【130】【知る人ぞ知る体験・逸話-その6---題目で歓喜した馬鈴薯(イモ)】 | [rufu's room]るふの広がる蘭室/

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★★★「心・健康・経済」の三つの財(たから)をテーマに、歴史・
宗教・哲学・スポーツ・読書等を題材にした備忘録です。
日蓮正宗・法華講員の「個人的なブログ」ですので、
「言葉足らず・正確性を欠く比喩」があります。
あくまで「御参考」としてご活用ください。


【シリーズ過去】

【69】【知る人ぞ知る体験・逸話-その1】
http://ameblo.jp/rufu-rufu/entry-11651078923.html
【70】【知る人ぞ知る体験・逸話-その2】
http://ameblo.jp/rufu-rufu/entry-11651079853.html
【78】【知る人ぞ知る体験・逸話-その3】
http://ameblo.jp/rufu-rufu/entry-11695454926.html
【88】【知る人ぞ知る体験・逸話-その4】
http://ameblo.jp/rufu-rufu/entry-11717209350.html
【120】【知る人ぞ知る体験・逸話-その5】
http://ameblo.jp/rufu-rufu/entry-11786795867.html



通称「現証の中野」こと
故・中野忠次氏(啓脩院法忠日全居士)
Cyuji Nakano







 【88】の、〝題目に呼ばれた時鮭〟のニュースがテレビ・ラジオ、新聞等の媒体で紹介されるや、中野氏の名は瞬く間に北海道中に知れ渡っていった。
 通称「現証の中野」の噂を聞くや、我も我もと中野氏の元を訪れ、その現証を実際に体験し、確信を得た人たちはみな、日蓮正宗に入信し、次から次へと自らの体験を人に伝え、日蓮正宗の信仰の凄さ、素晴らしさを伝授していったのである。



---------「題目で歓喜した馬鈴薯」----------

※馬鈴薯=ジャガイモ


 今回は、ある農家の現証体験を紹介する。これも昭和50年代半ばの話と記憶する。
農業を営む:K氏がいた。K氏の自宅は北海道・鵡川。

K氏は、人伝えに〝題目に呼ばれた時鮭〟のニュースを耳にし、中野氏の家を調べて訪れた。


K氏
「初めまして中野さん、Kと申します。時鮭のニュース、知人からききました!一度に150匹のトキシラズが捕れるなんて、なまら凄いですね!題目って本当に効くんですか?」


中野氏
「おう!あれ見たか!そうか!ま、中に入れや」

 と、自宅へ招き入れ、お茶を囲んでK氏の話を聞いた。

K氏
「私の馬鈴薯も題目で豊作にできますか?実は昨年、一昨年と冷害で不作だったんです。北海道は収穫が年一回ですから、一度失敗するとその年はオシャカなんです。」


中野氏
「おう!そうか!俺に任せておけ!ガハハ!植え付けは何月だ?」

K氏
「来年の4月です。」
(北海道は年に一回だけ、この時期に植え付ける)

中野氏
「おう!わかった!ところでさっき、〝オシャカ〟って言葉使ったなぁ。」

K氏
「はい・・・。」


中野氏
「オシャカの意味、知ってるか?」

K氏
「どっかで聞いた事有ります、江戸時代、鋳物工場が阿弥陀を間違えて釈迦像を作ったとか・・・」


中野氏「それは俗説だぞ。考えてみろ、お釈迦様は仏様だろ?なのになんで悪い意味で使われるのか、おかしいと思わないか?」

K氏
「たしかに、言われてみれば・・・。」


中野氏
「それはな、今の時代、末法の本当の仏様は日蓮大聖人様だけなんだ!お釈迦様はね、2000年以上も昔、遥か昔の仏様なんだよ!末法の仏は日蓮大聖人様だけだと、これは釈迦自身がそう言っているんだ!御経にも書いてあるぞ!」

K氏
「そうなんですか?」

中野氏
「おう!そうよ!今の時代、一生懸命仏教やってお釈迦様を拝んでも戦争、災害や事故が無くならないだろ?」

K氏
「たしかに・・・神も仏もいないという時代ですね。」


中野氏
「そう!わかったか!釈迦の仏法はもう古くて力が無くて、使い物にならないってことだ!だから、使い物にならなくなった物を〝オシャカになった〟って言うんだぞ!」

