リューイン・アライズ

リューイン・アライズ

独立地区アライズを襲った突然の悲劇と、反政府組織「光」。生き残った少年リューインは、どんな道を選ぶのか。ブログ小説です。

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レオナは混乱していた。そして、どこかでこれと似たような感覚に襲われた気がすると、自身の記憶を辿っていた。

 

そうだ、あの日。コートレスト山の森を抜け、想定外の景色を目の当たりにしたあの時の感覚に似ている。この世界が、何も知らない自分を嘲笑っているかのような気分。しかし、あの時の絶望と違い、今は胸に微かな希望を抱いている。そのこともまた、レオナは自覚していた。これと同じ気持ちを、きっとヒカリも感じたはずだ。自分は彼に近づいている、と。

 

*   *   *   *   *

 

ホンの村を出た後、コートレスト山を見つめながらしばらく思案に耽ったレオナは、向かって左側、リューインの持っている《コンパス》が指すところのS=南の方角に進み始めた。そして、点々と位置している村々に立ち寄り、ヒカリについて尋ね歩いた。どの村にも、わずかだがヒカリの足跡はあった。ある者は「完治しないと諦めていた怪我を治してくれた」と涙を流し、ある者は「夜通し酒を飲みながら語り明かした」と笑った。

 

ヒカリの話をきっかけにして距離が縮まった者は、共通してある助言をしてくれた。「この先の森には入るな」ということだった。ある者は「神聖な場所だから立ち入ってはいけない」と忠告し、ある者は「獣が棲んでおり危険だ」と注意喚起した。不可解だったのは、村が森に近づけば近づくほど、「とにかく入るな」などと、その根拠が曖昧になっていったことだ。森に最も近い村では、こちらが「森」という言葉を発するだけで、相手が黙り込んでしまった。

 

実際に入った森は、確かに獣が棲んでいた。しかし、コートレストほどの数ではなかった。言われてみれば神聖な感じもしたが、それもまた、コートレスト山ほどではなかった。身を潜めることに慣れているレオナは、難なくその森を抜けることができるはずだった。

 

森に終わりが来ない。

 

何日歩いただろう。村で調達した食料が、あとわずかで尽きる。まさか、この世界にこれほど広い森が存在しているとは。

 

いや、そうではない。この不可思議な状況を、レオナは知っていた。ただひたすらに同じ方向へ進んでいるにもかかわらず、右に左にぐねぐねと曲がっている感覚。

 

間違いない。隠されているのだ。あの方法で。

 

レオナは歩みを止め、幾本も地に根付いているように見える木々の一つに手を触れた。掌には、確かに木に触れている触感があった。レオナは目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませた。「木に触れている」と感じていた自身の五感が、「そうではない」と気づき始める。これは木ではない。ここに木は存在しない。常人には分かるまい。しかし、幼き頃より磨かれてきた感性が、違和感の答えを教えてくれる。このトレーニングは、ヒカリとレオナの日課だった。

 

慎重に、丁寧に、レオナは一本一本の木に触れた。どの木にも、「触れているようで触れていない」ような感覚があり、それが木ではないことを物語っていた。十数年ぶりの経験だったが、すぐに勘を取り戻したレオナは、どんどんペースを上げた。間違いない、今日が本番なのだ。

出発の朝。

頭の中でそんな言葉が浮かんだリューインは、何度目の「出発の朝」だろうと考えた。


15年間、村から出たことがなかったのに。


懐かしい顔が浮かんで苦しくなる。しかし、以前と比べて胸の締め付けが緩くなってきていることにリューインは気がついていた。出会った人がそうさせているのだろうか。新しい誰かと出会うことで、人は強くなれるのだろうか。いや、そうではなく、ただ忘れていくのだろうか。


ジンのあいさつ回りは長時間に及んだ。一軒一軒を回り、一人ひとりとしっかりと話し込んでいるようだった。


「すまんな。簡単に済ませようと思ってるんだけどよ」


村の入口で待つリューインとアオイに向かって申し訳無さそうにそう言うと、ジンは最後の家に入った。


「ああ見えて、意外と律儀なんだよあの人」


二人の傍らにいたユリは腕組みをしながらそう言ったが、ジンには皆にそれだけ伝えたいことがあったのだ。彼にとってのホンとそこに住む人たちは、彼の人生そのものだった。


*   *   *   *   *


しばらくして、ジンがケンと共に最後の家から出てきた。ユリと目が合い一瞬そらしてしまったが、思い直してもう一度ユリを見た時、彼女は自分の背後を歩くケンを見ていた。


「待たせたな。さ、行くか」


そこまで大きな声ではなかったにも関わらず、ジンのその言葉の後、村中の人たちが示し合わせたかのように家から出てきた。入口の周りに集まった皆は、何を言うわけでもなく、どこか寂しげに立ち尽くしていた。


