阪急乗車記 ~"マホガニー"のアロマに抱かれ。 | THE RUINS OF KOBE.

阪急乗車記 ~"マホガニー"のアロマに抱かれ。

 こちらも、先日の続きで↓


 http://ameblo.jp/ruinsofkobeexplorer/entry-10056969194.html


 そんなメッタに乗らない訳でもないのですが、宝塚~服部間、約30分、宝塚線に乗るのは久々でした、ベツにどってコト無いのですが何かミョにワクワクしていました。


 宝塚駅に入線してきた車両に乗ると・・・


 まあ、"あの"スペースが好きなヒトは強ち私だけでもないように思いますが。


 "あの"とは、運転台同士の連結部分、運転台と反対側のスペースは開放されていることが多いですね、その部分です。


 少し混んでいたのでそこに身を寄せさせてもらいました。


 やはりミョーに心地よく。



 と、怪しげに、ただコソリと車内を。


 運転台ですね、憧れたな~


 あの回転式のマスターコントローラ、脱着式のブレーキハンドル。



 このベルもメチャメチャ好きやった・・・



 そして、この"ドア開閉レバー"。


 押したり、引いたり、それごとに"バチン、バチン"とスイッチの切り替わる大きな音が、大好きでした。



 そう、この強そうなバネ。


 この装置、欲しいわ・~・;


 私はカナリの"スイッチフェチ"ですが、ルーツを辿ればコレ、ということになるのかもしれません。


 もちろん、今も好きですよ^^


 まあ、何にせよこの木目調の内装にはかなり癒されますね。



 この画像は・・・


 豊中駅、ですね、先記事で"アタマを打った"直後、"もしかして駅構内、車両が傾いていたから??"と思い。


 カンケイナイ、ですよね・・;


 ともかく、今思い出しただけでもちょっと、痛いです´`


 と、服部駅に到着。


 用が済み、帰ろうと反対のホームへ行こう、と"行きしなに出た"改札口に入ろう、とすると「注意書き」が。


 "宝塚方面踏切をお渡りください"とあり。


 画像は渡ってからのホームですが。


 つまり、地下道がないんですね。


 宝塚から乗っていると、おおかたが高架になっていた、タイして面白くないなあ、と思っていましたが。


 この服部駅は、詳しくはわかりませんが、少なくとも地上駅、駅周辺も密集しており、おいそれとは地下道を作る工事を施せないのでしょう、細部にわたって考察したわけではありませんが、大筋では恐らくイニシエの、開業時代からの設計と変わってはいないのでしょう、そういった意味では味わい深い駅なのかもわかりません。


 いつか、時間が許せばゆっくり訪れてみたいものです。


 と、服部駅をあとに、宝塚へ、帰路に就き。


 宝塚駅に降り立つと、壁の広告。


 こ、これは・・・

 


 最近、マークしていなかったのですが、なんと、これは・・・


 まさに、私の、私より上の世代の、まさに"夢"の商品ではないでしょうか。


 当時の阪急沿線住民の"誇り"たる西宮北口のダイアモンドクロス。


 詳細はまた記事をあらためなければいけませんが、かなり珍しいものでした。


 まあ、なぜ珍しいのか、いってしまえば。


 ザックリ、この複雑きわまりないレールの交差の部分には当然、著しい速度制限を設けなければなりません。


 阪急の黎明期、初期段階からこのように設計されていたワケなのでしょうが、その時点では大阪と神戸を高速で結ぶことの重要性が然程重視されていなかったのでしょう。


 つまり、いうなれば、いってしまえば通勤路線にしてみれば"負の要素"だったわけで。


 他に類が増えるはずもなく、暫し時代に取り残されたのち、'83年に撤去されました。


 しかしその通過音も含め、とても味わい深いものがあったのも事実、多くの人々が多くの思い出をもっている

と思います。


 その佳景を再現してくれたわけなのですね。



 そうそう、まさにこんな形でした。


 通過音も鳴るらしいのです。


 ・・・後日、記事に上げさせていただきます。


 !!



 こんなのも発売されている様ですが。


 サスガに、ちょっと、高い、ですね^^;


 鉄道時計は、今の生活様式からすれば、やや使いにくいです。


 では、阪急編はここまで、行きと帰りにそれぞれJRにも乗ったのでその時の写真も少し。


 次記事に上げます。


 一旦、失敬致します。

(了)