の相談業務はできないか


そういった内容でした。


私は、

保健師の免許も持っていたので、

そんなお声がかかったのです。



私は一つ返事で

やります!ぜひやってみたいです!!

とお返事していました。



そうして、私の派遣切りと看護師復帰の春が訪れました。



それが、2020年2月の話。



そこからまた、試行錯誤の毎日が始まりました。。。

こんにちは!

流夏です^^



今日は、

掛け持ちしまくっていた働き者時代について

書いていこうと思います。


**************


リハビリ施設看護師との掛け持ちは、

最初はパン屋さんから始まりました。

リハビリ施設を辞めてからは、
どう考えても収入が足りませんでした。


そこで私は、また掛け持ちをしようと考えました。


パン屋で日中働いた後、

夕方からスーパーのレジ、

夜はホテルの清掃業というように、

どんどん仕事を増やしていきました。



そこに新たに2つの仕事。



それは、MLMと化粧品販売の仕事でした。



MLMは、いわゆるマルチというやつです。

日本では良い印象がないやつですね笑。

人と会う約束をして、

一緒にビジネスしないかと持ち掛ける。



そんなことも合間にやっていました。



化粧品販売の方は、

ホテルの清掃業をやっていたときに

誘われたものでした。

それも、

間の空いてる時間をほとんど割き、

サロンワークに時間を費やしていました。



そんな毎日を送っていた時、

体調が優れず、

仕事に行くことが難しくなってしまいました。



過労だね。

働きすぎだよ。
何日休み欲しい?」




そのときは行きつけの内科のクリニックに行きました。

先生はとても優しく接してくれました。



「とりあえず3日でいいです。」



とりあえず、

全部の仕事を3日休むことになりました。



「今かかっている精神科にも行った方がいいよ。」



そう言われ、行ったところ。。。



「そうか。3か月休もうか」



そう言われてしまいました。



全部の仕事をいったん休むことにしました。



11月だったので、

年が明けるまでゆっくり過ごしました。



その間に付き合っていた人がいたので、

その人の家で主に過ごしていました。

 

そうして、

結婚しようということになり、

一緒に住むことを決めました。



ですが。



両親に結婚を反対されてしまったのです。



理由は、薬を飲んでいるから

そんな状態で嫁に出す訳にはいかない、

というのが親の言い分でした。



ですが、一緒に住むのは了承してくれました。



なので、今住んでいる土地への引っ越しが決まりました。



去年の2月でした。



そこからまた、新しい生活が始まっていきました。

こんばんは!

 

流夏です^^

 

今日は、

看護師復帰第1弾について

書いていきたいと思います!

 

 

**************

 

 

あるお祭りの夜にスカウト(ナンパ?笑)された私。

 

施設の経営者の方は、お寺の住職さんでした。

 

なぜ施設に誘われたかというと、

新規の施設のオープンを控えているからでした。

 

 

まずは、その今経営している

リハビリ施設に配属になり、

仕事を覚え、なんとか頑張っていました。

 

そこには、

元から働いていた看護師さんが二人いて、

その方たちも優しい方たちでした。

 

私はパートでしたが、
正職員の看護師さんは、

遅くまで残業もしているようでした。

 

そのうち私も手伝えるようになりたいな、

なんて思っていました。

 

そこの管理者の方もとても良い方で、

病気にも理解があって、

とても優しくしてもらっていました。

 

ですが、

その正職員だった看護師さんが、

病休で休むことになりました。

 

 

そして。

 

 

事件が起きました。

 

 

 

私が働き出して数ヶ月したある日。

 

「ちょっと今日夕方みんな集まってー。」

 

新しくオープンする方の施設の管理者から言われました。

 

なんだろ?会議かな??

