新宮戸八景物語 唐船番所(紙芝居) | 関口英樹

関口英樹

日々の出来事。

宮戸島のレアな風景、雪景色を撮りに行って来ました。

新宮戸八景物語の紙芝居と共に紹介します。

ちなみに写真は極めて素人なのであしからず。

 

東松島市の宮戸地区には、地元の人たちに親しまれ、大切に守られてきた八ヶ所の自慢の景色があります。

その地は、新宮戸八景といわれ、それぞれにつかしから言い伝えられてきた、民話や伝説・神話がありました。
これから始まるお話は、新宮戸八景にまつわるむかしむかしの不思議な、おはなしです。
 
【新宮戸八景 その6】
大浜唐船番所跡(おおはまからふねばんしょあと)
このお話は、江戸時代のことです。
大浜には番ヶ森という名前の崖があり、そこからは遠くの海を見渡すことができました。
(イラス「みさご島」は当時のままを描いています。東日本大地震後は、崩落し、形が変わってしまっています。)
 
番ヶ森には「おふでむろ」と呼ばれるおおきな木があり、その木の下には外国からやって来る船を見はるお役所がありました。
そのお役所では、大阪民記という名前の男が毎日、見はりをしていました。
(『お筆むろの木』市の指定文化財・天然記念物に指定されている老木。樹齢約600年 建武2年〈1335年〉鎌倉を脱出した護良親王〈もりよししんのう〉が宮戸に上陸し、筆に使われた『むろ』の木の枝を土中に刺したところ根付いたと言われている。)
 
ある日のこと、民記は黒い煙をはく、巨大な真っ黒い船を見つけました。
「大変だ!外国の船が攻めてきた!」そう思った民記は、仙台のお役所に知らせるために「のろし」をあげました。
そして、大浜の村のかねや観音寺のかね、里浜の医王寺の太鼓を次々に打ち鳴らしました。
民記の合図に気がついた仙台のお役所でも大騒ぎになりましたが、幸いなことに、黒い船は宮戸には向かわず、江戸の方へと離れていきました。
宮戸は無事で安心したということです。
 
今大浜唐船番所跡の石碑がある所には寒桜が咲いています。
雪化粧された寒桜。
レアな景色です。