十河元国鉄総裁の偉業~ 四国鉄道博物館!
四国編、最終章、漸くです´~` 失礼してます・・・
と、松山からの鈍行帰り、伊予西条駅にて20分待ち。
行きしな(記事→http://ameblo.jp/ruinsofkobeexplorer/entry-10065270240.html
)もここで乗り換え待ち、帰り寄れるかな~と眺め・・・
20分。
ビミョ。
・・・
でも、見たところそないにも大きくなさそうやし、駅まん前やし、ダ~ッシュ!! !!で行ってみるか~
と、ダッシュ、ダッシュ!!
ひとまず、入り口から中を・・・

お、DF50。
これは、以前から多度津工場にいたのは知ってましたが。
と、初代の新幹線。
ふむ。
フム。
・・・
ン!?
エ!
いや・・・
エエ!?!?
四国と、新幹線って・・・
関係ナイやん、しかも北海道と並んで・・・
さらには今後新幹線が敷設される望みが最も薄・・・´`
と、入り口周辺、広場を見渡してみると。
撮影しましたが暗くて、ボツ、レールが2本、モニュメントのように"飾って"あって。
と、よく見ると、こんな・・・
ああ・・・
あ、なるほど、ナルホド。
そういや、某"計画×"の番組で新幹線黎明期のんやってた時に・・・
その時は、ボーっと、バクゼンとしか見ていなかったので不覚なことにお名前を存じえておりませんでした。
この伊予西条、がご出身の地だったのですね。
そういえば、この「博物館」の横の建物は、氏の記念館となっています。
そうか~、蒸気機関車の淘汰は、四国が一番早かったのか・・・
しかし、とかく山岳区間の極めて多い四国の路線、振り子車両の導入などの高速化対策もこの四国にはいち早く導入されてはいます、しかし先述の新幹線は況や、これ以上の高速化は厳しいものがあります。
で、その無煙化=蒸気機関車の淘汰に一役、大きく貢献したのがこのDF50型電気式ディーゼル機関車。
館内にあった当時の長閑な風景写真を撮らせてもらいました。
仮にも、機関車列車が、ともすれば客貨混成で走っていた時代・・・
佳景ですな´~`
このDF50型は大阪は弁天町の交通科学博物館でも見ることができますが。
見ると、おお・・・!!
運転室も公開されている、これは見ないと!と、スワ。
この、ディーゼル機関で発電機を回して作った電気でモータを回して駆動力を生む、という方式、さりとて・・・
運転士さんがやることは出力調整と制動を主に、実は他の方式の機関の運転台とサホドにも変わらないのではないか!?
やっぱり^^;;
他の、電気機関車などとさして変わらない、むしろシンプルな気が・~・;

運転席横に、こんな"表示"が。
恐らく、2つそれぞれの運転台の使用に応じてコックなどの切替を手動でしないといけない、とのことだと思われます。
今やそんなの自動で切り替わってアタリマエ、がこの頃は斯様に"不完全"で当然だった、のでしょう。
と、その運転台、キャビンから機関室を覗いてみると。
暗くて撮影できませんでしたが、デッッッツツッカイ、エンジンが鎮座していました、発電機・・・は見えませんでしたが、見てみたい、ゆっくり考察してみたいです。
そして、外側側面にはこれまた大きな排出口が。
やはり排熱量もハンパではなかったのでしょう。
先ほどの風景写真の中にこのDF50型が重連運用されているものが見受けられますが。
確かに重連運用は多々あったようで、実際に山岳区間に於いては急坂少なからず、です。
ただ、登坂区間の、殊トンネル区間に於いては後ろ側のDF50が前のDF50の凄まじい熱によって排熱が追いつかなくなりオーヴァーヒートを頻発、当時の技術では発電機やモータ×3を小さくできる技術はなく、自重も相当のものだった様で、それらを起因とする数多のトラブルに、自ずと活躍の場の縮小、寿命短縮を余儀なくされた様です。
しかしながら殊この四国にとっては「無煙化」、近代化には大きく貢献した車両なのであって、その存在は大いに"語り継ぐ"必要はある、と考えます。
そして。
ハイ、大宮からお約束!? 否侮るまじ、このアングル、DF50型の天井を見ることができるのはもはやここだけでしょう・・・ 大変、貴重です!!
!!
では、本日はいったん、ここまでとさせていただきます。
(続)