「何だ、集まってくれるんだったら、わざわざ一軒一軒回るこたぁなかったな」


頭を掻きながら照れたように笑うジンを、全員が見ていた。それがわかったから、ジンも今度は一人ひとりと目を合わせた。


「さっきも話したが、しばらく町を空ける。こいつらには身寄りがない。だからと言ってここに置いておいても危険だ。お互いにとってな。とりあえず二人の新しい生活が落ち着くまでは俺が責任を持って面倒を見る」


リューインが何かを言おうとしたのを、ジンが今度はすごく大きな声で止めた。


「責任、と言ったが、お前たちが責任を感じることは一切ない。これは俺のわがままだ。だからこそ、また俺のわがままでここに帰ってくる。まだまだ代替わりとは思ってないからな。俺が帰ってくるまで、町のことは頼んだぞ」


ジンはそこまで言うと「じゃあな」と皆に背を向けて歩き出した。と、すぐに立ち止まり、ずっと俯いているケンの方を向いた。


「ホン酒のことは、お前に任せる。こっちは代替わりだ」


ケンは顔を上げて、はい、という声にならない声で一つ頷いた。顔を上げたのは、下を向いていたら、溜まっていたものが今にも零れ落ちそうだったからだ。


ケンの傍らにいたユリの側を、ジンが通り過ぎて行く。伝えたい気持ちはたくさんあるのに、どれもこれも、言葉にならない。あと一日あれば思いつくかもしれないのに、どうして何年も言葉にしなかったんだろう。


遠ざかる背中を見つめることすらできず、ユリは俯いて目を閉じた。握りしめた拳で圧力がかかったかのように、ぎゅっと握る度、目から涙が溢れてきた。しかしその涙は、一粒も地面に落ちることはなかった。溢れ出た頃に、大きな体がその涙を自身の胸に押し付けた。つぶされそうになるくらい強い力で、でも、すごく優しい力で。


「お父さん、ありがとう」


ジンは、最後にこんな風に抱きしめたのはいつだったか思い出していた。その頃に比べ、頭の位置が随分変わっていることに気がついて、思わずもっと強く抱きしめた。


*   *   *   *   *


「さあ、どこに行くガキども。世界は広いぞ」


リューインは、久しぶりにコンパスを取り出した。そして、Wのマークが示す方を指差した。


「僕は、ずっと向こうから来ました」

「なるほど。ホンの向こう側の端がユーフォだから、遠ざかるならそっちなんだが・・・」


リューインは、ジンの何気ない言葉に違和感を覚えた。「端(はし)」って一体、何だろう。その向こうには一体何があるんだろう。何もなくなってしまったアライズで、僕が呆然としていたら、僕の前の方からレオナさんが現れた。そして僕たちは、前の方へ進んでいった。コンパスのEが指す方向へ。じゃあ、僕の後ろ側には何があったんだろう。何もなくなった景色に向かって進めば、「端(はし)」があったんだろうか。


アオイの方を見ると、彼女は相変わらず無表情で立ち尽くしていた。


「僕、あっちの方とか、まだ知らないです。こっちも。端っこまで、見てみたいです。まだ知らない町とか、あるかもしれない」


リューインは、ホンを背にして左側と右側をあっちこっち指差しながら、生き生きと話し始めた。自分が追われている身だとわかっているのだろうか、とジンは少し不安になったが、悪い気はしなかった。自分が初めてこの土地を見つけた時のことを思い出し、あの頃の自分と重ねていた。


「確かに、政府の管理下では動きにくかったが、今なら好きな場所へ行ける。行ってみるか。知らないところへ」


リューインは目を輝かせ、大きく頷いた。ジンがアオイの方を見ると、口元が微かに緩んでいるように思えた。

その広い集会所が使われるのは、ジンがホンの長になってから3度目のことだった。1度目は着任のあいさつ、2度目は実の娘ユリが亡くなった時だ。それ以来、ジンは意図的に集会所を使わないようにしていた。何もないガランとしたこの空間に入ると、嫌でもあの日のことを思い出す。この日、ジンが埃だらけの集会所に村人たちを集めたのは、ある種の決意の表れでもあった。


「今回集まってもらったのは言うまでもない。えぐれた地面を見て、不安になった者も多いだろう。今日まで黙っていたことを許してほしい」


遠慮のかけらもない普段の口調と違い、低く落ち着いた声で話し始めたジンを見て、そこにいた村人たちは皆、事の重大さを悟っていた。


「一昨日の早朝、村にユーフォの連中が来た。初め、あいつの粗相を咎めに来たのかと思ったが、どうも様子がおかしかった。目的はユリじゃない。明らかに別の“何か”だった。殺気を感じた俺は、これ以上村を歩かせちゃいけねえと思い、あれを放った。だが、やつらが持っていたおかしな道具に全て吸い込まれちまった」


