アグラの郊外にある下水処理場に、州政府の道案内人を助手席に乗せて向かった時のこと。

彼は何度も現場に行っているので上司から道案内役を指名されたわけですが

自信満々に安請け合いしてしまうのはインド人の常

いざアグラの郊外に出ると自分がよくわかっていない事を知ったようです。

あるいは極度の方向音痴だったか


彼はインド人スタッフにからかわれながら

めげずに何度何度も人に聞きながら近くまで行きました。

目的地のすぐ手前、やっと記憶にある道に出たのでしょう。

最後は自信を持って案内しすがすがしく任務を終わりました。


今回彼は責任を全うしましたが

インドでは責任を感じる人はほとんどゼロ。

仮に到着しなくても案内人は、最後はノープロブレムと言って胸を張ります。

賢明なインド人はストレスをためない知恵があります。

意識的に嘘でもなんでもいいから責任感を外すことでストレスをためないようにします。

それは社会が容認していて

無責任を責めない文化がインドにあります。

ストレスを嘘や無責任で外すのです。

インド人の手にかかればストレスは外れます。

彼らはストレスに捕らわれると非常に弱いということを知っています。

恋に破れた、目標の大学受験に落ちた、大雨で作物が収穫できなかった、尊敬する人が死んだ・・・など、ストレスを外すことに失敗して、情緒的に簡単に自殺する人が大勢います。


私も責任を取らされることがなくなったので帰国して

何か責められたら困るな。


我々も責任の守備範囲を見直した方がいいのではないでしょうか。

父親だから、母親だから、社長だからとか、責任感で努力をしないほうがいいと思います。

生きることだけが唯一、人の大きな責務だと思って好奇心の赴くまま努力します。

すべての努力は

「他人のために生きているんじゃないよ。自己が満たされるために生きるのだよ。同じ目的の人間が集まって相乗効果によって楽に仕事をしている」

ということで、自己実現へと向かいます。


いろいろ面白いことにぶつかって一時的に責任感を外して好奇心を膨らませます。

そこから発想が生まれます。

それを責めない文化が必要です。


例の運転手は何度も行っているはずなのに我々の運転手に道を教えられなかった。

どうしてでしょうか。

彼は今まで

「運転手に単に連れて行かれていた」

だけなのでした。

自分の頭を使っていなかったのです。

道を知っているわけではなかった。

他の車の運転手の道案内をしてみて

初めて脳みそに情報が蓄積されていないことを知ったわけです。


学校で行う勉強も同じ

「教えてもらう」

だけでは自分の頭をフルに使っていないため、

知識の定着が浅く、人に教えることも実務に生かすことも簡単ではありません。

当たり前のことですが、

自分の頭を使ってある程度独学で学ぶ、

自分の知識に定着するプロセスがない限りホントの使える知識にならないのでしょう。


つづく