 

そんな風に軽く考えていました。

 

 

夕方。

 

 

社長(寺の住職)がやってきました。

 

「え、何の話するんだろ」

 

そうすると、

病休していた看護師さんもやってきて、

スーツを着た知らない男の人と、

女性も一人やってきました。

 

 

 

「。。。。???」

 

 

 

さっぱりわかりませんでした。

 

職員全員で大きな四角を作って、

話が始まりました。

 

 

「ここの管理者と、

(休職中の看護師)さんを

懲戒免職にします。」

 

 

私のこころの中

「。。。。。。。は?????」


 

そうすると、施設の規約みたいなものを読み上げ始めました。

 

 

「すいません、

なぜ解雇になるんですか?」

 

 

もう一人のパートの看護師さんが

聞いてくれました。

 

 

「原因は、二人の不倫です。」

 

 

 

「。。。。。。。。ふぁ?!?!」

 

 

意味が分かりませんでした。

 

 

どうやら、

二人の行為を目撃した職員(私と同時期に入った)が居たそうで

(確かに私の同期はずっと休んでいた)、

職場の風紀を乱したという理由で、

二人を解雇することにしたそうな。

 

 

訳がわかりませんでした。

 

 

もう一人来ていたスーツの男性は、

解雇を言い渡された看護師さんの夫

女性の方は管理者の奥さんでした。

 

しかもどうやら看護師さんは妊娠していて、

堕胎したということ。

 

 

看護師さんの夫はもちろん怒り心頭。

 

 

切々と管理者を責めていました。

 

 

私は、涙が流れていました

 

 

信じていた管理者が、そんな人だったなんて。。。。

 

 

裏切られたショックと悲しみでいっぱいでした。

 

 

とりあえず、

当事者たちには帰ってもらうことになり、

あとは職員で話し始めましたが、

もう私はそれどころじゃありませんでした。

 

 

「せっかく心を許していた管理者だったのに、

私これから大丈夫かなぁ。。。」

 

 

そんな不安しかありませんでした

 

 

そうして波乱の二人退職後、

新規施設のオープンのために事が動き始めました。

 

 

1人の介護士さん(すぐに辞めていった)と

管理者(新しい施設の管理者になるはずだったが、

元の管理者が解雇になったので管理者になった)と

一緒に準備を進めていました。

そうこうしている内に、

新しい施設の管理者と、

介護士さんが採用され、

一緒に働くことになりました。

 

 

新しく採用された二人は

元々同じ職場で働いて仲間だったとのこと。

その二人と一緒に、

ついにオープンを迎えました。

 

 

最初は、和気あいあいとやっていました。

 

 

でも、その収入では全然足りていませんでした。

時給は1000円。看護師にしては破格でした。

なので、思い切ってダブルワークをすることにしたのです。

 

勤めたのは、パン屋でした。

 

私はレジ担当で、接客や閉店後の片付けなどが業務内容でした。

 

パン屋の仕事は大変でした。

お店の準備をしたり、

中の仕事を任された時期もありました。

 

 

でも、それも長くは続かず、

いつの間にか新しい施設の人たちとの関係も

うまくいかなくなっていました。

 

 

最後には圧迫面談をされました。

 

管理者二人で私を責めるような構図でした。

 

 

実際には、

新しい施設の管理者から

色々責められたのでしたが。

 

泣きながら話をして、

結局私は施設看護師を辞めることになりました。

 

 

あのとき最初の管理者が辞めてなかったら、

私は続けられていた気がします。

 

 

心の支えは、大事ですね。

 

 

そうしてまたフリーター生活に戻った私。

 

半年くらいパン屋で頑張り、

その後またダブルワークをするようになりましたが、

最終的に5つの仕事を掛け持つことになりました。

 

 

それはまた次回に。。。

こんばんは!

 

流夏です^^

 

今日は、看護師を辞めて、

それからについて書いていこうと思います!

 

 

*****************

 

 

看護部との話し合いの末、

私は看護職から離れることを決意しました。

 

看護師の仕事が嫌いだったわけではありません。

 

むしろ、好きでした。

やりたいこともありました。

 

でも、病棟で働くことは、避けたかった。

再発するのが目に見えていたからです。

 

 

看護師の働き方は、多種多様です。

 

 

ですが、一回、

看護職から離れてみたかったのです。

 

 

なので、ネットでカフェで検索して、

求人を探しまくりました。

そんな中見つかったのが、

野菜の直売所とランチやカフェを

やっているお店でした。

 

 

農家さんが経営しているお店で、

なんだか勝手に縁があるなと思って応募して、

面接で一発OKもらえました。

 

 

