今年の2月1日、西日本JRバス福知山営業所の営業所機能が桧山へ移転され、同時に京丹波営業所と改称されました。その際、桧山駅のホームが取り壊されたとのうわさもあり、ずっと気になっていました。


園福線は、1939年2月1日開業の比較的古い路線です。これと併せて、桧山支区(後の支所)も開設されました。駅も恐らく、このときに設置されたものと思われます。長らく福知山営業所桧山支所だったのですが、2002年12月1日(?)、車庫へ格下げになると、広い構内ばかりが目立つ状態になりました。




新営業所の様子を見たいとの思いもあり、このGWに行ってみることにしました。名古屋から普通列車を乗り継いでの日帰り旅です。昔は青春18きっぷを活用して、篠山管内や水口管内をよく訪れたものでした。大垣・米原間の席取りなど懐かしい思い出です。とはいうものの、果たしてこの区間が座れるのか心配でした。結果は18きっぷの期間でないからか、列車が8両編成のためか、以前のようなひどい混雑ではありませんでした。


嵯峨野線を園部で下車し、駅前へ出ると、すでに桧山行きのバスが停車しています。車内は6人。GWでちょうど昼ごろという時間帯を考えると、思ったより乗っている感じがします。だからこそ、園福線が廃止されずに現在も運行されているのでしょうね。以前、よく乗りに訪れた園篠線の方は、10年以上も前に廃止されてしまいました。


ただ、以前訪れたときとくらべて、園福線の状況は大きく変わっていました。これまで福知山方面のが本数は多かったのですが、現在は園部方面の方が圧倒的に多いです。どうやら2008年10月1日、菟原折返し便の全廃で、園部と福知山が逆転してしまったようです。福知山方面で乗客の逸走が大きかったことも、今回の営業所移転に関係しているのでしょう。それにしても、まさか桧山が、支所に復帰どころか営業所に昇格するとは夢にも思っていませんでした。広い敷地を残しておいた甲斐があったというべきでしょう。


さて乗車記に戻ります。乗客は、本町口で2人、園部河原町で1人、自然運動公園前で3人が下車し、ここから先は私1人となりました。国道9号線を脇に入り、しばらく行くと目的地の桧山が見えてきました。桧山駅近くは、のどかな感じがとてもいいですね。



桧山駅です。西日本JRバスの「バス駅」ですが、4年ほど前に栗栖川駅がなくなったため、現在も残るのはここと周山駅くらいでしょうか。営業所になったため、以前は1、2台しか見られなかったバスが、現在は多数(といっても5台でしたが)停まっています。


駅のホームは、先端の一部がカットされていましたが、待合室など大半は無事でした。営業所の方に伺うと、ホームが一部カットされたのは、洗車場の設置が理由だそうです。ここをカットしないと、バスが洗車場へ入れないためとのこと。たしかに、営業所機能が移転したとなると、洗車設備は必要になってきますね。ちなみに駅では、ちょうどトイレの新設工事が行われていました。とすると、駅舎自体はしばらく安泰かと。


白いコンクリート舗装の目立つところが、今回カットされた箇所です。



営業所の方には大変親切にしていただき、ありがとうございました。

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この3月31日で、守山新堀転回場が廃止となります。


というわけで、3月のある平日、守山新堀までバスで出かけてみました。まず、1日1本のみの新守山駅発守山新堀行きに乗り込みます。実は、緑ケ丘住宅6時18分発新守山駅行きが、そのまま別系統として守山新堀への送り込みになっているのです。以外にも若い女性がひとり乗ってきました。現金利用だったので、一見の客でしょうか。終点で降り、上飯田方面に歩いていきました。


守山新堀に到着すると、バスはすぐ折返します。時間の余裕は、数分しかありません。7時00分の守山新堀始発便ですが、これまた意外なことにに、バス停に利用者が待っていました。おばあさんをひとり乗せて、バスは発車します。瀬古神明でもおじいさんを乗せたほか、高縄では中年男性の利用も。瀬古で待っていたサラリーマンは、乗ってきませんでした。恐らく栄15の利用者でしょう。新守山駅で下車があるかと思いきや、おばあさんが乗っただけ。考えてみれば、この距離を通勤利用なら、自転車で行くでしょう。守山西中学で中年女性が乗り、車内は5人になりました。私は、都合があって守山自衛隊で下車。この間、ひとりも降車しませんでした。もっと利用は少ないかと思っていただけに、いい意味で予想外な展開でした。



