【72】「アフリカの靴屋」と「毒蛇のたとえ」 | [rufu's room]るふの広がる蘭室/

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★★★「心・健康・経済」の三つの財(たから)をテーマに、歴史・
宗教・哲学・スポーツ・読書等を題材にした備忘録です。
日蓮正宗・法華講員の「個人的なブログ」ですので、
「言葉足らず・正確性を欠く比喩」があります。
あくまで「御参考」としてご活用ください。

「アフリカの靴屋」は有名な話です。
靴屋のセールスマン2人アフリカへ開拓に行って、裸足のアフリカ人を見て、正反対の見解をする話です。

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●セールスマンA=「ダメです!アフリカでは靴は売れません。アフリカ人はみんな、裸足です!靴を履きません。」

セールスマンB「チャンスです!アフリカ人はみんな裸足です!最高の開拓マーケット土壌です!


それに似た話で、
「毒蛇のたとえ」をします。

 ある2人の探検家が旅先のジャングルの中で、「宝
(幻の鳥)さがし」をしています。
この鳥を捕獲できると、一生困らないほどの賞金が
国から貰えるからです。

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しかし、いざジャングルへ入ると、それは険しく厳しい環境で、早々に2人の前に恐ろしい毒蛇が現れたのです。「
虎穴に入らずんば・・・・」とはこのことでしょう。

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 Aさんはそれを「こいつは毒だ。マイナスだ。噛まれたらたまったものではない。俺は宝(プラス)となる幻の鳥だけを探すのだ」といって その蛇を避けて一人で奥地へと入り込むのでした。

 方やもう1人B
さんは、相対する毒蛇という毒蛇を避ける事無く、そして噛まれないよう気をつけながら、捕まえて麻袋に保管する行動をとりました。

   (話は端折ります)

 A
さんは、ジャングルの奥地で幸いにも「狩の達人」と「道案内」に出会い、
見事に「幻の鳥」を捕獲することに成功しました。長者の権利は手に入れたのです。
 方やBさんは、捕まえたものといえば、あらゆる種類の「毒蛇」 。ここまでだけで判断すれば、成功者はAだと思われます。
 しかし、Aさんは、自国へ帰る直前の道で、「幻の鳥」の重さに気をとられて、さっきまで避けていた毒蛇にうっかり噛まれてしまうのです。そして、身動きがとれなくなってしまったところで、猛獣に襲われて非業の死を迎えました。  

 一方、B
さんはあらゆる毒蛇の性質を知り尽くすことに面白さを感じていきました。なおかつ、途上にて猛獣が現れても、麻袋に入れた毒蛇をもってそれを退治することができたのです。 「毒をもって毒を制す」に近いことです。

 Bさんが、遅れてその道を通って
Aさんを発見したとき、仲間の死にひどく悲しんだわけですが、Aさんが残した「幻の鳥」を持ち帰えってお金に代え、その資金で、ある研究をはじめました。

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 それが、「血清」です。毒蛇に噛まれたときに使う薬
「血清」は、毒蛇の毒から作るのです。
この研究に成功したBさんは、未来永劫に亘って「人の役に立つ薬」を作り続け、世のための長者となりました。

(余談)
 アオカビは、病原菌としてよりむしろ「ペニシリン」の発見につながったことから、医学史では重要視されていますね。
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(写真:日曜劇場
「JIN-仁」)

 つまり、この話の根本は「毒を避けて通る人は
に苦しむ」「何がプラスで何がマイナスなのか」の目線、先見の明を知る智慧が大切ということです。 基本的に世の中は毒だらけなのです。

 世の中にはたくさんの毒がありますが、一番危険な毒は、
我々の心の中に生じる貪・瞋・癡の三毒です。

例)
◆貪(欲)により食欲が過ぎると生活習慣病を誘発させ不健康になります。
瞋(怒り)は、キレた勢いのあまり、人を殺傷したりします。
癡(愚癡)は、人間関係を気まずくする作用があり、更に他人の三毒を誘発させる働きをなします。


日蓮大聖人曰く

「良薬と申すは毒の変じて薬となりけるを良薬とは申し候ひけり
日蓮正宗の信心(お題目)をすることで、この三毒を薬に変えていくことができます。それが「変毒為薬」であります。


日蓮大聖人曰く
「千年のかるかやも一時にはひ(灰)となる」

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どんなに大富豪になろうとも、薮の火事の如く、堕ちるときは一瞬である。


日蓮大聖人曰く

「魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎き て池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ」
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 魚は、釣られたくないから、普段は池の深い所に隠れている。が、目の前に餌が来てしまうと「パクッ」と食いついて釣られてしまう。ねずみ取りの籠も同じ。人間も、目先の欲にはどうしても負けてしまう。