再び岡本太郎『今日の芸術』からの引用。


「公言は公約です。『おれこそ芸術家である』と宣言した以上、すべてそれ以後のわざわいは、おのれだけに降りかかってくるのです。だまっていれば無事にすんだものを。しかし、ノッピキならない立場に、自分を追い込まなければいけない。言ったばかりに徹底的に、残酷なまでに責任をとらなければなりません。言ったことが大きければ大きいほどそうなんです。…(中略)…自分を積極的に主張することが、じつは自分を捨ててさらに大きなものに賭けることになるのです。だから猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めてゆくべきです」



もしも、僕が自分の夢と目標を、一度も宣言せずに今日を迎えていたら。
きっと、すでに夢は霧散して、なつかしい野の花のような、思い出に成り果てていただろう。


僕一人の力では、今日まで信念を持ち続けることはできなかった。
夢を吹聴し、語り回ることで、いつしかそこで「語られる自分」が
「それ以外の自分ではありえない」ほどに、確立されていった。


22歳の僕は、今抱いている夢を、もう絶対に手放すことはできない。
手放すには、多すぎる人達に、宣言をし終えてしまっている。
すでに僕の夢は彼らに共有されており、たとえばもし、僕が途上で諦めたなら
それは失望の眼差しとなって、全方向から僕を責め立てるだろう。
そして、僕の人間としての面白みは消滅し
生殖機能を持て余した、ただの男と成り果てる。


>言ったばかりに徹底的に、残酷なまでに責任をとらなければなりません。


岡本太郎の言葉は、時に大げさに聞こえる。
しかし、彼にとっては大げさでもなんでもなく、
彼が実感として抱いている真剣さと切実さを表現するには
主食に次ぐ主食というような、力強い言葉を重ねるしかないのだろう。
それほどの大げささで、「宣言をした」という行為に責任を持つということ。
きっと誰でも、宣言をするときには、何があってもそれを断行すると
ありったけの切実さで決意した筈だ。
もし、それすら守りきることができないとしたら、
それだけ搾り出した自分の言葉すらコロコロ変わるようでは、
以降、どんな言葉をも全く意味をなさないだろうし、
人間としての価値は、瓦解していくだろう。
最近めっきり映画を見なくなってしまったのは、最低限の生活費とデート代を除いた全てをジャズに費やしていたからであるが、久々に「GEO」に立ち入ってうろついてみると、オードリー・ヘプバーン特集が目に入って、借りないわけにはいかなくなった。少し悩んで「funny face」を選択したのだが、これは1年前にこの作品を観た時の、心躍る感覚が急に蘇って我慢できなくなったからだ。 


「funny face」は1957年にアメリカで公開されたミュージカル映画で、監督は「雨に歌えば」のスタンリー・ドーレン、脚本はブロードウェイ脚本家のレナード・ガーシェ、音楽は巨匠ジョージ・ガーシュインが担当している。もともとは1927年に公演された同名のミュージカルがあったそうで、映画にも主演したフレッド・アステアは、この舞台でも同じく主役をはっているというから驚きだ。最初にこの映画を観た時、「年の離れたカップルができあがったな」と、物語に浸りながら頭の片隅で考えていたが、この時アステアは58歳。オードリーよりも30歳年上であった。


フレッド・アステアは20世紀最高のミュージカル・スターと称され、ハリウッドの黄金時代を築いたダンサーだ。1899年生まれ。17歳でブロードウェイ・ダンサーとして活躍をはじめ、1933年のミュージカル映画「ダンシング・レディ」への出演以来、68年の「フェニアンの虹」まで30作ミュージカル映画に出演し、その後も俳優として活躍を続けた。彼のミュージカル映画を観た事がない人には是非観ていただきたいのだが、彼のダンスの「キレ」は他の追従を許さない、圧倒的なものを感じる。アステアのダンスを観終わった時、僕はいつもひとりで拍手を送っている。この「funny face」出演時は、もちろん全盛期を過ぎており、一時期の動きのキレや俊敏さは望めないものの、ガーシュインの"Let's Kiss And MAke Up"に合わせて舞う、闘牛士をイメージしたソロダンスでは、極上のエンターテイメントを提供してくれる。映画では2階部屋の窓から、オードリーがニコニコしながら見下ろしているが、画面越しの僕達も、ニコニコしてしまうこと請け合いなのだ。


この映画に関してオードリーは、インタビューで次のように語っている。
「フレッド・アステアと踊ることができる体験は、私にとって、夢のような時間でした。ミュージカルを志す者であれば、アステアとの競演は誰もが憧れるものなのです」 1年前に読んだ本なので細かい部分は忘れてしまったが、アステアとの競演がどれだけ素晴らしいことだったか、目をうっとりさせながら語るオードリーの姿が、イメージとして焼きついている。


この映画でオードリーはとてもしなやかで、美しく、瑞々しい、素晴らしいダンスを披露してくれる。僕はこの映画のオードリーを観て以来、背中から腰にかけてのラインが美しい人を追いかけるようになってしまった。僕でなくとも、彼女の美しい身体のラインに憧れを抱いた人は数多くいたはずだ。オードリーはもともとはイギリスはロンドンのバレエ学校に通っていて、マリー・ランバートという著名なバレリーナの先生を師事していた。オードリーはバレエで生計を立てようと思っていたのだが、オードリーの身長が高すぎたために、プリマの道が開かれることはなかった。その代わりに、細々と映画の脇役を務めるようになり、しばらくして、ブロードウェイ上演舞台である「ジジ」に抜擢され、53年の「ローマの休日」で人気が爆発する。この「funny face」では、オードリーがいかに真剣にバレエを学び、身体的な美を身につけてきたかということがよくわかる。ダンスに限らず、何気ない身体動作の一つ一つに、洗練された美しさを感じることができる。


