労働生産性を上げる。欧米に比べて日本の労働生産性は低いといわれる。グローバル化の中で、これでは競争に勝てないとなったわけであるが、日本の場合年功序列賃金制度がわざわしたのか、苦しくなってきたら早期退職者を募り、リストラを敢行して乗り切ってきた。日産の改革(?)を担ったゴーンさんがやったのは事業所の集約による大規模なリストラであった。そこに例をとるまでもなく、1980年代後半日本が成し遂げた省エネ技術によるコストカットは日本をGDP世界第2位に押し上げる役割を担ったが、1990年代バブル崩壊後に行われた経営再建は、残念ながらすべてリストラによるものであった。 それは技術革新によるコストカットが限界に至り、産業の空洞化が象徴するように、人件費コストが安価なところに拠点を移していかざるを得なかったことが明白に物語っている。企業は中国の成長により人件費が上がったために、ベトナム、そしてミャンマーやバングラディシュに移転している。

 

 労働者をほとんど必要としない機械で製造が可能になれば、大規模なオートメーション化された工場とロボットで原材料さえ調達すればできる仕組みがほぼ出来上がっている。第3次産業と呼ばれるサービス業の分野においても無人店舗の実験が始まり、介護ロボットの試作がどんどん行われている。自動運転技術も実用化に向けて、様々なところで研究が進んでいる。

 

 飽くなき利益追求が企業の本質であるとするならば、人間の雇用はどんどん消滅していくであろう。それが資本主義の究極の形である。しかし、人件費コストの削減は、裏を返せば賃金報酬を失うことであり、それは生産物を消費するために購入する人々を失っていくことになる。そうしないためには、生産者が受益する大半を国に納め、国が再分配することに尽きるような気がするのである。たとえば利益の1割を企業がとり、9割を還元する。その9割が国民にわたり、それが消費に回る。

 

 人間だから食えればよいというわけではない、空いた時間を生産的なボランティアであれ、社会貢献であれ、有効に使うことで、この世に生まれたことに感謝し、さらには人生の充実感を感じられる時間にすればよい。富裕層が、貧困層に所得を再分配していくことで、人類は食糧を求めて働き続けてきた生活から解放される。将来を考察するとき、ごく一部に富が集中することの危うさに気づき、より広く薄く食べていけるだけの分を分散させていけるような流れにできるかどうか。人類は大きな分岐点に立たされている。地球温暖化や食糧危機の問題などもその範疇に入る。利己的な考え方を捨てて利他的な考え方に立てるかが焦点になると考えられる。これから20年、いや10年かもしれない、。世界の政治、経済の動きに注目していかなければならない