神戸のネオン。
ネオン、というのか、錨山と市章山の灯。
まだ神戸に高い建物が無い頃から、それは私の幼少時から。
高い建物が立ち並び、夜も明るいままの現在とは趣を著しく違える、文字通りに夜空に浮かんでた。
確かにシンボル、アイデンテティ=海と街と、そして山が"同居"する神戸、ならではと云えるのでしょう。
そう、ふと、週末のニュース。
「彼等の電球を白熱球からLED球に代える」とな、フム。
確かに今日見たら、さらに右にある「KOBE」と西暦と帆舟?が切り替わるのん、その切り替わりが随分"シャキッ"としてた。
光=球の輝き自体もミョーにクッキリ、従来の朧気な、儚さ侘しさを醸し出すよな味わいに乏しい、ようにも見える。
して、確かに"錨"が無い、件の付け代え作業に伴って消灯中とな、ニュースで云うてた。
ンでオモロヤユな皮算用、「今回の付け替え作業費用を白熱球からLED球交換に依る節電代で賄うには87年かかる」、と。
確かにそれは事実、ただ今回は敢えて、云っておこう、ニューストピックスの〆に使うのは、そうして最後に付け加えるのは、
ヤボで、あると。
なぜなら。
私は、知っている。
その事実を、調査に因って既に、知っている。
本来、錨と市章のそれぞれの電球の点灯に使われる電気は、
"ポートピア博開催記念事業"の一環として当時に設置された風力発電設備が賄う、
ハズ、だったことを。
そして、その風車は久しく回転していないことを。
その仰々しい施設は未だ、錨山横の中腹に。
その壁には揚々と風力発電設備の趣旨、構造の説明が為されていることを。
そして、遺るその設備は今は立ち入れないことを。
そぅ、風はふかなかった、「風」は"彼"には"彼等"には向かなかった、維持費などにも目をくれずに勢い余った計画はただ「立体化」なり、斯くて見事なまでの「the ruins of kobe.」に。
ただ、ムダとか無意味、とかでは私は決してない、当記事に於いて云いたいのは。
往時はホント、どないなるやらようわからん未来を信じてたんや、って。
どんどん便利になるンやな-って。
しまいにビル間を繋ぐ透明チューブをモビルビークルが往来する、そんな今となってはこの上なくベタでステロタイプななカンチガイ妄想フューチャーの筆頭に挙げられるのん、そんなのさえも信じかねなかった、あの頃。
それが、そんな光景どころか、市電のオーヴァヘッドトラム化も脳内爆裂妄想の産物でしか。
「みらいののりもの」姫路モノレールもくだんの通りだし。
堺市のLRTも頓挫、とのことだし。
ともかくそんな、朧気にも信じられる未来のあった時代を「象徴」、良くも悪しくも。
エコなのかエゴなのか判然ともしない昨今の風潮、そんな中でのそんなニューストピックスに、思った。
でも、それでも敢えて佇んでおいてほしい、その姿を、って。
善くも悪しくも、酔狂でも。
そう、そうなん、思えば、"今"にすれば 落日への旅路はもう、あの頃から始まってたのかも それでも、あの頃は、あの頃くらいまではとっても佳い時代だったんだって、そんな思いを馳せていたいから、さ。
旧佳の神戸 とこしえに
って、願うだけでも。
(了)
まだ神戸に高い建物が無い頃から、それは私の幼少時から。
高い建物が立ち並び、夜も明るいままの現在とは趣を著しく違える、文字通りに夜空に浮かんでた。
確かにシンボル、アイデンテティ=海と街と、そして山が"同居"する神戸、ならではと云えるのでしょう。
そう、ふと、週末のニュース。
「彼等の電球を白熱球からLED球に代える」とな、フム。
確かに今日見たら、さらに右にある「KOBE」と西暦と帆舟?が切り替わるのん、その切り替わりが随分"シャキッ"としてた。
光=球の輝き自体もミョーにクッキリ、従来の朧気な、儚さ侘しさを醸し出すよな味わいに乏しい、ようにも見える。
して、確かに"錨"が無い、件の付け代え作業に伴って消灯中とな、ニュースで云うてた。
ンでオモロヤユな皮算用、「今回の付け替え作業費用を白熱球からLED球交換に依る節電代で賄うには87年かかる」、と。
確かにそれは事実、ただ今回は敢えて、云っておこう、ニューストピックスの〆に使うのは、そうして最後に付け加えるのは、
ヤボで、あると。
なぜなら。
私は、知っている。
その事実を、調査に因って既に、知っている。
本来、錨と市章のそれぞれの電球の点灯に使われる電気は、
"ポートピア博開催記念事業"の一環として当時に設置された風力発電設備が賄う、
ハズ、だったことを。
そして、その風車は久しく回転していないことを。
その仰々しい施設は未だ、錨山横の中腹に。
その壁には揚々と風力発電設備の趣旨、構造の説明が為されていることを。
そして、遺るその設備は今は立ち入れないことを。
そぅ、風はふかなかった、「風」は"彼"には"彼等"には向かなかった、維持費などにも目をくれずに勢い余った計画はただ「立体化」なり、斯くて見事なまでの「the ruins of kobe.」に。
ただ、ムダとか無意味、とかでは私は決してない、当記事に於いて云いたいのは。
往時はホント、どないなるやらようわからん未来を信じてたんや、って。
どんどん便利になるンやな-って。
しまいにビル間を繋ぐ透明チューブをモビルビークルが往来する、そんな今となってはこの上なくベタでステロタイプななカンチガイ妄想フューチャーの筆頭に挙げられるのん、そんなのさえも信じかねなかった、あの頃。
それが、そんな光景どころか、市電のオーヴァヘッドトラム化も脳内爆裂妄想の産物でしか。
「みらいののりもの」姫路モノレールもくだんの通りだし。
堺市のLRTも頓挫、とのことだし。
ともかくそんな、朧気にも信じられる未来のあった時代を「象徴」、良くも悪しくも。
エコなのかエゴなのか判然ともしない昨今の風潮、そんな中でのそんなニューストピックスに、思った。
でも、それでも敢えて佇んでおいてほしい、その姿を、って。
善くも悪しくも、酔狂でも。
そう、そうなん、思えば、"今"にすれば 落日への旅路はもう、あの頃から始まってたのかも それでも、あの頃は、あの頃くらいまではとっても佳い時代だったんだって、そんな思いを馳せていたいから、さ。
旧佳の神戸 とこしえに
って、願うだけでも。
(了)