さて、この機会に、同転回場を発着した路線の歴史を、整理してみたいと思います。

1966年9月30日、107号系統千種駅前~守山新堀間が開業し、この転回場も開設されました。守山市が名古屋市に編入されたのは1963年2月15日のことですから、それから3年もたっています。実は守山区発足当時、市バス路線は名古屋駅前~守山間に2系統があったのみ。区内における市バス路線網の充実は、1976年の大森営業所開設まで待たなければなりませんでした。なお、大森営業所が開設されるまで、107号系統は猪高営業所の担当でした。

その後、1973年9月1日、97号系統緑ケ丘住宅~守山新堀間も開業しますが、わずか3年後の1976年7月10日に廃止となりました。しかし、同系統は翌1977年3月1日、本地住宅~守山新堀間として、経路変更の上復活を果たします。そして、1982年11月8日には新守山駅経由となり、利便性の向上が図られました。


また、1979年3月20日、52号系統に栄~守山新堀の支線が新設されました。しかし本数は非常に少なく、当時小学生だった私にとって、自宅から近い割に、乗りにくい路線だった記憶があります。1983年ころのメモによれば、守山新堀発は平日(土曜日を含む)が7時43分(土曜日のみ7時50分)、11時39分、14時27分、18時46分(大曽根行き)、日祝日が8時32分、18時26分でした。栄発は不明ですが、大曽根バスターミナル始発は、平日のみ運行で7時10分、11時05分でした。平日は比較的乗りやすいですが、土日となると門限のある小学生には乗れないダイヤです。なんとか乗車を果たしたのは、たしか廃止の直前だったような気がします。


1984年5月7日には、全市規模で大がかりな路線再編が行われました。97号系統は守山区系統へと系統記号が改められ、あわせて守山経由から守山区役所経由へと経路変更されました。守山区役所への足ということになり、この改正で設けられた「公共施設連絡系統」に位置づけられました。同時に52号系統も、栄~新守山駅に一本化されることになり、守山新堀支線は廃止となりました。なお、1984年度のみ、如意営業所が守山区系統の副担当となりました。気になる守山新堀までの回送ルートですが、味鋺東をそのまま東進したのち、19号線に入り南進し、瀬古交差点で右折したようです。このとき、如意車が初めて大森車庫や本地住宅に姿を見せました。


2004年10月6日には、久方ぶりとなる、大規模な市バス路線再編成が行われました。このとき地域巡回バスが新設され、守山区系統は守山巡回(守山11)系統と小幡11系統に分割されました。守山巡回系統は新守山駅~守山新堀間となり、新守山駅を2回経由する少し複雑な経路をたどるようになりました。また朝晩は、同一路線にもかかわらず守山11系統と系統記号が変わります。赤字損失補填の関係なのですが、時刻表が2枚になるなど、若干分かりずらいものになっています。


最近の変化では、2010年4月1日の守山市民病院経由便新設が挙げられます。瓢箪山経由と守山市民病院経由が、1時間ごとに交互で運行されることになりました。しかし、守山市民病院が2013年4月1日をもって民営化されたため、市民病院への足としては2年間で終わりました。バス停名も、大牧町と改称されました。


2013年4月1日、守山巡回系統は守山区の枠をこえ、上飯田まで延伸されました。実は守山新堀から上飯田までは徒歩15分程度で、私自身もときどき歩きました。守山区から犬山へは、中央線で名古屋へ出るよりも、上飯田から小牧線経由の方が、早くかつ安く行くことができます。


かつて(たしか)2004年に開催された交通局地域懇談会で、守山新堀~上飯田間を延伸してはどうか、という発言がありました。交通局からは、地域巡回系統は区内完結が基本、という趣旨の答弁でした。なので、今回、延伸されたことは大変驚きです。本来喜ぶべきなのでしょうが、50年近くの歴史を持つ転回場が消えることを思うと、少し複雑な気持ちです。


守山新堀転回場です。かつては大型車も姿を見せましたが、2004年の路線再編で中・小型車しか来なくなりました。


自宅から自転車で20分程度の距離ですが、バスで初めてここを訪れた小学生の時、とても遠くへ来たような感じがしました。当時の私は迷子になるのが怖くて、見知らぬところへ自転車で行くなんて考えられなかったのです。今では普通に出かける距離ですが、懐かしい思い出です。