K氏
「そうなんですか!」

中野氏
「おう!そうよ!本当の力のある仏様はね、今の世は日蓮大聖人様だけなんだよ!今な、日蓮大聖人様の信仰をしている人は殆どいない。でもな、日蓮大聖人様の題目で救われるんだぞ!あんちゃんはもう日蓮正宗に入信したほうがいい!日蓮正宗だけが正しい仏教だからな!春になって畑耕して、植える時もな、俺と一緒に祈るんだぞ!日蓮大聖人様はな、
 『今生にかゝる重苦に値ひ候へば、地獄の苦しみぱっときへて』
とな、仰せなんだぞ!いいか、〝パッ〟と消えるんだぞ!わかったか!」

K氏「ハイ!わかりました!入信します!お寺に連れて行って下さい!」



---------------※俗説の〝オシャカになる〟語源説----------------
俗説-1)
昔、鋳物工場で、阿弥陀仏を作るつもりが、間違えて釈迦像を作ってしまい使い物にならなくなったことから始まったという説。
俗説-2)
江戸の金細工職人が、あぶりすぎて失敗した時のことを「火が強かった」→「しがつよかった」→「しがつようかだ」と変化させ、4月8日が釈迦の誕生日であるから、という説。
俗説-3)
これは人が死ぬときに「南無阿弥陀仏」と唱えることから「お陀仏」となり、同義語から「お釈迦」となった説。
上記俗説3つとも文献に記録が残っておらず、実際の所は不明である。
中野さんの説も文献に記録は残っていないが、意味合いとしては一番しっくりくるような気がする。
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K氏は、トキシラズの前例を知っていただけに、起死回生を胸に素直に入信したのである。
そしてこの年の暮れは来年への思いを馳せ、一生懸命にお題目を唱えて行った。

年もあけ、勤行唱題はもちろん、折伏も一生懸命に励むようになった4月、いよいよ種芋の植え付けの時がきた。


中野氏
「K君、準備はできたか!どこに植える?」

K氏
「ハイ!これから案内させて頂きます」


---------向かうは鵡川方面の馬鈴薯畑---------

中野氏
「おう!ここか!広いな!それじゃぁな、まずは種芋に祈るぞ。それとな、祈る芋と祈らねぇ芋と分けるからな!」


K氏
「なぜ分けるんですか?」


中野氏
「題目の凄さを証明するためだ!」

K氏
「ななるほど!」


中野氏
「それとな、植える場所もな、祈る畑と祈らねぇ畑と分けるからな!祈った畑に祈った芋!祈らねぇ畑に祈らねぇ芋!いいか!証拠写真とっておけ!見た目は同じ種芋だが祈った芋と祈らねぇ芋の違いは収穫の夏にわかるだろ!祈った畑と祈らねぇ畑の違いもだ!早く写真撮っておけ!!」


 こうして、中野氏とK氏は、貯蔵庫から出した種芋の前で勤行・唱題し、祈らない芋とも明確に区別をした。又、祈った芋を植え付けた畑にも、勤行・唱題をした。地鎮祭なら昔から日蓮正宗でもよく見かける光景だったが、種芋や畑に祈りをかける光景は、当時は前例がなかったという。



 勿論、K氏は毎日の勤行唱題の中で「未来広宣流布の為に豊作倍増なさしめ給え」と御祈念していた事は言うまでもない。

 4月に植え付けた種芋は、北海道鵡川地方では通常7~9月が収穫期となる。

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いよいよ初収穫の7月を迎えた。これは祈ってから丁度、100日目の節目に当たる。

中野氏
「いよいよだな!。」

K氏
「ハイ!既に、地上に出ている部分にも明らかに差が出ているのがわかります!写真撮りますね!あとは地中の芋がどうなっているか、とても緊張します!」




中野氏
「これも写真に撮っておきなさい。祈った畑とね、祈らねぇ畑の境目の雑草だぞ!雑草の根元は祈らねぇ所でも、曲がって倒れた地上部はそこから先端がデカくなってるだろ!やはりな、祈った方に向くとね、雑草もみな歓喜するんだ!凄いよな!」