久しぶりのお仕事だったので、

まずは朝8時から15時までの勤務でした。

 

 

そこのお店は、

手作りのパンも販売していて、

パンのライセンスを持っていた私は、

そのパン作りの担当になりました。

 

 

パン担当の方が一人いたので、

その方から教わりながら、

なんとかやっていました。

 

ですが、1年半働いていなかったのと、

パン作りは意外と体力がいるので、

全然身体が付いてこず、

背中や腰の痛みに

悩まされるようになりました。

 

それを上の方に伝えて、

パン作りからは外れることになりました。

 

そして、ホールの仕事をするようになりました。

 

ホールの仕事は、自分にもできました。

店長が怒鳴ったりと色々事件はありましたが、

なんだかんだ楽しく仕事をしていました。

 

 

***************

 

 

そんな時、

働いて半年くらい

経とうとしていた頃でした。

 

病棟で一緒に働いていた

後輩の子に誘われて、

街のお祭りに行きました。

 

 

露店がたくさんあって

お客さんもたくさんいました。

買ったものを食べるのに、

フリースペースみたいなところで

休もうと思いましたが、

結構混んでいました。

 

そこで、近くにいたおじさまに

後輩が相席をお願いし、

なんとか座ることができました。

 

後輩は社交的な子だったので、

その席に座らせてくれた人と

話したりしていました。

 

 

話していくと、

どうやらリハビリ施設を

経営しているとのことでした。

 

 

そして、私が看護師だったことを話すと、

「そうなの?うち来ないかい?」

と誘われました。

 

えっ!

 

介護にはちょっと興味あったし、

やってみたい!

 

 

そう思い、あっさり看護師に復帰することが

決まりました。

 

 

リハビリ施設の看護師。

 

でもでも、そこでもまた、

波乱が待ち受けていたのです。。。

こんばんは!

流夏です^^

今日は、1年半の休職の結末を

振り返ってみたいと思います!


**************


抑うつ状態と診断されたとき、

重要なことの決定権を奪われていました。

というのも、

そんなメンタルで大事なことを自分で決めると、
基本的にマイナス思考になっているので、
マイナスな決断しかできないからです。

そのため、

仕事を辞めたい、と思っていても、

辞められない状況が続いていました。



3か月毎に看護部へ

診断書を提出しに行っていたのですが、

それがまた苦痛でした。



怖くて病棟に行けなくなったあの日から、

勤務先の病院の敷地内に入ることや、

近くに行くことすら、恐怖でした。


休職から1年半が経過した頃には、

社会復帰にもだいぶ前向きに

考えられるようになっていました。

休職したのが10月からだったので、

更新がちょうど3月でした。

一旦配属を病棟から看護部にしていたのですが、

復帰の話をしたときに、こんなことを言われました。


「病棟勤務をしてほしい」



。。。は?と思いました。


病棟で勤務していてうつまでなったのに、

なんでまた同じ環境に戻らなきゃいけないの?



そんな気持ちでした。



そして、それを伝えても、

看護部はわかってくれませんでした。



もし戻るなら、

看護師さんたちのバックアップナースとして

働きたいとも言いました。

でも、そんな提案も受け入れてもらえませんでした。



「わかりました。それなら辞めます。」



こうして私は看護師を辞めることを決意しました。



そこから、私の社会復帰の戦いが始まりました。

おはようございます!

流夏です^^

 

今日も前回の続きを

つらつらと書いていこうと思います。

 

 

****************

 

 

1軒目のクリニックでストレス障害と診断され、

2軒目のクリニックで抑うつ状態(適応障害)と診断された私。

 

当時私は、幻聴がありました。

耳元などで、

ひたすら悪口を言われるのです。

 

それと、当時持っていたガラケーの情報が

抜かれているんではないかと思っていました。

職場から監視されていると思っていたんですね。

 

なので、携帯電話を壊してしまいたいとさえ思っていました。

 

そんな最中。

ある朝起きて、眠剤の副作用でやけに重だるい身体を立たせようと

よっこいしょと踏ん張ったところ。。。

 

 

「バキッ」

 

 

「。。。?????」

 

 