守山新堀バス停は西へ少し行ったところにありますが、利用者はあまりいません。移転したバス停がどうなっているのか、気になるところです。


記事を書くに当たり、市営交通資料センターの方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。


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2013年4月1日、長らく宇都宮市一の沢にあったJRバス関東宇都宮支店が、芳賀町へと移転することになりました。路線の縮小や減便の繰り返しで所属車両が大幅に減っており、現支店は広大な敷地ばかりが目につく現状でした。加えて同支店は高速バスを担当しておらず、車両運用を考えると郊外に支店を置いた方が効率的です。実際、他支店の一般路線ではほとんど見られない、滞泊行路や長距離の回送が目立ちました。


水都西線ですが、その歴史は大正年間に遡ります。1925年11月20日、市街自動車合資会社により宇都宮・祖母井間で運行が開始されました。これに対し、宇都宮商工会議所から省営バス運行の陳情書が出され、1937年3月31日、ついに茂木線('宇都宮・祖母井・茂木間)が運行開始となりました。茂木線は芳賀水橋経由と開業へと至りました。ルートは、芳賀水橋経由の本線(南回り)と芳賀松原から分かれて祖母井を経由し下野原で合流する支線(北回り)とがありました。今回、本線の方が廃止になるとは残念ですが、松原・上羽根間における東野交通との競合がその一因と思われます。いつから競合するようになったかは調査中ですが、かなり以前からのようです。東野交通は1時間に1本程度の本数があり、JRバスの利用は極めて少なくなっていました。



ある平日、JRバス宇都宮支店18時20分発の祖母井行きに乗りました。

支店では、作新学院高校野球部の生徒が4人待っています。作新学院が支店のとなりで、降車場のすぐ先に出入口もあるため、ここの生徒にはそこそこ利用されています。それ以外にも、朝晩のみ、近くの人が通勤通学で使っているようです。

途中、作新学院前、裁判所前、宇都宮東武、県庁前で乗客を拾います。降車は馬場町でひとり降りたほかは、ほとんどがJR宇都宮駅までの利用者でした。駅を越えて乗車したのは、工学部前で下車したひとりのみ。

JR宇都宮駅にてほぼ入れ替わった乗客ですが、宇大前、越戸、工学部前で降車していきました。

バスは鐺山東を直進し、ここから廃止区間へ入ります。この区間では、JR宇都宮駅から乗車した野球部の高校生が3人、芳賀水橋で下車したのみでした。

六地蔵で廃止区間は終わり、下野原でひとり、祖母井で高校生が2人下車していきます。終点の芳賀温泉ロマンの湯で降りたのは私ひとりだけ。バスはロマン内の駐車場へ入らずに、そのまま回送していきました。今日は祖母井で泊まります。



翌朝は、芳賀温泉ロマンの湯7時05分発に乗るため、宿から歩いて始発地へ向かいます。マイカー送迎の高校生?が、反対側のバス停に待っています。時刻表を見ると、茂木発道場宿経由6時56分発のバスがあり、この便を待っているようです。朝の祖母井発宇都宮行きは、高校生の通学用に結構本数があります。

道場宿経由を見送ると、7時02分ころ回送で水橋経由のバスが入ってきました。またマイカー送迎の高校生がやってきて、こちらのバスに乗り込みます。次の祖母井でも、高校生を乗せていきます。

芳賀町体育館前でも乗客を乗せ、廃止区間へ入ります。上赤羽で高校生が、中島でサラリーマンが乗ったほか、廃止区間は乗客がいません。バス停には人が待っているのですが、JRバスには乗ってきません。水橋、氷室、西中台、廃止区間を過ぎ、鐺山、岡、石井局前でも、このバスは見送られました。

調べてみると、そのわけがわかりました。どうやら東野交通が、同じ時刻に同じ経路のバスを走らせているのです。カードならともかく、定期券だと自社のバスしか乗れないため、こういうことになるのでしょう。東野交通は他の時間帯でもJRバスの直前を走るケースがしばしば見られ、いささか問題だと思います。ただでさえ本数が少ないのに、同じ時間帯を走っていたのでは、共倒れになってしまいます。別の時刻で運行すれば、利用者にとってもメリットになるはずが、これでは意味がありません。

この後は、鐺山、鐺山東、岡、工学部前、宇大東、宇大前、平松でこまめに乗客を拾います。大半のバス停が1人のため、ラッシュ時間帯の割にあまり乗車率はよくありません。

宇都宮駅で11人を降ろし、かわりに1人乗車してきました。中島からの乗客は宮島町十文字で下車。ほかに大工町、県庁前と下車していき、東武駅が前で祖母井からの1人が降りると、車内は私ひとりになりました。


今後の南回り(芳賀水橋経由)に関しては、東野交通が代替、しかも同じような時刻で運行しているため、路線廃止に伴う問題はあまり生じないと思います。ただし、東野交通も決して乗客が多いわけではなく、今後の路線維持に関して、心配はあります。




