今回は、2015年10月をもって乗合タクシー化されたハーバス乾線を取り上げます。この路線は、2009年11月から月・水・木曜日の曜日限定で運行が開始されました。しかしこの路線、まったくの新規開業ではなく、かつて廃止された路線の復活です。今から40年以上前ですが、岐阜バスが同じ区間を運行していました。実は、終点がなぜ米野までなのかというと、どうやらかつて路線がここまで走っていたからという話を聞きました。したがって、乾公民館前以北は、かつての路線をトレースしていると思われます(思われます、というのは、余りに昔過ぎて調べきれませんでした)。


乾線は、3路線ある山県市コミュニティバス「ハーバス」のなかで異色の存在です。なぜなら、ほか2路線は、いずれも専用車を使用しており、見た目からしてコミュニティバスです。乾線は、岐阜バスの路線車両を使用しており、なおかつ方向幕はもちろん車体にもにも「ハーバス」とは書かれていません。しかも、岐阜バスが配布している岐北線の時刻表には、運行当初から乾線も掲載されていました(こちらは「ハーバス」との但し書きがあります)。岐北線神崎系統(こちらはなぜかハーバスではありません。)の弟分のような扱いです。


そして乾線は、ハーバスの中で最も乗りにくい路線です。なぜなら、往復乗車が不可能なダイヤ設定になっているからです。辛うじて、下り1便と上り2便の組み合わせが往復可能といえば可能です。が、何もない米野で1時間以上待つことになり、ちょっと苦しいです。しかもこの便に乗るためには、岐阜在住でなければ現地に泊まる必要があります(三田洞始発6時48分の塩後行きでないと乗り継げない)。この乗りにくさゆえか、ネット上にも乗車記は見当たりません。

こうなると、余計に乗ってみたくなります。というわけで、タクシーを使ってチャレンジです。しかし、タクシーですら、山県市内には法人と個人がそれぞれ1事業者あるだけです。事前に予約しておかないと、危ないです。念には念を入れて、前々日に予約を入れておきました。

宿を早めに出たため、6時45分ころ米野へ到着です。時間があるので散策しようと思うのですが、川沿いに数件の民家があるのみ。脇道などもほとんどなく、見渡せる範囲内しか行ける場所はありません。道はもう少し先まで続いていますが、行き止まりのようです。行ってみたいところですが、バスに間に合わなくなるといけないのでやめておきました。

定刻の3分ほど前に、高富営業所から回送で送り込まれてきたバスが到着。バスは6時58分の定刻に、米野を発車しました。バスは県道を南下、柿野交流センターで2人の乗客を乗せます。途中までは、ほぼ柿野川沿いに走りますが、景色の美しいこと。都会の殺風景に見慣れていると、本当に心が安らぎます。民家は、比較的新しいものが多く、暮らしは息づいているように感じました。一方で、バスの置かれた状況は厳しいですね。南へと進んでいきますが、各バス停に利用者の姿はなく、乾公民館前で2人を降ろすと後は私ひとりの貸切でした。乾公民館前は乗り換え地点で、近くの出戸バス停まで歩くと、板取線岐阜方面に接続しています。


この日は、上下合わせても3人の利用しかなく、6便中4便が空気輸送でした。民間路線としてはすでに限界ですが、かといって行政が運行するのも、ここまで利用が少ないと厳しいように思います。デマンド化の構想は、数年前から議論されてきました。ただ、地元の人は、デマンドより、いつでも乗れるバスにこだわったと聞きます(そのためデマンド化が延期されていたようです)。コミュニティバスのデマンド化は各地で行われていますが(タクシーによる運行がほとんど)、好評な事例の多くは当日の1時間前までに予約といった形を取っているようです。山県市のように、前日までに予約となると、いつでも乗れるバスの利便性が大きく損なわれてしまい、果たして成功するかどうかは未知数です。ただ、旧美山町域にタクシー会社がないことから、回送距離を考えるとやむを得ない面もあります。もし、デマンドタクシーも廃止となると、再び公共交通機関の空白地帯となってしまいます。せっかくハーバスという形で、バス路線が復活したことを考えると、何とか乾乗合タクシーが維持されるよう願うばかりです(ただし乾線は「廃止」ではなく「休止」扱いになっており、ひょっとしてバス復活もありえるのかもしれませんが)。


終点の米野バス停です。バスのすぐ隣は、入口に「多目的利用施設…」(…の箇所は墨書がかすれて読めませんでした)と書かれた建物です。公民館のようなものでしょうか。近くには民家のほか、多喜プラスチック柿野寮もありました。ただ、この寮は、南へ移転したため、現在は使用されていないようです。