K氏「うわぁ~これは・・・これは・・・・。」


K氏はまず、スコップで試し堀りをした。



K氏「・・・・・・!!・・・・・・・・」 

あまりの芋の大きさに絶句である。

そしていよいよK氏は本格的に収穫を始めた。

 ジャガイモの収穫は通常、まずはトラクターで大雑把に掘り起こし、ロータリーから堕ちた芋をで人の手で丁寧に箱に入れてゆく。
 最初のトラクターの操縦時には、収穫において例年との差がわかることはまずないという。しかし、この時ばかりは違った。
 K氏はトラクターに乗っていても、今回の芋の大きさがその音と振動で明確にわかったという。



 ゴツンゴツンという、聞いた事もない音がトラクターのロータリーに響いていた。

 一往復したところで中野氏とともに芋の確認を始めた。

K氏
「なんだこれは!なまらデカいです!化け物だ!」



中野氏
「凄いな!祈った芋はね、こうなるんだよ!歓喜してるんだよ!これ写真撮ってな、道新(北海道新聞社)に報告せ!トキシラズの時はね、NHKだったぞ!これはもしかしたら農林水産大臣賞になるかもしれないぞ!あとな、祈らねぇ芋の写真も送るんだぞ!それとな、味もね、確かめるんだ!」


K氏
「はい!わかりました!」




その馬鈴薯の味は、題目が伝わって歓喜した芋であるから、絶品であった事は言うまでもない。


K氏
「中野さん!メークインの方も凄い事になってます!




 K氏はその時の写真の数々を北海道新聞社に郵送した。
北海道新聞社は直ぐにこの話題を記事にするため、K氏の元を訪れた。
この話題が新聞に掲載されるや、瞬く間に北海道のテレビ・ラジオを介して、道内の農家へ伝わっていった。






 そして、この芋は「鵡川馬鈴薯」として見事に農林水産大臣賞を受賞したのである。


〝題目に呼ばれた時鮭〟に続き、今度は〝題目で歓喜した馬鈴薯〟が大きな話題となった。これで中野氏の名前は、北海道中に知れ渡ったのである。



 以降、中野氏は〝現証の中野〟として北海道のみならず全国を渡り歩き始めた。徳に、商売や病気の悩み等、目に見える問題を180度転換し、やはり目に見える形で莫大な現証をもって解決、瞬く間にその地域の折伏を展開していき、その土地に福をもたらしていったのである。これこそがまさに180度〝宿命転換〟である。

 やがて中野氏は国内のみならず世界中を渡り歩いて大折伏を展開し、やがて日蓮正宗の御宗門においてもその名が知れる程、有名になっていったのである。

 中でも、御当代日如上人猊下様が新宿・大願寺の御住職だった頃は、
「勿体なくも懇意にして下さった」そうである。

 恐らく、昭和30年代~昭和60年代の間、相当数の学会員が中野氏と縁して日蓮正宗に縁し、そしてハッキリとした現証の数々を体験し、その広大無辺な功徳を御本尊から頂戴したハズである。つまり、中野氏の恩を受けた学会員が今でも相当数残っているハズである。


 平成の学会問題以降、中野氏はすぐに学会を脱会、鹿嶋の法正寺信徒となった。そして、創価学会の大幹部をはじめ、離脱僧相手に大折伏戦を展開していった。

 そして、平成6年には講頭となり、平成7年5月の寺号公称板御本尊入仏法要の際には、故・柳沢委員長さえも中野氏の現証体験に驚き、更には講中拡大の熱意に敬意を表したという。

 故・中野忠次氏の勇姿はもう見る事はできないが、縁あった人、つまり恩恵を被った人は、この恩に報いて広宣流布のお役に立つ事はできるはずだ!


中野忠次氏の世話になり広大無辺な功徳を体験した多くの創価学会員達よ、今からでも遅くない!早く目覚めて日蓮正宗寺院へ戻り、創価学会を脱会して、早く幸せの現証を体験せよ!!


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次回は、生前の中野氏の【動画特集】を公開します。