個人的に、ジャーナリストたちマスメディアには、警察よりも核心に迫る力があると思っている。いや、思っていた。
 ある週刊誌には、かなりの予算があてがわれているそうだ。そして、あらゆる情報網が存在し、ひょっとして警察機関よりも正確で早いスクープが、その週刊誌から飛び出すなんてことも今まではあったように思う。
 しかし、現在はどうだろう。圧力か、金か。損得の取引か。それとも、決して世間に明かしてはならないと共通して認識した事実があるのか。裏側はわからないが、期待していた真実への追求がなされない、ある青年の残念な事象があった。日本中のマスメディアが触れようとしない、触れても当たり障りなく、または問題をすり替えて、明らかに印象操作かのような発表をしている。私の占い結果では青年の最期は、マスコミが必死に印象づけようとしている言葉とは違うので、それを証明するためにも、彼らがいつもみたいに頑張ってくれることを信じていたのだ。しかし、彼らは見事に期待を裏切ったではないか。
 いつから、ジャーナリズムというやつは、黒い力に屈するようになったのだろうか。我々が知る由もなかった真実を追い突きつける、それがジャーナリズムではなかったのか。
 そもそもジャーナリズムとは、真実の追及、それに尽きる気がする。それを我々に伝えることを使命としているのではないだろうか。過去には命を狙われたり、落としたりする人もいたのは事実だ。それでも、彼らは命がけで文字にしてきた。プライドと信念。屈することなく、真相、真実、本質のために。白を黒にするのではなく、黒を白にするのではなく。ありのままに、そのままに。どこから始まり、どこへ向かうのか。それは真実の追及を生業にしている人にしかできない。簡単に情報が手に入る世の中であっても、我々はそれらに及ばない。だから、私は知りたい、知りたいのである。
 彼らの力はすごい。我々は翻弄される。その影響力を間違った使い方に利用されていること(利用している)を気づかれていることを、当事者たちは知っているか。もしも私の一方的な願いや期待に、心の隅で、燻るものに苦しんでいる人がいたなら。ジャーナリズムは腐っていない、あらゆる力に屈することはないと証明してほしい。誰か一人でも、声を上げることはできないか。なけなしの正義感に、今もほんの少し、私は期待している。