画像は、道の駅「ラステン洞戸」で休む乾線車両。8時03分谷合発の便は、米野到着後、「ラステン洞戸」へ回送されて、ここで休憩となります。もっとも、恐らく、米野へ車両を長時間留め置くことが難しいため、回送時間が15分ほどで済むラステンが選ばれたのではないかと思われます。



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病院口転回場は今年の3月、常滑市民病院の移転により閉鎖されました。同時に、転回場に併設されているバス停も廃止となりました。

病院口バス停は、恐らく常滑市民病院が開院した1959年ころに設置されたと考えられます。当時の転回場は、もう少し東よりの交差点近く、現在建売住宅がある位置にありました。

現転回場は、前島埋立地内に位置します。常滑市民病院駐車場の一角を間借りするような形で作られており、敷地は明確には区切られていません。わずかに、黄色の線で描かれた円だけが、ここが転回場であることを物語っています。バス停の前にベンチと木製の机が置かれているのが、ユニークですね。

現転回場が開設されたのは新しく、中部国際空港開業から2年後の2007年5月でした。この背景には、知多バス常滑線の動向が絡んでいるため、その辺りの事情から説明していきたいと思います。2005年1月、それまで病院口および常滑駅行きだった常滑線が、新規開業した中部国際空港へと延伸されました(一部、大曽公園経由便のみ常滑駅発着となりました)。併せて病院口発着便がなくなり、同時に旧転回場も廃止されました。病院口は、空港1つ手前の通過バス停となりした。しかし、常滑線・常滑南部線はいずれも、中部国際空港停の利用率が当初から芳しくありませんでした。2007年5月30日には、常滑線で早くも病院口止めが復活します。その際、新しい転回場は、従来と異なるこの前島埋立地へ移されました。さらに同年6月30日からは、常滑南部線の乗り入れも始まります(常滑市民病院に確認したので間違いないとは思いますが、常滑線・常滑南部線の乗り入れで、なぜ1か月の差が生じたのか、ご存知の方はお教え下されば幸いです)。


病院口発着の常滑線と常滑南部線は、いずれも常滑駅を経由しますが、常滑駅・病院口間で利用する乗客はいません。名鉄常滑駅まで徒歩5分程度、しかも病院口バス停が常滑市民病院から少し離れたところにあることを考えると当然でしょう。通院等での病院口バス停を利用する人は、わずかながらいますが、いずれも遠方のバス停からです。たとえば常滑南部線が短縮される前には、河和駅からの通院利用もありました。ちなみに病院口バス停付近の住民は、このバス停をまったく利用しません。


住宅地の中にあるバス停が、病院移転という理由で廃止されることに驚かれるかもしれません。しかし、この事実が、地元利用はほとんどないことを象徴しています。たしかにバス停廃止で困る人はいないのでしょうが、長らく存在したバス停がひとつ姿を消すことに、何ともいえない寂しさを感じます。私自身、過去何度もバス乗りに訪れただけに、よりその思いは強いです。

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宮若市乗合バスの歴史は、2004年4月に遡ります。この年、JR九州バスが当時の宮田町および若宮町内で大幅な路線廃止を行ったため、その代替交通機関としてそれぞれ宮田町乗合バス、若宮町乗合バスの運行が開始されました(ただし今回取り上げる宮若市役所前~JR福丸バス停間系統は、大半の区間で前年に廃止された西鉄バス筑豊の路線を引き継ぐ形になっている)。2006年2月に宮田町・若宮町が合併した後も、宮若市乗合バスとしてほぼそのままの形で運行は継続されました。


そして2010年4月、宮若市役所前~JR福丸バス停間系統の受託先が変更されます。それまでの西鉄バス筑豊に変わって、JR九州バスが運行を担当することになりました。この動きには、JR九州バスの支店が、宮若市内へと移転してきたことも絡んでいると思われます。2010年7月、駅前再開発に伴う直方支店の廃止で、新たに宮若市内の福岡中部支店が開業したのです(もっとも福岡中部支店は、かつて営業所が存在していた福丸車庫そのものですが)。やはり委託にあたっては、当該自治体の中に営業所があるということも重要な要素でしょう。


しかし、2015年4月からは、この系統がマイクロ化され、それに伴いJR九州バスが運行から撤退することになりました。従来、笠松幼稚園・小学校のスクール輸送があるため中型バスで運行されてきたのですが、少子化によってマイクロバスでも充分と判断されたようです。昼間時はさらに利用者が少ないことから、議会で中型バス使用が問題視されたとも聞きます。