僕が一番好きなシーンは、パリの様々な場所での撮影の模様で、特に、赤いドレスを身に纏ったオードリーが「take a picture! take apicture!!」と歓喜に叫びながら、大理石の階段を軽やかに舞い降りてくるシーンだ。カメラマン役のアステアは、「stop! stooop!!」とオードリーを制止するのだが、オードリーは嬉しさのあまり「止まることなんでできないわ!」と、真っ赤なストールを広げながら満面の笑顔を浮かべている。この素晴らしい瞬間を早くカメラに納めなくては、とアステアは本気で焦っていて、実際、全ての瞬間、コンマ一秒でも無駄にできない瑞々しい魅力でオードリーは溢れている。実際の現場でも、一瞬一瞬多様に変化するオードリーの表情を追いかけるのに、カメラマン達は一生懸命だったそうだ。僕だってそうだ。まばたきする時間がもったいない。美しさに感動する経験を、僕はこの映画で初めてしたんだ。 
 

とまあ、本当は他にやることがあったのに、オードリーにメロメロになってしまい、書きたい衝動を抑えることができなかったんだ。もう少し書きたい気持ちもするが、今回初めて、全て英語の文献を当たって訳していたから目が疲れてしまった。しばらく時間を置いてからまた勉強してみよう。本当に、オードリーって、素敵なんだ。 

2011年3月12日に九州新幹線が開業し、鹿児島から博多までがひとつながりになりましたが、そのCMは東日本大震災の影響で、わずか3日間しか放映されませんでした、いま、そのCMがネットで話題になっているのでさっそくyoutubeで見てみたが、九州という土地のあたたかさとマンパワーが伝わる、元気になるCMになっていた。




ameba4月22日 JR九州の新幹線TVCMに称賛の嵐!! 「元気が出る」「涙があふれた」
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九州新幹線全線開業を記念して製作されたJR九州のTVCM“祝!九州”がネットを中心に「元気が出る」「涙があふれた」と大きな反響を呼んでいる。


 九州7県を縦断する新幹線が開業したのは3月12日。それに伴いTVCMは9日からオンエアされた。しかし、その2日後、東日本大震災が発生。CM自粛の動きの中で、わずか3日間しか放送されなかった。しかし、JR九州ではホームページ上でCMを配信、その映像が口コミで伝わり大反響を呼んでいる。

 “祝!九州”で始まる180秒のCMでは、九州7県を表す7色の新幹線が鹿児島から博多までを縦断。その窓からは、新幹線の開業を祝ってウェーブする人々が映し出される。 登場するのはすべて一般市民。JR九州ではCM撮影のためホームページ上で協力を呼びかけたのだ。“九州縦断イベント”と銘打ったこの企画では「新幹線が来たら元気よく手をふりましょう。通過後、ちょっと寂しくなるくらい盛り上がりましょう」などイベントを楽しむための9か条も提示された。

 必死で新幹線を追いかける子供たち、飛び上がって手を振る大人たち。CMのテーマは「九州みんなでひとつになろう」。新幹線開業を通じて九州の人々がひとつになる様を優しく描いたCMに「元気が出る」「全国放映してほしい」など多くの声が寄せられている。

 CMは4月23日より九州地区にてオンエアが再開される予定。九州地区以外の人でもJR九州ホームページから閲覧することができる。

産經新聞4月22日「廊下で仮眠、食事…これが原発作業の最前線「Jヴィレッジ」だ」
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「第1原発行きのバスが出まーす」。拡声器を通した声がロビーに響く。防護服を着て乗り込む人。すぐ脇の廊下で横になって仮眠する人。壁に張られた予定表や線量に関する注意書き。東京電力福島第1原発事故の対応拠点として、作業員と自衛隊員でごった返す「Jヴィレッジ」(福島県広野町など)を共同通信が取材した。

 第1原発から20キロ圏が警戒区域に設定される直前の21日朝、いわき市からJヴィレッジに向かう国道6号は作業着姿の男性たちを乗せたバスやワゴン車で混雑していた。20キロ地点に設けられた警察の検問を通り、Jヴィレッジに入る。

続きはコチラ
↓↓↓↓
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/crm11042221320012-n1.htm
産經新聞4月22日「廊下で仮眠、食事…これが原発作業の最前線「Jヴィレッジ」だ」
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「第1原発行きのバスが出まーす」。拡声器を通した声がロビーに響く。防護服を着て乗り込む人。すぐ脇の廊下で横になって仮眠する人。壁に張られた予定表や線量に関する注意書き。東京電力福島第1原発事故の対応拠点として、作業員と自衛隊員でごった返す「Jヴィレッジ」(福島県広野町など)を共同通信が取材した。

 第1原発から20キロ圏が警戒区域に設定される直前の21日朝、いわき市からJヴィレッジに向かう国道6号は作業着姿の男性たちを乗せたバスやワゴン車で混雑していた。20キロ地点に設けられた警察の検問を通り、Jヴィレッジに入る。

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