ずっと読みたかったけど、図書室のスペースを圧迫するのと
まとまった時間で読みたかったので読んでなかった『ソロモンの偽証』
図書館で借りて、年始の3連休プラス1日でがっつり読むはずが、
息子のコロナ騒ぎで時間がつぶされ、さきほどようやく読了。
もう、ほんとに濃いのでいろんな感想はあるけどピンポイントで。

親の立場から。
柏木卓也の親は、完全に育て方を間違えたと思う。
小さなころから賢くて、でも体が弱くて、
「この子は特別な子なんだ!」と思い込んでしまったことが
卓也の自意識を無駄に肥大させ、つけあがらせてしまった。
そしてあろうことか兄・宏之の存在をつぶしてしまった。
(彼が祖父母のもとに“逃げた”のは正解だと思う)
父が「おまえは別に特別な存在じゃないんだ」と諭せたら
母がもっと兄弟をなだらかに平等に愛して育てられたら
そのそも彼の転落死はなかったのではないか。
藤野親子や、神原親子(実の親子ではないが)にある
ゆるがない信頼と引き比べるとなおのことそう思う。

子の立場として。
兄の体験、両親の述懐、塾講師の話、同級生たちの記憶、
万華鏡のようにくるくると変わる柏木卓也の評価。
でも、どれが一番の真実かと言えば、友人(であると
少なくとも相手は思っていた)神原和彦に対して言い放った
「アル中の人殺しの子どもの人生に、
前向きに生きていく価値なんか

あるもんか!」
という言葉が、彼の人格、価値観をほぼ表していると思う。

(映画ではこの設定はすっ飛ばされているらしい)

学校というシステムを評価しない、生きてる意味を知りたい、
というのは、少し賢い中学生なら誰でもはまる命題で、
たいていは悩みながらも現実と折り合いをつけながら
なんとか“その時期”をやり過ごして卒業していく。
繰り返し、繰り返し語られる、卓也の
「生きている意味がわからない

(意味がない)」

は裏返せば
特別な人間である自分には、

ほかの同級生たちとは違う
特別な“生きている理由”があるはずだ。

という想いに他ならない。

思春期の子ども特有の、選民思想。
敢えて突き放すならば
「そんなものはない」
生きている理由なんて人それぞれで、そんなことなんて
一生考えることもなく過ごしていく人だっているし、
今わかったと思っても、明日も生きるならまた変わるのだから、
生を終えるその時まで、ほんとうの意味なんてわからない。

生きる意味が解らないのなら、生きて、生きて、生きて
もがけばよかったんだ。
どこにでもいる、ちょっとだけ大人びた中学生として
その“自分だけの答え”を見つけるために。
なんでこんな断罪的なことを言うかというと
私も中学生の頃、屋上への階段を上ったことがあるから。
鍵がかかっていたので、そこで号泣して、号泣して、
泣いたら何かひとつ終わったような気がして、帰ってきた。
(問題は結局何ひとつ解決してはいなかったんだけど)
…上等三中の屋上へのカギも、きちんとかかってたらよかったのに。

そしてここで今さら悩んでもだえていること2つ。
ひとつは、結局『ソロモンの偽証』って
“誰の”“どの証言が”偽証だったんだ?
ソロモン=賢者。
涼子?神原くん?三宅樹里(いや賢くないでしょ)
個人的には井上判事が好きなんだが。

もうひとつは今になって、『ペテロの葬列』文庫版の最後に
この話の後日談である『負の方程式』があると知ってしまったこと。
ペテロ、読んじゃったんだよ。いやもうあれ、最後が最悪。
宮部みゆき好きなのに、あれはどうしても許せない。
なのに…今さら買わなきゃならないのか?文庫版?
あああああどうしたらいいんだ~!!(でも読みたい)