明けましておめでとうございます。


何年か前に観たテレビで、ドランクドラゴンの鈴木さんが

「明けましておめでとうございます。」

と言われると

「あ、ありがとうございます。」

と返してると聞いて(天然で)、面白かったんでマネし始めたら
私も自然と言うようになってしまった、ボーカルのウエヤマです。

会社では割りとスマートに仕事してるつもりなのに、ついつい何人かに

「あ、ありがとうございます。」

と言ってしまって漏れなく不思議そうな顔されてます。






新年を無事に迎えられたことに喜びを感じたことはなかった。当たり前のことで考えもしないからだ。


昨年12月、うちのはす向かいのお宅の幼なじみのお父さんで、小さいころからお世話になったおじさんが天国へと旅立った。
俺の両親と同い年だったらしい。


夏頃に熱中症のような症状で体調不良が続いたようだ。それでも休むことなく働いていたところダウン。意識を失いそのまま入院して検査をしたら、脳に大きな腫瘍が見付かり、そこから意識が戻ることはなかった。
前兆も分かりにくいし、健康診断でも人間ドックでも見付からないよ、
神様それはないだろ、


そのままの状態だったけどご家族の方の支援があって12月まで頑張れたんだと思う。


年末は俺がなかなか立て込んでおり、年を越す前にやっとこさ会いに行った。

仏壇と遺影としての数ヵ月ぶりの対面。
顔を観た途端にどこかに仕舞われていた思い出が湧くように溢れてくる。


子供の頃も今も、うちの親は土日もほとんど仕事をしていた。
それに代わってって訳じゃないけど、幼なじみの家に転がり込んでは遊んでいた。

おじさんには映画館に連れていって貰ったり、科学技術館へも行ったり。

幼なじみが不在の時でさえ、遊びに行っていた。
新しいものが好きだが飽きっぽいご家庭で、最新のゲーム機やソフトが必ずあった。
一通りプレイしたらそこから進めるのは俺の担当。

「もうやらなくなったから」
と言って貰った大量の64のソフトとコントローラー、今でも大事に使ってるよ。

時には騒ぎすぎて怒られたりもした。
現代でもそういう近所付き合いってあるのかな?
本当にありがたいよ。

自分が世代がうんと離れてる大人たちと抵抗なく接することができるのは、多分回りにおじさんのような人達が何人かいてくれたからだと思うよ。
年下に対して、おじさんのようにダメなことはダメと言えるようにするよ。



なんてったってはす向かいのお宅なので、年を重ねて社会人になっても顔を合わせることはあった。
新社会人の俺の愚痴ばっかり言ってたかな。

駅で合うこともあった。
ホームへ上がるエスカレーターに乗ろうとする俺を
「階段で行かなきゃ!」
と言って引っ張られたり。
根っからの性分で、働き者なのだ。
いや、俺は前日走ったんだけど、と思いつつ階段を二人で上った。



とにかく色々思い出したのは、遺影の写真がとても良い顔だったからだ。大好きなディズニーランドで撮られた写真らしい。
本当に良い写真だった。



そして先日夢をみた。
自分が小さいころくらいの時の年齢のおじさんが出てきたのだ。自分は今の年齢だったけど。

霊能力などという類いのことでは無いが、昔飼っていたうちの犬が旅立つ時もそんなことがあったり、たびたび夢で出合うことがあるのだ。
それもいつか書こう。


おじさんに俺は言った。
「働きすぎだったんじゃないの。休むことも大事だよ。」 と
おじさんは少し、ばつが悪そうな顔で笑っていた。


仕事以外でも、親戚やご家族のお世話ばかりしていて、自分のことは後回しだったと思う。
エスカレーター、乗ったっていいじゃない、
まぁ性分なんだろうけどさ。


多分今ようやくでゆっくり休めてるんじゃないかな。

おばさんと幼なじみとは当然これからも付き合いが続くから、心配だろうけど大丈夫だ。
また夢であったら俺の会社の愚痴を聴いてくれ。
お疲れ様でした。本当にありがとう。







自分はもうすぐ30歳になる。
色々な別れに対して避けて通れない年齢になっていくんだと思う。


もしもこれを観てる友達で、体でも心でも、大きな負担があるときは、頼むから会いに行かせてくれ。
直接言うことに抵抗があるなら、なにかシグナルを出してくれ。

元気付けるなんて大層なことは後付けで出来ればラッキーぐらいなんだが。
顔を直接観ると、色々、思い出すことがあるんだよ。
絶対に。

つまらなくても話を聴くから。
何がどうしてどうなってどう思ったのかを話すのが、友達じゃないか。



それと、「死にたい」という言葉。

絶対に言わないでくれ。
ギャグでもやめてくれ。

悩みながらでも迷いながらでも苦しみながらでも、
誰も死にたがってなんかいないんだよ。
辛いってなったときは、寄り集まる人間でいいじゃないか。