雲の切れ間から、月が顔を出しました。



「ごくせん」



イケメン揃いで、いまだマツケンが発見できないのですが、何役でしょうか?



今日の見所は、突然父親を亡くした子どもの悲しみですね。



親に謝りたかった子どもの気持ち。


私も、父親が、大腸ガンで後一年と言われてから、亡くなるまでの一年間、仕事が終わると実家に行って毎日父親の介護をしました。

その余命を決めたのは、
私たち家族でした。


何もしないで1ヶ月か
人口肛門を作って一年か
大手術をして寝たきりで五年か


医者から選択を迫られました。

「75年生きたんだから、手術しなくてもいいんじゃないか」

と医者から言われて、せめて一年という選択をしました。


日に日に弱って行く父親の前では、
わざとふざけてみたり、
空元気をだして笑ってみたり、



でも家に帰ると、主人や子ども達に気付かれないように、お風呂で泣いたりしていました。


私が父の余命を決めたのだから、家族の前でも、妹弟の前でも、父の命が尽きるその日までは絶対に泣かないと決め、常に気丈に振る舞いました。


私は父に一度も怒られたことがありません。


父が亡くなる少し前に、看護師さんの治療がとても痛かったことがあったようで、


「こんな痛い思いするなら、死んだ方がましだ」



と言ったことがありました。


「何言ってるの。看護師さんに、痛くないようにやって貰うように言っておくから」


と言って帰りましたが、その日は、なかなかお風呂からあがれず、
心配した主人が、


「いつまで入ってるんだ」

と言いにきたほどでした。




往診にきた医者から、そろそろ入院した方がいいと言われ、入院して3日目。

大雪の中、やっとの思いで病院に行くと、
看護師さんがちょうど、かき氷を作って持ってきてくれたところでした。

「娘さんにやってもらった方がいいね」

と、看護師さんは、私にカップを渡して部屋を出ていきました。


それは、カルピス味のかき氷でした。

スプーンですくって口にいれてあげると、
美味しそうに目を細めて食べていました。

また、一口入れようとすると、


「多い」


と、文句を言われました。

わたしは、スプーンに乗せたかき氷を少し減らし、

「このくらい?」


と訊いて

父が

「うん」


と頷き、


口に入れる。

また、

「多い」


と言っては減らし........



何回も何回も繰り返しやって、しまいには、父も私も笑い出していました。

全部食べ終わったので、

「また明日来るね」


と言って帰ったその朝早く、病院から電話があり、

「危篤」


とのことでした。

何とか死に目には会えたけれど、
最後まで泣かないと決めていたので、もう、喋れなくなっている父の顔を見ることができず、ただ、手を握っていました。

父の呼吸が止まった瞬間、私の反対側で手を握っていた母が、

「お父さんと結婚して良かった。ありがとう」


と言いました。


私は、ただ泣きながら


心の中で、


「ごめんね」

「ごめんね」

「ごめんね」

「ごめんね」


と、父の余命を決めてしまった事をずっと謝っていました。



今でもまだ、悔やんでいます。


息のあるうちに、謝っておけば良かったと。



父は、国家公務員だったので、
亡くなってから、安倍首相より勲章を頂きました。

凄い仕事をしていたんだと、
改めて知りました。





命日に、お墓に行くと、やっぱり手を合わせて最初に言う言葉は


「ごめんね」



です。