国鉄有馬線の'路線'の謎…の数々(・・;)。
ただ今イオン北神戸S.C.(-_-)
有馬線跡の撮影を少ししてきたので早速その画像も交えて記事を上げます。
西宮市山口町内は廃線当時、路線跡を徳風会さんが買い上げ、市に提供したとの変遷により、一部に病院が建ち、先記事に述べた通り阪神高速のランプに'破壊'された部分以外はほぼ車道、として残っています。
有馬川を渡る橋は撤去されているものの、現在の法面の下には橋台が眠っていると…
して、道を辿り北へ向かうと、やがて中国道西宮北I.C.に突き当たります。
…の少し手前^^; 画像は有馬口駅跡を南側より。
チナミに「有馬口」という駅名は今迄にのべ3つ、存在しています。
一つはこの国鉄有馬線の有馬口、もう一つは神鉄の今もあります(‥;)有馬口駅、もう一つは…
現在の福知山線'生瀬駅'の旧称に'有馬口'と冠されていました。
これは、明治の開業当初、国鉄有馬線も開業していなかった時点ではこの生瀬駅、'旧有馬口'の駅が最も近かった、という事です。
…とはいえ、そこからは十数kmの険しい山道、'蓬莱峡'を越えないといけない、徒歩、もしくは籠にて‥
クルマもない当時、至極当たり前の事であった…
にしてもスゴイ、文明の発達の変遷を顕著に示す一例である、といえるでしょう。
画像左側に移る目下G.U.リニューアル改装工事中のラ○゙ホ
私は因縁浅からじ(‥;)
あと画像手前部、道路部分がやや凸んでいる部分があります。
このアスファルト下から、三十年近く前、レールが顔を出した事があり、私も目の当たりにした記憶があります。
レールをはじめ橋梁などは全て篠山線に供出された、との事だったのですが。
あと撮影地点の右側には…
文字通りの「駅前橋」、かつて此処に確かに存在した路線の数少ない'証明物、という事になります。
あと当時林業が盛んであった山口町、木材の搬出はこの有馬口駅からだったとの事、この事実からやはり客貨編成であったのか、はたまた旅客運行終了後の時間帯に貨物列車を入線させていたのか…
興味深くも、謎は深まるばかりナリ(-_-)
そして廃線なった当時、レールを積む貨車が汽車牽引で入線し、有馬駅側から順次進められていた作業がこの有馬口駅へ差し掛かった時…
徳風会の方から貴重なお話を伺いました。
その貨車列車の汽車の機関士さんに'機関車に乗せてほしい'、とお願いしたところ…
機関士さんに"お米を持ってきたら乗せてあげる"と言われて、家に帰って手に一すくい米を持って再び赴き、運転台に乗せてもらったそうです。
戦時真っ只中のさなかに少しホッとするお話、いかにお米が貴重であったかというのと、当時の'官鉄'の方はカナリ威圧的だった…
ハズなのですが、やはり機関士さんも有馬線の廃線に一抹の寂しさを感じていたのかもしれません。
廃線跡を探索していてこういった話に出逢えるのは、私にとって幸甚、まさに'やりがい'を感じるものです。
以北、中国道西宮北I.C.へと吸収されますが、そのお話を次記事にて。
(続)
有馬線跡の撮影を少ししてきたので早速その画像も交えて記事を上げます。
西宮市山口町内は廃線当時、路線跡を徳風会さんが買い上げ、市に提供したとの変遷により、一部に病院が建ち、先記事に述べた通り阪神高速のランプに'破壊'された部分以外はほぼ車道、として残っています。
有馬川を渡る橋は撤去されているものの、現在の法面の下には橋台が眠っていると…
して、道を辿り北へ向かうと、やがて中国道西宮北I.C.に突き当たります。
…の少し手前^^; 画像は有馬口駅跡を南側より。
チナミに「有馬口」という駅名は今迄にのべ3つ、存在しています。
一つはこの国鉄有馬線の有馬口、もう一つは神鉄の今もあります(‥;)有馬口駅、もう一つは…
現在の福知山線'生瀬駅'の旧称に'有馬口'と冠されていました。
これは、明治の開業当初、国鉄有馬線も開業していなかった時点ではこの生瀬駅、'旧有馬口'の駅が最も近かった、という事です。
…とはいえ、そこからは十数kmの険しい山道、'蓬莱峡'を越えないといけない、徒歩、もしくは籠にて‥
クルマもない当時、至極当たり前の事であった…
にしてもスゴイ、文明の発達の変遷を顕著に示す一例である、といえるでしょう。
画像左側に移る目下G.U.リニューアル改装工事中のラ○゙ホ
私は因縁浅からじ(‥;)あと画像手前部、道路部分がやや凸んでいる部分があります。
このアスファルト下から、三十年近く前、レールが顔を出した事があり、私も目の当たりにした記憶があります。
レールをはじめ橋梁などは全て篠山線に供出された、との事だったのですが。
あと撮影地点の右側には…
文字通りの「駅前橋」、かつて此処に確かに存在した路線の数少ない'証明物、という事になります。
あと当時林業が盛んであった山口町、木材の搬出はこの有馬口駅からだったとの事、この事実からやはり客貨編成であったのか、はたまた旅客運行終了後の時間帯に貨物列車を入線させていたのか…
興味深くも、謎は深まるばかりナリ(-_-)
そして廃線なった当時、レールを積む貨車が汽車牽引で入線し、有馬駅側から順次進められていた作業がこの有馬口駅へ差し掛かった時…
徳風会の方から貴重なお話を伺いました。
その貨車列車の汽車の機関士さんに'機関車に乗せてほしい'、とお願いしたところ…
機関士さんに"お米を持ってきたら乗せてあげる"と言われて、家に帰って手に一すくい米を持って再び赴き、運転台に乗せてもらったそうです。
戦時真っ只中のさなかに少しホッとするお話、いかにお米が貴重であったかというのと、当時の'官鉄'の方はカナリ威圧的だった…
ハズなのですが、やはり機関士さんも有馬線の廃線に一抹の寂しさを感じていたのかもしれません。
廃線跡を探索していてこういった話に出逢えるのは、私にとって幸甚、まさに'やりがい'を感じるものです。
以北、中国道西宮北I.C.へと吸収されますが、そのお話を次記事にて。
(続)