開きっぱなしで置いてあったガラケーを

ものの見事に踏んで、真っ二つに破壊したのです。

念願叶って(?)壊れてしまったために、

この被害妄想からは解放されました。

 

 

あとは不眠

目を瞑ると、思い出したくもない嫌な過去の記憶が

走馬灯のように襲ってきました。

それを思い出しては感情失禁する。

 

そんな毎日の繰り返しでした。

 

辛かったです。

 

消えて無くなりたかったです。

 

自分なんて居なくなってしまえばいいと思っていたからです。

 

私は昔、外罰的なところがあり、

家族に八つ当たりをしたりすることが多かった

のですが、社会人になったときに、

これじゃいかん、と思い、

内罰的になろうと思って、

意図的に自分を攻撃の対象にしていました。

 

そのおかげで、

何もかも自分が悪いと思うようになっていました。

それが積もり積もって、

強い自己否定へとつながり、うつになっていました。

幻聴は、

常に聴こえているわけではなく、

スイッチが入ると止まらなくなる、という状況でした。

 

 

例えば、人混み。

 

 

過去に私と関わっていた人たち、

つまり病棟の人たちが、

みんなでこっちを見て笑っている、

だとか、クリニックへの移動中などによくありました。

 

そのため私は、

幻聴をかき消そうと、

イヤホンをして音楽に没頭しました。

 

でもこれ、実は理に適っていたんだと思います。

音楽療法っていうセラピーもありますからね。

 

 

そんなこんなで、

その苦しいときは約1年半続きました。

 

3ヶ月毎に出る診断書を持って

看護部に行って面談をしては、

療養するという状況を繰り返して、

気付けばそんなに時が過ぎ去っていました。

 

必死でした。

 

とにかく、必死でした。

 

でも、この1年半の中で、得たものもありました。

 

それは、母との絆でした。

 

 

私は、父が大好きで、

お父さんっ子でした。

ケンカばかりしていましたが、

喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったもので、

仲良しでした。

母親は、弟と仲良しでした。

 

中学時代に母親とケンカをして、

泣かせてしまったことがあり、

そこから母親とは自然と距離を取っていた気がします。

 

なので、大学時代や就職してからも、

母親と連絡を取る、なんてことは、

そうそうありませんでした。

 

でも、仕事を休むことになったときに、

頼れるのは専業主婦だった母しかいませんでした。

 

そのとき母は、仕事もしていなかったので、

私の療養生活を全面的に支えてくれたのです。

 

療養は、主に実家でしていたのですが、

母親とよく話すようになっていました。

そこで、今まであったわだかまりや、行き違いに気付き、

関係を再構築することができたのです。

 

やはり、家族は大事ですよね。

 

母親も母親で、自分が産んだ娘がこんなになってしまって、

育て方を間違ったんじゃないかとか、

色々苦しんでいたみたいです。

 

だから、私は元気に生きていくことが、

何よりの親孝行だと思っています。

 

こうして、1年半の療養生活は、

過ぎ去っていきました。

 

そして。

休職届を出し続けていた私でしたが。

 

ついに、

職場復帰をするか、

退職するかの選択を迫られるのです。。。

こんばんは!

流夏です^^

今日は、前回の続き、

突然訪れたあの日からを振り返ってみたいと思います。


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当時私は、お世話になった先輩の、

送別会の幹事の仕事をしていました。

しかも、先輩と後輩の板挟み。
そのときは他にもたくさん仕事を抱えていました。
研究に研修発表、係のお仕事などなど。。。

忘れもしない送別会当日の朝。
私は日勤の予定でした。
その日は、ぎりぎりまで先輩に送る電報文を考えていました。

そして、朝5時。

「あれ、なんか今日、仕事行けない気がする」

そんな感覚に陥りました。
今までにない感覚で、

どうしようかと思いましたが、
とりあえず7時過ぎるのを待ち、

師長に連絡しました。

眠れずに朝まで起きていて、

仕事にならなさそうだと伝えました。

「そっか、わかった。

そしたら今日は休んで。

他の子に代わってもらうね」

そして、とりあえずその日は休みをもらいました。
でも、次の日もその次の日も、

一向に仕事に行ける気はしませんでした。

そして、勤めていた病院は、

診断書がないとお休みはもらえませんでした。

師長と話して、病院を受診しました。

女性医学科、救急。。。。

どこも診断書が書けるような疾患は

見つかりませんでした。

そして、心療内科行ってみる?

