先日、東郷家お抱えの弁護士の平田先生と執事の河野に何の相談もなく勝手に婚約指輪を用意し、勝手にカフェの女給の小林真由美様にプロポーズをしてしまった旦那様の隼人様。


東郷家の慣習を無視なさった上に東郷家の相談役の弁護士の平田先生にも執事の河野にも前もってプロポーズの事を相談されなかった事に私が苦言を申しましたら、後日きちんと平田先生と河野に相談させてもらうと私に約束して下さったものの、東郷家は代々華族であった事から家格に釣り合った結婚相手を選ぶ慣習があった為に、庶民出身の上に親親族のない貧しいであろう隼人様の恋人、小林真由美様との結婚など平田先生も河野も許すはずがないと思っていたのですが………




旦那様

「やっと平田先生と河野から真由美との結婚の了承を得たよ!」



何時も通り、外出先から帰って来た旦那様をお迎えして旦那様の自室に二人で入ってドアを閉めた途端、いきなり旦那様の隼人様が私に話したくてしょうがないという風に嬉しそうに話し掛けて来ました。



「え!? ………それは本当でございますか?」


旦那様

「うん、やはり家格の事を二人には言われたが根気よく説得してね、僕がそこまで言うのならばと、今度二人に真由美を会わせるよう言われてしまってね………やはり直接真由美と会って最終判断したいと言われてしまったよ。


でも、二人とも真由美に会ったら絶対了承してくれると思うんだ………真由美は本当に魅力的だからね」



旦那様が何時もの様に私にジャケットを脱がす様促して背中を向けながらそう言います。



「………それは良うございました」



私は隼人様が脱いだジャケットの埃をブラシで軽く払いながらハンガーに掛けてクローゼットに仕舞います。



旦那様

「…………あぁ、そうだ。


最近毎日一方的に君に僕の話を聞いてもらってばかりいたけど、見た所、君は一日中殆ど仕事ばかりだし町に出ていく姿も見ないけど、恋人も居るだろうに仕事ばかりさせて申し訳ないなと思ってね?


今度まとまった休みをとってゆっくりしてみてはどうだい?」



隼人様が私を気遣ってかそんな事を言って下さいました。



「そんなとんでもない! 勿体ないお言葉です!


私はただ仕事が好きでしているだけであって無理に仕事を詰めてしている訳ではありませんよ?


………恋人なんて居ませんし、そもそも、男性とお付き合いした事も無いですから………


ですので、町に出る用事が無いだけですのでお気遣い無用です……」


旦那様

「え!? 本当に!? 


君も魅力的な女性なのに勿体ない………使用人の中に誰か良いなと思った男性も居なかったのかい?」


「魅力的だなんてそんな………気遣って頂かなくて結構ですよ?


若い時だったらまだしも、もう私なんて男性から見たら33歳の中年の女ですから………夢中になって仕事をしている内にもう婚期も逃してしまいました。


もう年増の私なんぞ娶ろうなんて思う男性なんていませんよ。


これからはもうただただ東郷家の為にお勤めをさせていただくのみです」


旦那様

「そうなのかい!? 


………や、僕はてっきり君はもうちょっと若いものと思い込んでいたものだったから………そうか、赤ん坊の僕をおんぶしながら働いていたと言っていたから……年齢を計算するとそうなるよね?………それは申し訳なかったね?


恋人の事も、てっきり居るものだと思い込んでいて………勝手に決め付けて話して悪かったね?」


「いいえ、とんでもない。

今どきこの歳になっても恋人も作らず結婚もしていない女性なんて珍しいですから、普通は結婚しているのが当たり前ですからね、旦那様がそう思うのは仕方ない事です」


旦那様

「………うーん、でも、僕も真由美のお陰で恋愛の素晴らしさを知ったから、君にも是非その喜びを感じてほしいな………やはり、君の様な魅力的な女性が一人で居るのは勿体ないよ………


今度、良いなと思った男性を紹介しようか?」



隼人様がそう気に掛けて下さいます。



「いえいえそんな! 本当に、私の事など気にしないで下さいませ!


旦那様のそのお心だけで十分で御座います」



隼人様は本当にお人柄が良いので純粋に私の事を思って言って下さっているのだと思うのですが、育ちの良い純粋な方特有の悪気が無く素直な気持ちで言っている事が、時たま胸にズシンと来る事が御座います。


魅力的な女性というのはお世辞として、普通は女性の結婚適齢期は18から22歳、33歳の中年女なんて恋愛対象として見る男など居ないに等しく、そんな行き遅れの女が娶られるとしたら、妻を亡くしたうんと年上のお爺さんに近い男が仕事関係のしがらみ等で仕方なく後妻にもらってやるかという感じか、知り合いの伝で義理で後妻に迎えてやるというのが殆どです。


私はそんな扱いを受けてまで結婚したくはありません。


そんな扱いを受ける年齢の私が同年台の独身男性と恋愛等、期待するだけ無駄というものです。



旦那様

「………そうかい?

では、何かあったら僕に遠慮なく相談しておくれ?


君には幸せになってもらいたいからね?」


「………フフ、相変わらず旦那様はお優しいのですね?