別の日に撮影した祖母井駅です。バスカード導入以降、発券業務等は行っておらず、待合室もありません。乗務員の休憩施設があるのみです。以前はすぐ隣にある農協の駐車場が、バスの転向場となっていました。発着便が少なくなったため、駅前に駐車するようになったそうです。

4月1日以降、祖母井発着便はなくなり、芳賀温泉ロマンの湯発着へと切り替わります。当然ですがこの駅で休憩することもなくなり、バスは支店へと回送されます。駅に関しては、しばらくは残るそうですが、今後どうなるか分かりません。単なる途中バス停になるわけですから、恐らく売却されるような気がします。






続いて、平日朝晩のみのとちぎ産業創造プラザ系統ですが、こちらは北の原からグリーンプラザ入口間が廃止となります。この区間がいつ開業したかは不明ですが、鐺山・清陵高校入口・氷室中の島間が1985年8月27日に開業しており、おそらくこの辺りではないかと思われます。この4月以降もプラザ発着便は、現状と同じ1往復が残ります。

プラザ18時50分発なのですが、往復運行ではないため、アクセスを考えないといけません。バ幸い路線図を見ると、刈沼から歩けそうな距離。ただ実際に現地を見ると、清原台入口の方が近そうに感じました。少し運賃は上がりますが、ここから歩くため、JRバス支店16時50分発清原台行きで向かいます。

清原台入口から、歩くこと10分ほどでプラザに到着。バスは発車の15分ほど前に入ってきました。JRバス支店17時30分発清原台入口行きが、18時29分終点に到着後、回送でこの運用に入ります。

やはりプラザの勤務時間終了とくらべて時刻が遅すぎるせいか、乗客はだれもいません。そのためか、今度のダイヤ改正では、17時15分発とかなり早いダイヤとなりました。

バスは貸切状態で発車し、刈沼から廃止区間へ入ります。当然ですが、乗客はゼロ。清原球場で初めての乗客。2人が乗り込んできました。その後も、清原中南、峰小前、宇大前、簗瀬町と乗車があり、宮の橋とJR宇都宮駅でほとんどが下車。宇都宮駅では、中学生くらいの1人を乗せて発車します。上河原、宮島町十文字、県庁前、東武駅前と降車が続き、宇都宮駅からの乗客は珍しくJR支店で降りていきました。そして駐輪場に止めてあった自転車で、街へ消えていきます。こんな形での利用も、間もなく終わりかと思うと寂しいですね。



翌日はJRバス支店発6時50分発とちぎ産業創造プラザ行きに乗ります。JRバス支店でひとり乗車があり、作新学院前、東武駅前と乗車がありました。ラッシュ時にしては少なめの乗車ですが、この区間はバスが頻発しており仕方ないところです。JR宇都宮駅では1人が降りただけ。代わりに7人が乗り込みます。平松・工学部前間の短区間乗車があったほかは、いずれも清原地区以遠の利用。清原中南、清陵高校入口、清原地区市民センター、刈沼と降車が続き、終点まで乗ったのはで4人。そのうち3人はプラザへ入っていきましたが、ひとりは門の外へと出ていきました。



プラザにたたずむJRバス。東急中古の三菱エアロスターノンステップです。最近の宇都宮支店には、日野車を含め東急の中古車が目立ちますね。

バスはこの後、祖母井8時20分発に入ります。ただ、祖母井には1台しか車両を止められません。その待機場には、すでにJRバス支店7時35分発の車が止まっています。そのため、しばらくプラザで待機し、祖母井での時間調整は芳賀温泉ロマンの湯にて行うようです。





そして最後ですが、掲示に書かれていない廃止区間。それは、JRバス支店・アグリプラザ間です。現支店は作新学院に売却され、JRバスは使えなくなります。したがってこの区間は、バスが通らなく(通れなく)なります。今後も作新学院前発着便は、朝晩を中心に残るようですが、どこで折り返すのか気になるところです。




広大な敷地が目立つ宇都宮支店です。満開の桜と共にお別れになるとは、残念です。街中にありながら、車庫内を堂々と近所の人や高校生が横切るなど、どこかのんびりした雰囲気が漂っていました。決していいことではないんですが、別にとがめだてたりしないところは気に入っていました。正直、移転は寂しいですが、宇都宮支店という名前は残るそうですし、縮小傾向のJRバス一般路線を維持するため、これからもがんばってほしいですね。いろいろ話を聞かせていただいた運転士さん、ありがとうございました。

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