明けましておめでとうございます
オラ達夫婦は大阪から帰省した息子と3人で12/30に愛妻様の実家の能都町で年を越しました。

久々にのんびりと能登で過ごし、もう少し能登に居たかったんですが息子の仕事が正月の2日からということで、元日の午前中に能登を出てお昼には金沢に入っていました。

大阪へ帰る息子を見送ってから、ゆっくりして夕方に元日から営業してるアルプラザに買い物に出掛けました。

アルプラザまであと少しの所で携帯が騒がしく鳴り響き、揺れを感じて直ぐに路肩に車を停めました。
揺れは激しく目の前の電柱がユラユラ揺れて電線は縄跳びの様で、横に駐車してあった車はエアサスで踊ってる様でした。

収まったかな?と思った途端にまたまた激しく携帯が!
今度は更に激しい揺れです。
隣の愛妻様は頭を窓ガラスに打たないように左手を窓の上のグリップ、右手で膝置きを握り締めてました。

電柱が折れるんじゃ?電線が切れて車が感電するんじゃ?と思う位に何もかも揺れています。
テレビを付けたらアナウンサーが必死な声で『津波です津波です、高い所に逃げて!』と連呼しています。

オラ達はアルプラザの屋上駐車場へ向かいました。

スロープの途中で2階の駐車場を見ると、スプリンクラーが作動して消化液が吹き出して下の車が泡混じりの水浸しでした。

屋上に着いてから、テレビで情報を確認すると大津波警報が出ました。
津波の予想到達時間までは20分位あるので我が家の婆さんにも直ぐに家を出てコッチに来いと伝えました。

無事に合流して、待機します。
その間にも続々と車が上がって来ます。

大阪へ向かっている道中の息子からも地震を知って連絡が入りました。
皆んなでアルプラザの屋上に居るから大丈夫と伝えます。
そんな中でも何度も何度も余震が襲って来ます。

段々と余震が小さく落ち着いて来て、津波警報も注意報に切り替わりました。

家に戻ろう!

下の階に停めてある婆さんの車の所まで行きます。


消化液の水溜りを避けながら進んで行くと、なんと空調ダクトが落ちていました。


ここから2台連なって自宅まで、道路の状態など気を付けながら帰宅。


バイクは無事でした。

しかし、車庫の床には水勾配が付いていてバイク3台共に引き戸の方に後退して、ダブちゃんのナンバーが戸に当たって止まってました。


向かいの家の背丈より高い石塀が半分倒壊してて、奥に見える家の石灯籠も道路に倒れていました。


車庫の中の溶接作業台のキャスター、ロックしてなかったので、手前に出ててアルゴンカスボンベが倒れレギュレーターが破損してました。。。


家に入って食器棚を見ると、ニャンコ先生のマグカップが上の段から落ちてましたが、奇跡的に扉が開かず助かりました。


安心してたら婆さんが下から庭の灯籠倒れとる!と…

ありゃりゃ


隣の家との間の目隠しの竹囲い風の樹脂フェンスに倒れ掛かってたので、フェンス毎隣の家に倒れたら大変です。

手で持ち上げて崩そうかと思いましたが、重くて下敷きになったら大怪我すると思い断念。

これ以上倒れない様にタイダウンとラッシングを掛けてサポートしました。


2階の息子の部屋は散乱…


正月の2日だというのにも関わらず、造園業者さんが朝イチで石灯籠を撤去しに駆け付けてくれました。

他にも10数軒依頼が来てると言ってましたが、ウチのが1番危なそうと気を遣ってくれた様で感謝です。


これで一安心。


ベランダから近所の家を見ると棟瓦が崩れたり、玄関の門が崩れたりしてて、隣のお爺さんに頼まれて中途半端に残った門を庭の方に倒してあげました。


この日、いざという時のために灯油タンクや手袋を買いにホームセンターに行くと、同じくポリタンクやブルーシートを買う人の行列が…


並んでるうちに売り切れてしまいました。


我が家は電気も水もライフラインは無事で、家も大丈夫。

しかし、能登の実家は壁に大きなヒビが入ったそうで、電気は来てるけど断水してます。

避難所に2日ほどいて今は自宅で過ごしてる様です。

早く水が回復してほしいけど、行政も限界の様です。


一般の車両の能登地域への運行はするなと、お達しがありました。

落ち着いたら、不足している物を何とか揃えて届けたいと思います。


という事で、我が家は全員無事で大した被害もありませんでした。


年明け早々大変な事になりましたが、皆さんは通常通りの生活をして元気に過ごして経済を回してください。


オラも気が向いたらバイクも弄るし元気に過ごして、復興にも元気に参加するつもりです。


皆んな元気が1番ですね!