初めてまして。自分の思いを書きたくなりました。私は札幌在住の発達障害で、二次障害で精神障害者です。これから書くことは中には「お前は偽善者じゃないか」と思い、攻撃したくなる人、私の名前で悪いことをしてやろうと思う人もいると思います。でもこの記事を読んで、元気になってくれれば、頑張ろうという気持ちになってくれればと思い書いています。
まず、人の中には生まれながらに与えられた、ある種の能力、姿を持った人がいます。歌手、作曲家、作家、俳人、画家、アニメーター、写真家、映画監督、俳優や声優等、ある意味アイドルも「クリエイター」と読んでも良いのではと思います。広い意味でいえば、ある種の「世界」を作る人として、タレレントや、モデル、最近ではやYouTuberもそのように読んでも良いでしょう。また医者、弁護士、科学者、物理学者等は「専門家」と読んでいる人達です。しかし、大工や、農家、スーパー等も良く良く考えてみれば、その道の「専門家」なのです。こんな風に見て行くと、全ての人がなににかしらの「専門家」なのです。問題は選んだそのその種類の「専門家」として、どれだけ、「自分」という、「個」という存在に対してのこの世界の中の「場所」、言い換えばこの世界という複雑な「グラフ」に対してのどの「座標」に居るのかということです。他人と自分を比べることは各々から見た「座標」の「距離」を比べることなのです。しかしその「距離」に対してどのように感じるかにより、その「距離」は常に変わる、そう常にあなたという「座標」は常にその「グラフ」の中に常に動き続けているのです。人は些細なことから、それは時は自分にとっては非常に深刻で強大で耐え難く、そのことで自分を蔑み、他人を妬み、自分の「座標」がどこにあるのか見失うことがあり、自分がこの「世界」という「グラフ」と「座標」がないように考えてしまうことがあるでしょう。でも過去の死んで行った人達がその死んだ時の「座標」に留まり続けて、私達は生きて行くということで、常にその「座標」を動かし続けているです。もしも今これを読んでいて、「自分」と「座標」を見失いかけている人いるのであれば、私はいつでも「あなたの「座標」はそこあります。その「座標」はまだ動きを止めていません、動く力は弱くなっているかもしれないけれど、もっと力強く鮮やかな線を絵描き始めることが出来るよ」とこのブログを見た時にいつでも感じられるようにいたいな、と思います。私はこのようなことは実際に人と会って話すことしません。何故ならば特定の人に思いでもないこと、いつでもどこでもこのブログを見た時に少しでもその人の支えになればと思っています。繰り返しになりますが、このブログを読んだ人の中には理解出来ない人もいることでしょう。でも何かの時にこのブログを読んだ時にあなたのの中で何かが変わり前を向いて優しく微笑んでいるかのようなそんな心や表情が取り戻せたらといつも願える様、自分を自分で否定しないでいたいなと思っています。長くなりましたたが、最後まで読んで頂いてありがとうございます。