国鉄3050型蒸気機関車。
…今となって資料探りに躍起になるも、なかなか乏しく…
やはり戦時下に廃止、撤去された事もあり、そんな時期に記録を残すなぞ為されるハズもないか…
と半ば諦めてはいるものの、この際思い切って!と、道場町の広場でゲートボールを勤しんでおられたご年配の方に声をかけてしまいました^^;
オヤツをわけてもらいながら(‥;)色々な話を。
駅前の広場で遊んだお話。
夕方の便を合図に家に帰ったお話。
そして、新道場駅で出征を見送ったり、また…遺骨を受け取りにいったり…
と、大変貴重な話を伺う事ができました。
そして、区役所道場出張所に行けば何かあるハズ、と教えてもらい、御礼を申し上げ早速!と赴いてみました。
すると、「道場の歴史」なる小冊子を入手、3ページながら貴重な記述がありました。
…実は「道場町史」なる大きな本もあり、その中6ページほど掲載されていたのですが、値がかなり張るのでひとまず^^;
小冊子「道場の歴史」の中には、他に現在の国道176号線や中国道のルートからの敷設計画もあったとあり、赤坂峠に阻まれ計画は断念…とありました。
確かに中国道の西宮北~宝塚の区間は凄まじい急坂、特に下り側は雨天時は事故が頻発する危険!地帯です。
迂回ルートもなく、トンネル掘削の予算も捻出できるほどの路線でもなかった有馬への鉄道での東からのアプローチは、結局三田~塩田~道場~二郎~山口~有馬コースの選択が為された、という変遷の様です。
…そして、嬉しかったのが'汽車'に関する記述。
"開業当初(大正四年)は3050型、晩年はC12型が使用された"、とありました。
私が他に入手した資料と比べると、私なりに若干疑問が発生!?してしまうのですが…
'開業当初'に使用されたとされる3050型蒸気機関車、即ち先記事に上げた画像の汽車、と…いうことになるのでしょう、では少し考察してみましょう。
画像を加工してみましたが、アメリカ・ボールドウィン社製の当時の機種の傾向も踏まえて、プレーリー配置で間違いない様です。
只今、現時点'3050型'に関する資料は得られておらず…
国鉄表記からして、旅客型タンク車、というのは間違いはないのですが…
して先程の'疑問'に際し、まず私が以前仕入れた資料には'4500型'蒸気機関車がほぼ専用に近い形で投入されていた、との記述がありました。
この'4500型'に関してはマレー式というかなり特殊な車輪配置で、2両しか輸入されなかった'珍品'、いうなれば'高価'なモノですが有馬線の急勾配や急カーブを考慮すると必要性止む無しか、と頷けるものですが…
十年近く活躍していたハズなのですが、それだけ特殊な機体に関して触れられていないのが、どちらに関しても疑問を呈さざるを得ません。
加えて'晩年はC12型が投入された'、と…
これに関しては'C12型'、これは国産タンク車の名機、400両近く量産されたものの…
当時貨物輸送が全国的に繁忙を極めていた筈であり、客貨双方に活躍できる'C12型'が有馬線の様な閑散区に投入されたとは、私的には考えにくいのです…
あともう一つ、有馬線で使用されていた機関車が九州で保存されている、との情報も得ました。
これに関しても早い段階で調査し、風化しつつある資料を少しでも掻き集め、史実を見極めていきたい、と思います。
次記事には'補遺'として、資料探しにあたり浮かび上がってきたその他の史実を述べておきたく、挙げさせて頂きます。
(続)
やはり戦時下に廃止、撤去された事もあり、そんな時期に記録を残すなぞ為されるハズもないか…
と半ば諦めてはいるものの、この際思い切って!と、道場町の広場でゲートボールを勤しんでおられたご年配の方に声をかけてしまいました^^;
オヤツをわけてもらいながら(‥;)色々な話を。
駅前の広場で遊んだお話。
夕方の便を合図に家に帰ったお話。
そして、新道場駅で出征を見送ったり、また…遺骨を受け取りにいったり…
と、大変貴重な話を伺う事ができました。
そして、区役所道場出張所に行けば何かあるハズ、と教えてもらい、御礼を申し上げ早速!と赴いてみました。
すると、「道場の歴史」なる小冊子を入手、3ページながら貴重な記述がありました。
…実は「道場町史」なる大きな本もあり、その中6ページほど掲載されていたのですが、値がかなり張るのでひとまず^^;
小冊子「道場の歴史」の中には、他に現在の国道176号線や中国道のルートからの敷設計画もあったとあり、赤坂峠に阻まれ計画は断念…とありました。
確かに中国道の西宮北~宝塚の区間は凄まじい急坂、特に下り側は雨天時は事故が頻発する危険!地帯です。
迂回ルートもなく、トンネル掘削の予算も捻出できるほどの路線でもなかった有馬への鉄道での東からのアプローチは、結局三田~塩田~道場~二郎~山口~有馬コースの選択が為された、という変遷の様です。
…そして、嬉しかったのが'汽車'に関する記述。
"開業当初(大正四年)は3050型、晩年はC12型が使用された"、とありました。
私が他に入手した資料と比べると、私なりに若干疑問が発生!?してしまうのですが…
'開業当初'に使用されたとされる3050型蒸気機関車、即ち先記事に上げた画像の汽車、と…いうことになるのでしょう、では少し考察してみましょう。
画像を加工してみましたが、アメリカ・ボールドウィン社製の当時の機種の傾向も踏まえて、プレーリー配置で間違いない様です。
只今、現時点'3050型'に関する資料は得られておらず…
国鉄表記からして、旅客型タンク車、というのは間違いはないのですが…
して先程の'疑問'に際し、まず私が以前仕入れた資料には'4500型'蒸気機関車がほぼ専用に近い形で投入されていた、との記述がありました。
この'4500型'に関してはマレー式というかなり特殊な車輪配置で、2両しか輸入されなかった'珍品'、いうなれば'高価'なモノですが有馬線の急勾配や急カーブを考慮すると必要性止む無しか、と頷けるものですが…
十年近く活躍していたハズなのですが、それだけ特殊な機体に関して触れられていないのが、どちらに関しても疑問を呈さざるを得ません。
加えて'晩年はC12型が投入された'、と…
これに関しては'C12型'、これは国産タンク車の名機、400両近く量産されたものの…
当時貨物輸送が全国的に繁忙を極めていた筈であり、客貨双方に活躍できる'C12型'が有馬線の様な閑散区に投入されたとは、私的には考えにくいのです…
あともう一つ、有馬線で使用されていた機関車が九州で保存されている、との情報も得ました。
これに関しても早い段階で調査し、風化しつつある資料を少しでも掻き集め、史実を見極めていきたい、と思います。
次記事には'補遺'として、資料探しにあたり浮かび上がってきたその他の史実を述べておきたく、挙げさせて頂きます。
(続)