見ごろ食べごろ笑いごろのおぼっちゃまを偲ぶ | 好きなことだけやる

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旧・サッカー観戦好きのブログ
初代タイトル:野球観戦好きのブログ
2020現在、動画作りを趣味に。

小松政夫さんが亡くなったというニュースを見た

 

「あたしの故郷は博多ですばってんがくさ・・・」と博多弁で話す小松さん。

7:56のところ

 

 

 

「見ごろ・食べごろ・笑いごろ」という番組で

小松さんと伊東さんのコントのファンになった。

 

 

馬鹿馬鹿しい、くだらないことを、大の大人達が一生懸命作り上げているのが

今になってよくわかる。この笑いで救われたんだなとわかる。苦しいことが多い時代に

笑い飛ばしてくれたんだと、よくわかる。

1978年、電線マンの踊りを真似てテレビの前で踊っていた。

しらけどりの歌も真似した。

キャンディーズのコントもあった。

伊東四朗さんがお母さんで、小松政夫さんが蝶ネクタイに半ズボンの

小学生の息子役。

 

 

 

「おかーたま」

「いてーな、いてーな、いてーな」

 

小松さんが発する言葉一つ一つで爆笑していた。

 

その後、数年がたち笑っていいとも!のテレフォンショッキングでタモリさんと並んでいるところを観た。

 

同じ博多出身であることや、芸能界に入る前に車のセールスマンをしていたことなど

話を聞いて、この人はきっと理不尽な場面で頭を下げまくってきたんだろうな

そして笑いを持ってあらゆる修羅場を和ませてきた剛腕コメディアンなんだろうな

かっこいいな

 

と憧れるようになった

 

そのあたりから、お笑い芸人を尊敬するようになった気がする。

 

パソコンを手にした時代

小松さんに顔の似ている哲夫とコンビを組んでいる西田のファンになり

笑い飯を応援するサイトを非公式で作ってみたりした。

 

食べるものも着る物も不足していた、四六時中我慢我慢の幼少時代に

現実を忘れさせ爆笑させてくれた恩人、小松政夫さん。

 

今こうしてパソコンを操作できるのも、動画を作ったり絵を描いたり漫画を読んだり映画を見たりできるのも

 

楽しい時間を魅せてくれた小松さん達のおかげだなと思う。

 

辛くて生きていくのがしんどいと思った時も

笑わせてくれたから、生きてこれたと思う。

 

小松政夫さん、ありがとうございました。

これからも時々思い出して、笑わせていただきます。ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

人生は趣味でできている