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ブログ書いている人:母
2回目の休職の時、ADHD診断。
療育で支援を受けているうちに、児童発達支援に興味を持つ。
国家試験を合格して、保育士資格を取得。
発達障害コミュニケーション初級指導者取得。
娘
自閉スペクトラム症。春から小学生。特別支援学級
息子
検診のたびに低身長を指摘(成長ホルモン検査済み→異常なしで様子見)
軽度知的障害で療育手帳取得済み
「ともだち100にんできるかな」って歌に対する個人的考察
4月で小学生になった娘さんを持つ友人から、「うちの子、まだ友達ができなくて。しかも話しかけられないみたいで」と相談を受けた。
「私は、友達たくさんできたよ!!」って、キラキラ顔で話し始める娘。いやいや、自慢話やめろーー!!って、思わず焦る母。
対象的に暗い感じになる友人の娘さん
保育園時代の友達が一人もいなくて、0スタートらしい。
でもその子は、学校自体は楽しんでいるみたい。クラスメートの話もちゃんと出てくる。
学童は、お友達がたくさんいる様子。
「学校生活にストレス感じてなければ、様子見てていんじゃない?まだ、始まったばかりだし!その内、気の合う子と友達になるさー」
って、アドバイスした。
でも、
たくさん友達ができるか心配だ。
ということだ。
娘さんも友人もそう言ってた。
ふと、頭に
「ともだち100にんできるかな〜」って音楽が流れる。
入学して早々、いや、入学する前から散々歌わされ聞かされるこの歌は、ひょっとして呪いの歌なのではないか?100人っていう、ノルマを貸しているのでは??
っていうのは、トンデモな持論だけど
きっと、まどみちお先生もそんなつもり無いだろうし。
しかし、
友達が多いことはステータス
ぼっちは恥ずかしいこと
って、大人も子供も刷り込まれて
それに必死になってないだろうか。
自分を押し殺して
取り繕って、周りに合わせてしまわないと
人としての価値が下がる
って。
それやって、私は
病みましたけどね
ボッチでも楽しく過ごせてたら、いいじゃない。
気心知れて、取り繕わなくてもいい、
あなたのそのままを受入れてくれる友人が1人でもいたら、友達100人よりよほど価値があると思う。
友達は多くなくても
この子といて楽しいなぁ!
幸せだな
って思える親友にめぐり逢えたら
私はそれで十分だとおもう!