これは何も子どもに限ったことではなく、学校や会社という他者と接さなければならない組織になじめない人というのは、確実に存在しています。

私も、どちらかと言えばそちらの人間で、知らない人たちと一緒に行動するのがとても苦手なタイプです。

それを「どうしてそうなの?」と聞かれても、そこに明確な答えなどなく「そういう性格なんです」としか答えようがありません。


ですので、学校になじめない子どもがまわりにいた場合、無理に「なじまそう」と思ってあれこれと対策を練りすぎるのは、逆効果だと私は思っています。

そうではなくて、自然とその子どもが学校になじんでいくのが理想的です。

それはなかなか難しいことですが、親や学校の先生、地域の住民などは、その子どもがどんなことに興味があり、何が得意なのか、などの個性をよく会話して聞き出すことが必要です。

すると、学校になじめそうな要素が出てくるかもしれませんので、それをきっかけにまわりはその子どもの背中をそっと押してやればいいのです。

あくまでそっと押すだけで、無理やりはいけません。そこのさじ加減が難しいのですが、それが私はベストな対処方法だと思っています。

以前、私が小学校5年生のときに、私の1番の友人が不登校になってしまいました。

原因は、学校での度重なるいじめです。私は、彼とクラスが違ったため、そのいじめに気付くことはなく、彼が不登校になってから初めて気付いたのでした。

それまでは、彼も私を心配させまいとしたのか、そういった素振りを一切私に見せなかったのです。

そんな心優しき彼ですから、ひっそりと学校に行かないという選択をすることに決めたのだと思います。


私は、はじめは学校に行くように説得したのですが、頑なに否定するので、私は彼の意向を尊重することにしました。

学校に行こうが行くまいが、彼が私の友人であることに変わりはないということを感じたからです。

それからというもの、小学校はそのまま不登校でしたが、中学生になってからはいじめグループと離れたこともあり、何とか学校に行けるようになりました。

このできごとから私が学んだのは、無理に学校へ行かせようとするのはむしろ逆効果だということです。

つまり、不登校になってしまった人間の気持ちを良く理解して、その人自らが学校に行くという気持ちになるのを、周りは辛抱強く待つことも大切なことなのです。

学校生活において、最も重視しなければならいのは、教師との関係である。教師は権力者であり、大人であり、そして人間である。彼らへの対応を怠れば、落伍者の印を押されて後の人生にも響くことになる。しっかりと教師を使いこなすことが重要なのだ。

教師は選べない。特に担任となった教師の性格を把握することは最重要項目と言っても良い。読者が力も友達もなく貧困家庭に生まれたら、尚更教師に頼らないといけないからだ。教師だって人間だ。楽もしたいし、金を稼ぎたいし、出世もしたいだろう。

子どもたちを相手にしていると、大抵の教師はそのような欲望は隠そうとしない。それを大いに利用して、常に教師の機嫌を伺おう。


次に自分の立ち位置の確定化だ。教師たちは生徒を管理するためにレッテルを貼りがちである。そして一度貼るとそれから生徒が逸脱するのを嫌う。自分の本性を知られるのが嫌なら、最初から偽りのキャラを作って、学校内ではそれを演じるのが一番良い。できれば純真無垢が良い。教師は、特に日教組が強い地域では性善説に則って生徒に接してくるからだ。


以上の点に気を付けて、飛鳥未来高校の生活を送ってもらいたい。教師は常に理想を夢見ている。生徒はそれを少し演出すればよいのである。