ある土曜日、宮若市役所前発16時の便に乗りました。

直方からJR九州バスで20分ほど、宮田町へ着きます。ここから歩いて2分ほどで、宮若市役所前へ到着です。このバス停は西鉄バスがもっぱら使用しており、JR九州バスは乗り入れていません。

16時ちょうどに福岡中部支店から回送されてきた、331-3941がバス停へ着けます。この停留所、反対側には立派なバスベイがあるものの、こちら側には何もありません。待避がしづらいため、直前にやってくるのでしょう。

331-3941は嬉野支店からやってきた車両で、競輪輸送に就いていたためトップドア仕様となっています。内部は貸切バスと同じく、シートに番号が割り振られています。

バス停で待っていたのは、わたしひとり。運転士さんに目的を告げると、「だれものってこないよ」とのこと。メインの乗客は笠松幼稚園・小学校の児童ですが、今日は土曜日なので休み。それ以外には通院・買い物客がちらほら乗る程度。土日は本数が2往復と極端に少なく、そのこともあって利用者はほとんどいないのでしょう。

さて、バスは最初の信号を左折して、堤防沿いに進み、次の交差点を右折して大通りに出ます。2つ目の停留所である羅漢橋は、JR九州バスにも同名のバス停がありますが、これとは違う場所です。

そしてこの先はしばらく、旧西鉄バス路線をトレースします。バス停の標識を見ると、その半円形の形状はまさに西鉄バスそのもの。上から「宮若市営バス」に塗り替えているのですが、塗装がすっかり剥げてきています。中には、標識自体がないところも…。

途中まで運転士さんの言われる通り、乗客はひとりもいませんでしたが、病院前でおばあさんが乗ってきました。この病院前は、かつてJRバスが病院内まで乗り入れていた名残で、ルートから外れた場所にバス停と待合室が設置されています。この後は、旧JR九州バス路線をトレースしながら福丸へ到着です。

途中、トヨタ自動車九州の工場あたりを通り、筑前山崎で折り返します。ここはJR九州バスがかつて路線を運行しており、私も廃止直前に訪れました。付近は当時とまったく変わっておらず、のどかな雰囲気が広がっています。この先、山を越えれば赤間へ行けますが、路線が繋がったことはなかったとのこと。

ここからは、旧JRバスの路線に沿って福丸を目指します。この区間に入ると、バス停の標識が丸いものに変わります。どうやら多くは、旧JR九州バスのものを流用しているようです。

病院前からのおばあさんは、福丸で直方方面へ乗り継ぐようです。到着してほどなく、バスは折り返します。5分の待ち合わせとなっていますが、実際には数分遅れて到着することが多く、余裕はありません。

16時43分発宮若市役所前行きには、おばあさんが2人乗り込みました。「バスがなくなったら困るねぇ」「昔は歩いたんだけど、今は歩かれへん」と言うと、運転士さんは「小さいバスが出るんじゃないの」。「まだ何も聞いてないんだわ」と、市役所からはまだ話がないようです。広報紙にも掲載されておらず、市役所には情報を早く伝えるよう望みたいですね。

ひとりは下有木で、もうひとりは記念碑で下車していきました。記念碑で降りたおばあさんは、直方へ通院しているようで、「これなくなったら困る。歩けん人はねぇ。バスが通らんくなったら、ハイヤーばっかになる」。

この後はひとりの乗降もなく、宮若市役所前へ到着しました。


4月から赤いバスがこの路線を走ることはないと思うと、やはり寂しさを禁じ得ません。同時に駅バスふくま~る、近大福岡スクールバスからも撤退することとなり、福岡中部支店の将来が気がかりです。イオン循環線は堅調で、直方本線も通学需要があるため当面は安泰だろうと思いますが。ただ、支線の福丸・福間間は乗客が極めて少なく、不安もあります。何とか、この先も頑張ってほしいものです。




平日のみ、待機場所として使われている筑前宮田です(休日は宮若市役所前到着後、すぐ支店へ回送されます)。JR九州バス宮田町駅へ入らないのは意外ですが、もともと西鉄バスの路線を引き継いでいることが理由かと思われます。それにしても、筑前宮田は国鉄廃止から年も経つのに、ホーム跡がはっきりと残されています。地元の方によって、手入れがしっかりされているようです。ロータリーや駅前も、往時を偲ばせてくれます。




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