とのことになり、

師長に勧められた心療内科に行ってみましたが、

新患を受け付けていませんでした。

私は病院嫌いだったので、

大きな病院には行きたくなかったため、

ネットでなんとか心療内科があるクリニックを探し出し、

受診しました。

そこは、老年期の内科に加えて、

心療内科もやっているというクリニックでした。

「ストレス障害ですね」



は???



そんな疾患あるの???



その先生は、小さな紙切れに、

赤い文字で「ストレス障害」と書き込み、
それを私に渡しました。



聞いたことがない疾患だったため、

ネットでストレス障害について調べまくりました。

とにかく、ストレスが溜まっている、

そんな状態なんだなと思い、
ストレス解消に役立つことを

とにかくたくさんしまくりました。



アロマ、歌う、旅行、趣味に打ち込む。。。

2週間の診断書と、

サイレース(睡眠薬)、

パロキセチン(うつやパニック、ストレス障害に効果のある薬)、

ソラナックス(抗不安薬)、
そして、10分もかからず終わる診察。。。

それを繰り返しましたが、

2か月経っても一向に良くなりませんでした。


業を煮やした私は、

後輩で病んで辞めていった子が居たので、

その子に相談しました。

そこで、

女性専門の良いクリニックがあると教えてもらい、

そこに電話すると、予約が取れました。



先生はわりと高齢の女性の方でした。

1時間くらいかけて、

今までの経緯や家族関係など、

しっかりお話を聴いてくれました。

そして出た診断書。

そこには、抑うつ状態、と書かれていました。
3か月のお休みが必要というものでした。

 

適応障害でした。

皇室の雅子さまが患っていた疾患ですね。



そこから、私のうつとの闘いが始まりました。。。

こんばんは!

流夏です^^

 

今日は、

前回の続きを綴ってみようと思います。

 

 

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なんだかんだ流されるようにしてなった

大学病院の病棟看護師という仕事。

 

実際は、めちゃくちゃきつかったです。

 

特に私は、

院内で一番超過勤務が多い病棟に配属になり、

しかもその病棟は、

他の病棟などから

北朝鮮と言われていた部署でした笑。

 

そんなこととは露知らず。

 

変に真面目で、まっすぐだった私。

ひたすら頑張って、

なんとか働いていくことはできていました。

 

転機は、院内研修であった、3年目研修でした。

 

ただでさえ超過勤務が多いのに、

それに更に研究が加わることになりました。

睡眠時間3~4時間は当たり前。

 

まるでブラック企業でした。

 

3人チームで研究を進めていましたが、

最初はあれしようこれしようと

計画はありましたが、

全く計画どおりにいかず、

期限が迫っていました。

そのタイミングでの、

師長との面談のとき。

 

他の二人が「仕事を辞める」と言い出したのです。

 

「それはだめでしょ!」

私の口から出た言葉でした。

私も、正直辞めたかったとは思います。

でも、そこで諦めるのは違うんじゃないかなと思ったのです。

 

とりあえず、苦肉の策として、

最近入ってきたすごい患者さんが居たので、

その方にどうにかインタビューをさせてもらって、

質的研究をしようということになりました。

 

そこからは、もう必死でした。

 

最後、学会での研究発表までを終えて

自宅に帰った瞬間、

リビングに倒れ込んで

死んだように眠ったのを覚えています。

 

 

もう、フラフラでした。

 

精神的にも追い詰められていました。

 

あのときから、私は病んでいました。

 

それから3年半の間、なんとか働きました。

 

いじめまでいかなくとも、嫌がらせ。

医者からのパワハラ。

悪口。

 

もちろん、仕事は辞めたかったです。

転職も考えていましたが、

どうしても勇気が出ませんでした。

お家に帰りたくない病も発症していて、

夜中に音楽をガンガン鳴らしながら、

延々とドライブを繰り返している毎日でした。

 

そうして私はどんどん病んでいき、

ついにその日はやってきました。