改めてですが、自己紹介になります。
自分は愛知県に住んでいます。愛知県というのは、旧国名でいうと尾張と三河に分かれます。
自分は生粋の尾張人なんですが、この尾張と三河っていうのは、地勢も気質も結構違います。
他県の人から見たら、よく分からないと思いますが…この点については、司馬遼太郎先生の本でも言及されていますし、織田信長や豊臣秀吉と徳川家康の違いを考えると分かりやすいと思います。
またいずれ折に触れて説明したいと思います。
今日は三河にある市場城へ行って来ました。
実は三河に行くのは、尾張からだと意外に遠いんです。やっぱり尾張からだと岐阜県、滋賀県の方が断然行きやすいんですね。
例えば、東三河にある有名な長篠城なんて、高速使っても二時間以上かかります。逆に西に向かって二時間あれば、敦賀まで行けちゃいます。
そんな訳でいままで三河の山城って、つい行く気にはなれず、ほぼほぼ未着手だったのですが…何故かGW初日に急に思い立って、豊田市にある市場城に攻城してきました。
トイレ付の駐車場がありました。ありがたいです。
駐車場の向かい側に登城口があります。さあ行きます!
五分ぐらいで、城内の案内看板のあるところに着きました。縄張り図と順路の説明があります。
三河の山城って、城内に巨石がゴロゴロしてるところがよくあります。ここもそうでした。
城主の供養塔
竪堀ありました
本丸へ向かう途中にある空堀 ここを通過しようとすると両側から狙われますね。奥に見えるのが、本丸の石垣です
本丸の石垣 野面積みです
二の丸から見た本丸の石垣
本丸は大きいですね。眺望も良かったです
本丸からさんざ畑に向かって降りる途中で、振り返った写真
切岸も鋭いですね。登るの無理かな…
ここから右に行くと、本丸北側の曲輪に行けるようですが、見落としてます…左へ行くと枡形門です
もう一度本丸を見上げた写真 高さがあります
枡形門(虎口) ここにも石垣がありました。こちらが大手なのかな…
さんざ畑(家老の屋敷跡)とその下の曲輪
城主の鱸氏は、徳川家康の関東移封に従わず、改易になったようです。珍しい苗字ですが…
うん?鱸?=鈴木
つまり全国の鈴木さんの由来って、こうゆうことだったのかも…なんて思ったりしました
(すずき→鱸→鈴木)漢字は当て字 まああくまで思いつきですので(笑)
ここ市場城は、この辺の中心的なお城だったのでしょうか?(規模的にも?)石垣がある山城って三河では珍しい…と思います。特にこんなちゃんとした立派なものは。その辺の築城の経緯とかも想像すると面白いですね。
以上です。
あとがき:結構ブログも大変ですね。皆さんの苦労が偲ばれます。