川西探訪~ 三ツ矢サイダー発祥の地、その栄枯。
昨日は、川西に赴き。
宝塚は安倉を過ぎたあたりから、いつもは…というより今までに全く経験したことの無かった渋滞に巻き込まれ。
抜け道マイスターの私、巧く抜けられる、と思ったら車道だった道が歩道化されてたり、ショック、そんなでも何とか抜け道という抜け道、秘策を駆使してまでも、予定の時間に間に合わなかった、大変、悔しい。
そんな、抜かってしまった私に、先方様には多大にご迷惑を被らせてしまったのに、なのに。
恐縮ながらも、至極恐悦な経験をさせてもらった。
そんな思いをしたあとって、大体は夢から醒めるパターン、なんだけど。
今回ばかりはギョウコウ、謹み乍らも至極恐悦の思いを心にしっかりと受け取りました。
して。
川西に来たからには、と気をとりなおし!?
どうしても訪れたかった地へ、そのお話、その前におさらい。

以前に紹介した、川西能勢口駅と国鉄川西池田駅を結んでいた短い路線、その廃止から30年近く経った今は。
上画像のマンホールの蓋と。

その横にある鉄輪のモニュメント、そして車道化されるも未だ美しい鉄道カーブを遺す道。
その役割たるや、阪急と国鉄を結ぶだけでなく能勢電鉄からの貨物を運搬する役割を担っていた。
往時のその主たる荷物、それは。
能勢電平野駅の北側に位置していた工場、その生産物とは。
三ツ矢サイダー。
そう、そここそが、三ツ矢サイダー発祥の地、この地で生産されていた三ツ矢サイダーが、全国へ出荷されていた、と。
また、腰を重くしていた不肖R.O.K.E.、結果から云えば…
否。
云わずとも、現状の写真を。

ともすれば、見落としてしまう、車道沿い、そして何より能勢電沿いの。
何で特定できたか。
次の画像。

といっても解りにくい、奥に立っているのが通称「三ツ矢塔」、炭酸ガスの精製に使用されていたという平野のシンボル、壁にその衿持たる三ツ矢マークが大きく。
保存の意向で現在の位置に移設されたという、ただこれ以上近寄った画像は望めない。
見ての通りの空地、払い下げられて久しく、足を踏み入れたくっても。
後悔甚だしく、というのも。

下り立ったその地の横にはこんな看板、そう、数年前までは資料館を遍く公開してたんだ。
アサヒビール株式会社、とある、その管理の下に。
でも、今はもう更地に。
ふと、というよりさっきから…漂う独特の硫黄臭。

横を流れる小川を見れば、どうやら今も昏々と湧き出ているみたい。
もう少し、車道沿いに川上に向かえば。

ちょっと解りにくい画像は歩道から覗きこみ、取水口の蓋らしきものが。


最後、ちょっと頑張って撮ってみた、殊二枚のうち最初の一枚は、能勢電と共に。
阪急の車両の払い下げん使用していることで有名な能勢電、かつては若干加工してオリジナルカラーも、数年前からは完全マルーン色。
にしても「1500」系って、メチャチャ旧いやん@。@ 乗ったことあったかな、また今度乗ってみるかな。

当時の賑わいを思わせてくれる、お食事処跡。
惜別の思いを裁ち切り、川西を後に。
と、久々にR.O.H.E.=Ruins Of Hyogo Explorer記事、でした。
次回は既に探索済みの飾磨港線跡探訪記を。
(了)
宝塚は安倉を過ぎたあたりから、いつもは…というより今までに全く経験したことの無かった渋滞に巻き込まれ。
抜け道マイスターの私、巧く抜けられる、と思ったら車道だった道が歩道化されてたり、ショック、そんなでも何とか抜け道という抜け道、秘策を駆使してまでも、予定の時間に間に合わなかった、大変、悔しい。
そんな、抜かってしまった私に、先方様には多大にご迷惑を被らせてしまったのに、なのに。
恐縮ながらも、至極恐悦な経験をさせてもらった。
そんな思いをしたあとって、大体は夢から醒めるパターン、なんだけど。
今回ばかりはギョウコウ、謹み乍らも至極恐悦の思いを心にしっかりと受け取りました。
して。
川西に来たからには、と気をとりなおし!?
どうしても訪れたかった地へ、そのお話、その前におさらい。

以前に紹介した、川西能勢口駅と国鉄川西池田駅を結んでいた短い路線、その廃止から30年近く経った今は。
上画像のマンホールの蓋と。

その横にある鉄輪のモニュメント、そして車道化されるも未だ美しい鉄道カーブを遺す道。
その役割たるや、阪急と国鉄を結ぶだけでなく能勢電鉄からの貨物を運搬する役割を担っていた。
往時のその主たる荷物、それは。
能勢電平野駅の北側に位置していた工場、その生産物とは。
三ツ矢サイダー。
そう、そここそが、三ツ矢サイダー発祥の地、この地で生産されていた三ツ矢サイダーが、全国へ出荷されていた、と。
また、腰を重くしていた不肖R.O.K.E.、結果から云えば…
否。
云わずとも、現状の写真を。

ともすれば、見落としてしまう、車道沿い、そして何より能勢電沿いの。
何で特定できたか。
次の画像。

といっても解りにくい、奥に立っているのが通称「三ツ矢塔」、炭酸ガスの精製に使用されていたという平野のシンボル、壁にその衿持たる三ツ矢マークが大きく。
保存の意向で現在の位置に移設されたという、ただこれ以上近寄った画像は望めない。
見ての通りの空地、払い下げられて久しく、足を踏み入れたくっても。
後悔甚だしく、というのも。

下り立ったその地の横にはこんな看板、そう、数年前までは資料館を遍く公開してたんだ。
アサヒビール株式会社、とある、その管理の下に。
でも、今はもう更地に。
ふと、というよりさっきから…漂う独特の硫黄臭。

横を流れる小川を見れば、どうやら今も昏々と湧き出ているみたい。
もう少し、車道沿いに川上に向かえば。

ちょっと解りにくい画像は歩道から覗きこみ、取水口の蓋らしきものが。


最後、ちょっと頑張って撮ってみた、殊二枚のうち最初の一枚は、能勢電と共に。
阪急の車両の払い下げん使用していることで有名な能勢電、かつては若干加工してオリジナルカラーも、数年前からは完全マルーン色。
にしても「1500」系って、メチャチャ旧いやん@。@ 乗ったことあったかな、また今度乗ってみるかな。

当時の賑わいを思わせてくれる、お食事処跡。
惜別の思いを裁ち切り、川西を後に。
と、久々にR.O.H.E.=Ruins Of Hyogo Explorer記事、でした。
次回は既に探索済みの飾磨港線跡探訪記を。
(了)