それでは、何かありましたら相談させていただきますね?」


旦那様

「うん、そうしてくれよ?」




君    君    君。


旦那様は執事以外の使用人に対しては男女問わず名前で呼ばず【君】という呼び方をなさいます。


何故かというと、多くの使用人を抱えている東郷家では、使用人の名前を全員覚えるのが大変だからです。

それと、ベテランの者も居れば新人の入って来たばかりの者も居て、特定の使用人だけ名前で呼んで他の使用人は名前で呼ばないと不公平になるとか、名前を間違えてしまうといけないからというお考えもある様です。


だから、長く務めて姉や代わりだった私も【美代子】と呼ばず【君】と呼びます。

要するに、隼人様は私を大事と仰って下さいますが、その他大勢の雇っている使用人の一人にしかすぎません。





…………………  ………  …… …




数日が過ぎ、いよいよ小林真由美様が東郷家にお越しになり、平田先生と河野との顔合わせの日がやって来ました。


東郷家では朝から顔合わせの為の準備に忙しくバタバタしていました。


隼人様が前日から、使用人達に平田先生と旦那様、真由美様の朝食会のセッティングやら屋敷に飾る花は真由美様のお好きな花を用意する様に、平田先生は川魚が苦手だの、真由美様は油っこい物が苦手だのと色々とお料理も細かい指示を出して来ます。

隼人様は平田先生と真由美様の顔合わせを絶対成功させなくてはいけないと気負われて、珍しく一日前からソワソワと緊張しているご様子でした。


使用人達もあの奥手の隼人様がどうしても結婚をと望まれる真由美様がどんな方なのか興味津々でした。

勿論、私も真由美様がどんな女性なのか気になります。



隼人様が真由美様をお迎えに行く為に運転手と共に車で町にお出掛けになり、暫くすると戻ってまいりました。


平田先生は既に東郷家の客室で待機し、隼人様と真由美様の到着を待っておられます。

旦那様のお車の音に気付き、急いで河野と共に正面玄関まで隼人様と真由美様をお迎えにあがります。


玄関前まで乗り付けられたピカピカに磨かれた外国産のクルマから、運転手が降りてきて後部座席のドアを開けると、先ずは隼人様、次に真由美様が降りて来られました。








…………………。





あぁ、これは認めざるを得ない。



私は咄嗟にそう思いました。



車から降りられた真由美様は、両親が居らず親戚をたらい回しにされたとは思えない程所作が美しく、また、容姿もまるで活動写真に登場してくる女優かと思う程美しかったのです。


ホッソリした身体にスラッと伸びた手脚、豊かな胸、真っ白な肌にパッチリした大きな瞳、鼻筋の通った小さな鼻に薔薇の花弁の様なふっくらした唇、瓜実顔の形の良い顎に細く長い首。

何時も冷静な河野でさえ、その美しさに暫く見とれている様でした。


ワンピースやイヤリングはおそらく隼人様が用意されたのでしょう。

平田先生の前で嫌味にならない程度の、派手では無いけれども貧乏臭くない、質が良く品の良いワンピースやアクセサリーを身に付けていて、両親に紹介するのに理想的な清楚な恋人のお手本の様な真由美様がそこに居られました。


隼人様は真由美様をそれはもう大事な宝物を見る様な目で見つめ、今も見惚れている様な感じです。


本当に、こんなに美しい魅力的な女性が町の小さなカフェで女給をしていたのが不思議な位です。

もっとバスガールだとかモデルだとか、その容姿を存分に生かせる仕事があったのでは?


こんなに美しい女性ならば、世の男性が夢中になるのも仕方がない、隼人様が他の男性に取られやしないかと焦る気持ちも分かりました。



真由美様

「あ、お出迎えありがとうございます。


初めまして、小林真由美と申します。


本日はよろしくお願い致します」



見た目がこんなに完璧に美しいのに、鈴を転がす様な声というのでしょうか?声まで美しく、緊張しながらも使用人の私共にまで気を使って深くお辞儀をなさる方でした。


女性の中にはお付き合いしている男性に権威があると、まるでその権威が自分のものの様に錯覚して使用人を見下す方も居られますが、真由美様はどうやらそういった女性とは違う女性の様でした。




これが、私の真由美様に対する第一印象でした。



第一印象で私と河野を魅了した真由美様は、平田先生ともお食事会兼顔合わせを無事に終えられ、平田先生も同じく真由美様に魅了された様で、それからはトントン拍子に隼人様と真由美様の結婚の話が進みました。




そして一ヶ月後、隼人様の宣言通り、町の外れの丘にある小さなチャペルで隼人様と真由美様だけの結婚式を終え、真由美様は晴れて正式に東郷家の新しい花嫁様、隼人様の奥様となられたのです。


使用人の女性の中には、庶民の出なのに玉の輿に乗った真由美様に嫉妬してか、『どうせお金に目が眩んで結婚したんでしょう』『結婚してしまったら安心しきって本性を表すわよ』『急に傲慢になられたら嫌だわ』『旦那様もそんな奥様に嫌気がさすに違いない』なんて陰口を言う使用人も居ましたが、そんな使用人の期待を裏切り、真由美様は結婚なさった後もずっと謙虚でお優しい奥様のままで、その内に使用人達も奥様の美しさと優しさに魅了されていきました。





ーーー 続きます ーーー