それまで静かに聞いていた村人たちの中にざわめきが起こった。ただごとではないという不安が的中し、皆、動揺を隠せなかった。


「そうだ。やつらは、あの力を研究している。自分たちでコントロールしようとしている。そして、それはもう形になってやがる」


ジンと同世代の村人の一人が、思わず立ち上がり、ジンに尋ねた。


「おい・・・前にユーフォが村に来た時、やつらは力を持っていないって得意げに言ってたよな?」


「ああ、そうだ。あの時、確かにやつらは俺の力を目の当たりにして腰を抜かしていた。あれ以来一度も村に来なかったのは、手を出したら危険だと思ったからに違いない」


ジンの返答に、村人は合点がいかない様子だった。


「じゃあ、一度お前の力を見ただけで、自分たちのものにしたってのか・・・?」


ジンはうつむいてかぶりを振り、ここからが本題というように静かに顔を上げた。


「人を使って、実験をしてるんだ」


村人たちの反応は、あまりに予想外な答えだったからか、無に等しかった。


「これは俺の予想でしかない。だが、現に力を持った子ども二人がユーフォの施設に幽閉されていた」


あの子たちが力を?どよめく群衆の中、唯一その目で真実を見たユリだけが冷静を保ちジンを見つめていた。ユリがユーフォでの一部始終を伝えたのは、義父であるジンだけだった。


「おいおい、ユーフォはただの監視団体だろ・・・?保護していただけなんじゃ・・・」


「髪の長い嬢ちゃんは、ユリや坊主とは別の場所に入れられていたそうだ」


若い村人からの問いかけに、間髪入れずジンは答えた。疑問符が浮かぶ村人たちに、ジンは更に付け加えた。


「施設から離れた森の中、まるで危険な獣でも閉じ込めるかのように」


疑問符が半分ほど消えるのがわかった。勘の良い村人たちの“まさか”に印を押すべく、ジンは口を開いた。


「あのえぐれた地面は俺じゃない。もちろん、やつらでも。まだひよっこのガキが一瞬で作った産物だ」


ユリは、自分以外の全ての村人に悪寒が走るのを感じた。村人たちはしばらく愕然とし、次に、はっとしたように辺りを見回した。


「いないよ。まだ疲れて寝てる」


ユリがぶっきらぼうに言い放った。ほっとした空気が流れたのも束の間、村人たちのほとんどがジンに異論を唱え始めた。


「ジンさん、ユーフォは俺たちに危険が及ぶからあの子を連れ戻しに来たんじゃないのか?そう考えるのが自然だろ。強い力を持つ人間は危険だから隔離していたんだよ。それを・・・ユリちゃんが・・・」


ユリは何か言おうとしたが、口を開いただけで飲み込んだ。


「すぐにユーフォに引き渡すべきだ。少なくとも、今まで彼らはこの村に何の害も与えていない。しかし、あの子たちはどうだ。恐ろしい力でこの村を壊してしまうかもしれない。目の前で見たのはあんただろう?」


「力を吸収する道具も、強い力から身を守るために作ったものなんじゃないのか?世界を守るための研究をしているんだよ、きっと」


「それなら、力を使ったユリちゃんを閉じ込めた理由もわかる。ジンから一時的に譲渡されたものだなんて、彼らは知らないからな」


「とにかく、一刻も早くあの子どもたちを村から遠ざけなきゃいかん」


その場の雰囲気は、皆の意見が一致しているように流れていた。が、決して全員が同じ意見ではないことは何となくユリにもわかった。その中で彼女が目視できたのは、腕組みをして入り口の壁にもたれているケン一人だったが。村人たちが騒ぎ立てる中、ジンが目を閉じたまま何も言わないので、ユリがしびれを切らして叫んだ。


「だからこうなるに決まってるって言ったじゃん!やっぱりみんなには黙っておくべきだったんだよ。それで、わたしが一緒にあの子たちと出ていけばいい話でしょ」


一瞬の沈黙の後、ユリの言葉に対しても猛反発が沸き起こった。


「こんなに危険なことを黙っておくつもりだったのかよユリちゃん!」


「わたしたちを信用していないのか!」


「何でユリちゃんが一緒に出ていかなきゃならないんだ!」


「しかし、あの子たちを逃がしたけじめはつけないといけないだろ!」


「ジン、ユリちゃんの親代わりのあんたが、あの子どもたちをユーフォに連れて行くんだ!」


ユリは村人たちが互いに言い合うのを黙って聞いていたが、矛先がジンに向けられた拍子に、握りしめた拳と噛みしめた唇が弾けた。


「一体・・・一体誰のおかげでこの村は平和に暮らせていると思ってるの・・・?ユーフォ?政府?違う・・・ジンの赤い力のおかげでしょ!?道を切り開いて、荒れ地を耕して、侵略者を追い返して・・・今まで散々あの力に頼っておきながら、今更力を否定するなんて虫がよすぎるよ!!」


村人たちの喧騒が一瞬で静まり返った。ユリの大きな声に驚いたからでも、ユリの言葉の内容に心が動かされたわけでもない。ユリが、実父ではないジンを思って涙を流しているのを、初めて目にしたからだ。