鍛冶屋線跡、探索。
鍛冶屋線、かつて野村駅、現西脇市駅から中町方面鍛冶屋まで伸びていた路線、紡績が盛んであった頃の賑わいもはるか昔、平成2年に廃止の愁き目に、以降はサイクリングロード:遊歩道:車道=3:3:4(オヨソ)の割合で姿を変えてしまい、かつてのレール跡はほぼ潰え。
はるばる赴いたところで収穫は・・・
とニベもなく考えていて、云うなればモチベイションも含めた意味で"難易度の高い"廃線跡、との位置付けに、私的にはなっており。
前回訪れたのは2年程前、このブログを始めるより遥か前、佳友との強雨の中の強行、それはとても佳い思い出と、さりとていつかは記事にしたく・・・と時は過ぎ。
先日の北条鉄道訪乗の折に加西のミキ180型を見に行けば、ココまで来ればもう、赴いておこうと足を伸ばし。
その前回訪れた時にもある程度把握はしてはおり、その残姿はほぼ見るべくも無く、ただあれから2年、仮にも経験&知識の蓄積に基き、また三木鉄道の三木駅にて入手した激、ゲキレアの鍛冶屋線現役時の映像を入手したこともありさらなる考察、あわよくば発見があるやも、との期待をこめての探訪敢行!
画像は、やはり撮っておくべきと思えたものは少なく、さりとて欲張った結果は40枚近く、して幾記事かに分けて紹介してまいろう、と思います。
では、今回はまず終点の鍛冶屋駅跡から訪れましたので、画像を交えて紹介してまいります。
鍛冶屋駅跡にはホーム跡沿いにキハ30型ディーゼル気動車、駅舎内には数々の資料が。
保存された駅舎を正面より。
常に綺麗に手入れが行き届いており、地元の方々にとっての重要路線であったことが伝わりきます。
その駅舎よりもさらに奥にも貨物扱いや機回し線等の線路が伸びていたものと思われますが、その痕跡は車道化によりかき消され・・・
画像は鍛冶屋駅跡より線路跡、西脇市方面を望む。
斯くも綺麗に、遊歩道としては申し分なく整備され、ただ跡、といえるものは・・・
この区間に関してはトレースするからには自転車、しか手段は無く、いつかキチンと訪れたい、と。
ゆうても何も残っていないのでしょうが、画像奥の、奥に微かに写るのはかつて線路沿いにあった、というよりそのままの位置か、何かの制御箱?らしき鉄道関連構造物が。
時間の都合でアプローチはできず、その存在は前回時にも確認しておりその存在は安泰かと、よった画像はまたいずれ・・・
列車展望DVDに廃線当時折しも建設中の様子が映っていた比較的大型のイヴェントホール、まあ見るからにはリィ◎゙ブな・・・ふるさと創成基金、か!?!?
来月にはヤナワラバさん、がお越しだそうです。
・・・
そして、その前の道はまさに廃線跡、まさに車道になってしまい、面影は潰えていると諦めていると、何と、その道沿いには。
!!!
理由は定かではなく、特に説明もあったワケでもなく唐突感は否めないのですが、レールが置いてありました。
そして・・・
これは、ディーゼル気動車の変向機カヴァー??
コンクリで据えてありました。
何とも??、ですが鍛冶屋線の忘れ形見には違いない、と思われます。
そして、少し南下、西脇市方面へと。
先述にも、かつて紡績で栄え、賑わいに賑わった、工員さんや原料、また完成品を運んだ鍛冶屋線最盛の時代、それは大いなる汽車時代、の話。
今もその名残を若干留めるは幾つかの煙突とこのかつての線路沿いの工場、鋸屋根も粋に。
この工場の工員さん達で賑わいに賑わったであろう中村駅、駅の原型は残念ながらほぼ留めてはいないものの、跡地は公園に、その園内には駅標んどが据えられており。
やはり沿線にとって重要であったと共に、愛されたのであろう・・・と伝わりき。
そして現在の中町の「名物」は・・・
それは、クワムラハムさんの大きな工場。
私以上の世代の阪神間で育った人々にとっては、一度は必ず目にしたであろう郷愁のCM、もう一度見たいのですが、だれか画像上げてはくれんかな・・・
10年以上前に一度探偵!ナイトスクープでも採り上げられたのを覚えていますが・・・
私も現在所有している当時のVTR、可能な限りあらってみます。
そして・・・
車道、川沿いの道はサイクリングロード、この区間は次回、自転車を持ってこれる時までオミット。
車道を進み、辿り着くは・・・
(続!)








