左前頭葉のお話 | My life in Greenwich

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5年間のNY駐在から帰国、アメリカの生活を懐かしみながらランニング、読書、ハープをブログに書いています。

一年前にブログに投稿した記事です。既に読んでいただいた方には申し訳ないのですが、2度目の投稿です。

 

事故で鉄の棒が脳を貫通し、左前頭葉を損傷してしまった男(フィニアス・ゲージ1823-1860)が、生還したにもかかわらず、性格が変わってしまったという事例です。

 

写真は生還後のゲージと、ゲージの脳を貫通した棒です。

 

 

ケージの事故の詳細をWikipediaからコピーしてみました。

 

1848年9月13日(つまり、今から172年前の今日)25歳のゲージは、作業員の職長として、バーモント州の町カヴェンディッシュ (en)の外れで、ラットランド・アンド・バーリントン鉄道 (en)の路盤を建設するための発破を行う任務にあたっていた。爆薬を仕掛けるために、岩に深く穴を掘り、火薬ヒューズを入れて、の突き棒で突き固める作業があった。[5]ゲージはこの仕事を午後4時半ごろ行なっていたが、(おそらく砂が入れられていなかったため)突き棒が岩にぶつかって火花を発し、火薬が爆発して、彼がそのとき扱っていた直径1と4分の1インチ、長さは3フィートと7インチの道具が彼の頭部を貫いた。鉄の棒は彼の顔の横から入り、左目の後ろを通り抜け、頭頂から抜け出した。[脚注 3]先に突き刺さった側の端は尖っていて、12インチにわたり先が細くなっていた。この形状のため被害者は命を永らえたのだと思われる。この鉄の棒は他では見られないものであり、持ち主の好みを満たすように近傍の鍛冶屋で作られたものである。[脚注 4]重量が6kgあったこの”突然図々しくすっ飛んできた客”[脚注 5]は、血液と脳にまみれて25mほど先に落ちたと言われている。驚くべきことに、ゲージは数分もたたないうちに口を利き、ほとんど人の手も借りずに歩き、街にある自宅への1.2kmを荷車に乗っているあいだ背筋を起こしたまま座っていた。最初に彼のところへ到着した医師はエドワード・H.ウィリアムズ博士であった。私は馬車から降りるより先に頭の傷口に気がついた。脳の血管の拍動がはっきり見て取れた。ゲージ氏は、私がこの傷口を調べている間、周囲の人に自分が怪我を負った時の様子を語っていた。私はそのときゲージ氏の述べることを信じず、彼が騙されたのだと思った。ゲージ氏はその棒が頭を貫通したのだと言い張った。…ゲージ氏は立ち上がり嘔吐した。嘔吐しようと力んだため、ティーカップ半杯ほどの脳が押し出され、床にこぼれ落ちた。[7]

こういった事故にもかかわらず、フィニアスはもとどおりに回復したのですが、この事故の前とは性格が変わってしまったのでした。この事故の前は温厚で人望の厚い性格だったのが、事故後は荒く攻撃的な性格になってしまったそうです。このことから左前頭葉が情緒とか、人格のバランスをつかさどる働きがあるということが分かっています。