私は立場上インド人の小中高大学の成績表を見る機会がある。聞いてはいたけどインドの教科数は実に少なく日本で当たり前にやっている図工・美術・音楽、体育教育をやっていない事実に考え込んだ。
インドでは言語教育に熱心で、義務教育課程で日本語を教えている小学校さえある。将来、言葉さえあればいろんな国の教育にアクセスできるから合理的だ。
インド人は義務教育で芸術教育を受けていないから、西洋の画家や音楽家の名前を知っている人は少ない。泳げない海上警察がいて非常に滑稽だったり、何をするにも少々不器用なところがあるが、創造的じゃないとは決して言えない。
だから芸術教育と創造教育の相関は微妙だ。
インドでは芸術教育は裕福な家庭でフォローするから教育の平等性に欠けるのが問題かなとは思う。しかし日本のように教育の平等性を声高に言って嫌いなものを強要するのも考えものだ。
インド人と比較すれば、日本人は実質、教養として音楽家や画家の名前をずいぶん知っていることくらいで、そのためだけじゃ芸術教育は勿体ない。今更日本国が芸術教育をやめないだろうから。
芸術教育って何だろうって考える。
家族と議論した。
芸術家は半ば狂人だったり、かなり偏った人種が多いのではないか?義務教育で知らず知らずのうちに、その爪の垢を飲んで影響を受けてはいまいか、社交下手を助長していなか、ある子供はいやな美術教育で写生をやらされてシャイな性格をますますシャイにしていないか。教育の目的は達成されているか評価したのか。など。
私自信、感覚や感性を芸術教育で得た実感はなく、決して楽しくなかった。経験上、それって必要に迫られて養われるものだと知っている。また創造的で豊かな人間性の獲得とやらを芸術教育で培われた実感などもないから、芸術教育ってなんだろうかと。
芸術教育を受けていないインド人も十分に創造的だから、日本人が芸術教育やったからって創造性がインド人よりも優位に身についているとも考えられない。そう考えると勿体ない話だ。
ただ大人になって思うことは「せめて楽器が上手にできたら楽しいだろう」とか、「ダンスができたらもっと積極的になれるだろうな」「人前で自信を持って披露したい」など。
同じ拘束時間で芸術教育を受けるのだったら、もっと専門的な技能、プレイする喜びを教えてもらったほうがいい。インドは安いからと習い事に余念がない自分の子供や妻も同じ意見だ。
よく国際標準と言って実態もよく知らないし、運動能力も違う西洋人と競争する傾向が日本の教育にあるけど、子供たちを巻き添えにしていないか。自分の経験に照らして、嫌いなことをやらされた子どもは早くこのクラスが終わってくれればいいと思っていて、想像力を育成するどころか脳がうっ血して認知発達を阻害するだけじゃないかと思う。それに日本人はシャイで損をしている。だから小学校4年生頃まで、ある程度まんべんなく楽しく芸術をやって、5年生からは、図工・美術・音楽、体育、映像、演劇などから好きなコースを選択できるようにしてもっと自分が興味を持って深く学び、特技を持ち、自信を持ち、自己表現ができ、シャイから脱却する環境を作ってあげる手段に芸術教育を使ったらいいというのが我々の結論。機材も国が提供してね。
先生(プロ)となる人材は、日本のみならず世界を見渡せば豊富にいる。先生(プロ)には、ちゃんとカネを払って眠る間を惜しんで子供の事を考えてもらう。いい芸術教育は、国が先生(プロ)のために予算をたっぷり確保するに限る。後は、先生(プロ)にお任せだ。先生(プロ)と生徒の絆から学ぶことも多いはず。
そのための財源に困らないだろう。資源小国日本の貴重な資源・子供にカネをかけることに誰も反対はしないだろうから。
中学を卒業する頃は、専攻してきた自慢の芸、サルサや日本舞踊を人前で堂々と見せるだろうし、ヨガや太極拳の達人風、書家、映画を撮る人などがいたりして楽しいだろうなと話した。日本人がシャイから脱却できれば芸術教育も安いものだ。
いい議論したのだけど
「でも俺たちは、教育を受ける立場にはもうないし、もうどうでもいいや」という事で議論を止め寝た。
