彦根の侘びしい廃線跡。
そう、大垣からの帰り、8号線を急いでいると。
彦根駅辺りにさしかかった時、道を挟んでの巨大なコンクリート構造物が出現、見紛うことなき橋台、そのもの。
しかし、その前後。
特に彦根駅と反対側の橋台はもう、それだけ。
以降は何もない、また道路を造るのか、綺麗に整備されており、その頑強な姿を孤高に佇ませているのみ。
これは・・・
近寄って、解析せねば^^!と。
画像は、暗くてわかりにくいです。
ホンマ、解り難いですが。
画像左が孤立して遺されている橋台、奥側が彦根駅側、奥の建物は玉姫殿(現、マリアージュさん(なんか、"昭和のニッポン語"になってしまいました´~`)、彦根駅側にはどうやら路盤が遺っているようです、行ってみましょう。
そもそも、平面の東海道線からこの高さにするには、この彦根駅から数百mでこの高さに到達させるには、相当な築堤が築かれていた筈・・・
なのですが、やはり再整備事業に伴い貨物ヤードの更地化時に取り払われたようで。
存在するのはこのマリアージュさんの裏側のみで、文字通りにブッタギられていました。l
そのキツい法面を、幾度かずり落ちながらムリカラ登ってみると。
ほんの、百mほどの区間、線路跡のような空地がありました。
一応、一通りに歩いてみると。
何もないか、辛うじて残っていたのは数的には比較的多かった、枕木。
乱雑に置かれていましたが、ここの専用線であったことを示す生ける証人。
この専用線に関してはやはり、橋台と、この路面、その枕木のみ。
後に調べてみれば、彦根駅と道を挟んだ反対側にはコンクリート工場、があったようです。
国土交通省の航空写真にも写っており、専用線も彦根駅から伸びていました。
そして、その路面から法面を下りる前に彦根駅方面を眺め。
暗いので、画像無く申し訳ないのですが。
かつては荷役で賑わったその貨物ヤードをこの専用線の築堤はどうやって越えていたのでしょうか。
それを知るすべは、かなり厳しく。
偲ぶのみか。
なんとか、地道に調査したいです。
そして…
そもそもそのコンクリ工場、この高さ、地上5m位?、この8号線を越えるため、だったのもありましょうが。
コンクリ工場にこの高さで入線していた、ということ。
その高さ、工場的にはどうだったのか!?
航空写真、昭和49年度のものを見ると当時の工場敷地内、8号線を跨いで程なく100m以内で途切れているように見えます。
まだ詳しく見た訳ではないですが、線路横にホッパーでもあってそこに積んできたものを投入するようになっていたのか…
興味深い、調査したいです。
しかし、何にせよ遺るは橋台、路盤、とその上に散らかる枕木、この僅かな構造物のみ…
繰り返しますが、侘しいです。
オマケ画像。
ともかく寒かった帰り、地形はよく分かっていないR.O.K.E.ですが、さすが!?米原は特に寒かった。

米原の信号はご覧の通り、積雪対策仕様に。
…誰や、こんなトコに新幹線を敷かせたのは^^;;
岐阜羽島駅にて、銅像を見に行こう、と少し思いましたが、寒かったので素っ徒ンで帰ってきました。
まあ、またまたいつか。
…しかし、世界を見れば早や500km/hを達成しつつある車両もあり。
その通過時には跨線橋もわななく程、ときく。
ましてや、車両同士の離合、なんて相対速度は音速…
近いモノがあるワケで、実用化間近とは。
日本の新幹線、面目躍如なるのか。
今度、日本にマッスグのルートを敷くならば、ソレこそリニヤ、ということになるのか。
…
ふ~ん…
と、成程… ̄~ ̄
東海道線、旧線や逢坂山トンネルなども、近日、調査…
アツく、調査したいなあ…と、思っています。
では。
(了)
