これは独り言なのだが…。

 人に知られたくないことの一つやふたつはある。誰だってそうだ。小さな事から上げていったら、一つやふたつでは収まらないかもしれない。そして、その大半は自分にとって重大でも、案外、よそ様にとってはそんなこと?の程度かもしれない。
 しかし、そんなこと?では済まない秘密を抱えてしまう人もいるのも事実。絶対に漏らすことはできない、一生胸に封印しなければならないものがあったら。自分なら耐えられるだろうか。本当に自分ひとりだけの秘密ならば、なんとか隠せるかもしれない。でも、他者と共有する秘密ならばどうだろう。自分がボロを出せば、全員が終わる。または誰ががボロを出すことで、自分が危ないとなったら。どまで神経がもつだろう。
 こんなことを書くのは、うつくしいひとの死について自分の占った結果(現在、非公開)が、公表されたものと違うからである。私の出した結果だと、誰かが隠蔽していることになるのだ。それを知っているのは当事者ひとりかもしれないし、または複数人が関わっているのかもしれない。
 「こころ」という物語がある。追い詰めたのは自分だったのに、自ら命を絶った親友の遺書に自分の名前がなかったことが、逆に自分を追いつめていった…という話だ。自分の名前がなかったことで社会的体裁は保たれた。しかし、自責の念と秘密にし続ける罪は募っていく。結果、親友と同じ道を辿ったのである。
 私が言いたいことは何か。要するに知られてはならないが、バレてしまえば楽になるということだ。関わった人(たち)は墓場まで持っていく覚悟はあるか。誰にも悟られずに騙し通すとこはできるのか。鬱々とした思いで一生を終えることはできるのか。なにより、良心の呵責に苛まれて生きられるのか。誰かを不幸にした秘密には利息がつく。利息は返さなければならない。懺悔という利息をどうやって返すのか。その方法は一つしかないだろう。
 人は強くない。物語のように隠し通そうとするならば、その末路も物語のようになる可能性はある。本当であれば自ら名乗り出て貰いたいところだ。が、万が一そうなった場合はきちんと文章に残しておくことをオススメする。