別府鉄道。 後編 ; ~であいのみち~
先記事の'まつかぜこみち'編、'まつかぜこみち'とは、野口線(ほぼ全区間)を整備して造られた遊歩道の愛称で、同じくして土山線(の一部)を整備した遊歩道が'であいのみち'と称されています。
前回の円長寺から、別府迄は先述の幾つかの踏切跡に残る線路を見つつ、整備されきってしまった歩道が続きます。
言うなれば何も遺っていません。
明姫幹線は'くぐって'…アレ!?‥と違和感を感じつつ先へ進みます。
これに関しては後程。
して程なく別府駅跡、に到着します。
山陽電鉄をくぐる前、アレまつかぜこみち'を振り返り。
山陽ガード下に遺る煉瓦積。
くぐり抜けると別府駅跡はヤード跡然とした南北に細長い敷地には'伊藤! よう、加藤'…
…ボキャ天ネタです、失礼しました、'イトー○ーカドー'が建てられ、残念な事に判然としません。
もう少し時間をとってゆっくり見てみれば何かわかるかもしれませんが。
では土山線へと赴きます。
山陽ガード下をくぐって振り向いて。
こちら側は単線分そのままに、車道となっています。勿論離合は不可、です。
以降、暫くは片道一車線の道に整備されており、再び明姫幹線と相見えます。
渡ってからふりかえると…
さっきからやたら'ふりかえって'ますが…
これは撮影ルートと紹介ルートが違うからです、ブッ○ャケ。(キ○タク風ではなく'オボッチャマ'横山たかしサン風に読んで下さいね-_-)ヤヤコしくてすみません。
で、画像の跨道橋…の橋台を見て頂きましょう。
画像奥側には道が架かっていないのです。
即ち明姫幹線東行きは道を跨ぎ、西行きは地ベタになっているのです。
同様に高砂線の部分も…
この事実から推察するに、跨道橋計画途中段階で両線の廃止が決まり、跨道化を中止したためではないかと思われるのです。飽く迄私の見解ですが。
して、先に進むと程なくして…
道脇に貨車が据え置かれています。
下部を覗き込むとハッキリ'ワ124'と判読できますね。
'府鉄道'と判読できます。この画像の左側ステーを跨いで'別'の文字も判読できます。間違いなく別府鉄道の私有貨車ですね。
更に進むと道沿いには'川崎重工 加古川工場'があります。
ふと柵越しに敷地内を見ると…
何と、レールが見えました。前後は舗装等が施され、トギレトギレになってはいますが…
これは、航空写真ではっきりしたのですが、先程の貨車が置いてあった辺りから分岐し、工場敷地内へ引込線が敷かれていたのです。
航空写真では複数の線路を伴った小規模ヤード状態が確認できます。
更に調査した結果、この川重 加古川工場では貨車が製造されていたらしいのですが…
その為に引込線が設けられたのか…少し考えにくいですが、余程の量産態勢をとっていたのか、或いは他の生産品も搬出すべくとの目的があったのか。更に調査を続けたいです。
やがて、車道は突き当たり…
ここからは'であいのみち'として整備されているのですが…
一応ふりかえっておきましょう><
'であいのみち'は大中遺跡の中を豪快に横切っています。
即ち、別府鉄道は遺跡を'破壊'していた事になります。
…
して、貫通!?後、喜瀬川を渡る橋は新しい人道橋に架け替えられ、以後土山迄は一部区間、消滅していたり、未調査です。
次回に調査したいと思っております。
では、次記事は最終章として、偉大なる別府鉄道の遺産を紹介したいと思います。
(了)
前回の円長寺から、別府迄は先述の幾つかの踏切跡に残る線路を見つつ、整備されきってしまった歩道が続きます。
言うなれば何も遺っていません。
明姫幹線は'くぐって'…アレ!?‥と違和感を感じつつ先へ進みます。
これに関しては後程。
して程なく別府駅跡、に到着します。
山陽電鉄をくぐる前、アレまつかぜこみち'を振り返り。
山陽ガード下に遺る煉瓦積。
くぐり抜けると別府駅跡はヤード跡然とした南北に細長い敷地には'伊藤! よう、加藤'…
…ボキャ天ネタです、失礼しました、'イトー○ーカドー'が建てられ、残念な事に判然としません。
もう少し時間をとってゆっくり見てみれば何かわかるかもしれませんが。
では土山線へと赴きます。
山陽ガード下をくぐって振り向いて。
こちら側は単線分そのままに、車道となっています。勿論離合は不可、です。
以降、暫くは片道一車線の道に整備されており、再び明姫幹線と相見えます。
渡ってからふりかえると…
さっきからやたら'ふりかえって'ますが…
これは撮影ルートと紹介ルートが違うからです、ブッ○ャケ。(キ○タク風ではなく'オボッチャマ'横山たかしサン風に読んで下さいね-_-)ヤヤコしくてすみません。
で、画像の跨道橋…の橋台を見て頂きましょう。
画像奥側には道が架かっていないのです。
即ち明姫幹線東行きは道を跨ぎ、西行きは地ベタになっているのです。
同様に高砂線の部分も…
この事実から推察するに、跨道橋計画途中段階で両線の廃止が決まり、跨道化を中止したためではないかと思われるのです。飽く迄私の見解ですが。
して、先に進むと程なくして…
道脇に貨車が据え置かれています。
下部を覗き込むとハッキリ'ワ124'と判読できますね。
'府鉄道'と判読できます。この画像の左側ステーを跨いで'別'の文字も判読できます。間違いなく別府鉄道の私有貨車ですね。
更に進むと道沿いには'川崎重工 加古川工場'があります。
ふと柵越しに敷地内を見ると…
何と、レールが見えました。前後は舗装等が施され、トギレトギレになってはいますが…
これは、航空写真ではっきりしたのですが、先程の貨車が置いてあった辺りから分岐し、工場敷地内へ引込線が敷かれていたのです。
航空写真では複数の線路を伴った小規模ヤード状態が確認できます。
更に調査した結果、この川重 加古川工場では貨車が製造されていたらしいのですが…
その為に引込線が設けられたのか…少し考えにくいですが、余程の量産態勢をとっていたのか、或いは他の生産品も搬出すべくとの目的があったのか。更に調査を続けたいです。
やがて、車道は突き当たり…
ここからは'であいのみち'として整備されているのですが…
一応ふりかえっておきましょう><
'であいのみち'は大中遺跡の中を豪快に横切っています。
即ち、別府鉄道は遺跡を'破壊'していた事になります。
…
して、貫通!?後、喜瀬川を渡る橋は新しい人道橋に架け替えられ、以後土山迄は一部区間、消滅していたり、未調査です。
次回に調査したいと思っております。
では、次記事は最終章として、偉大なる別府鉄道の遺産を紹介したいと思います。
(了)