ルーシー・わんのブログ

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僕がこれまで読んだ本の中で、印象に残った本、読んで良かったと思える本、影響を受けた本の紹介を中心に書いていきたいと思います。

ヒトラーが当時世界最先端の民主主義憲法であるワーマール憲法(国民主権、男女平等の普通選挙の承認、生存権の保障、等)から生まれたという知識はありましたが、なぜかは知りませんでした。しかし、先日7/1(月)放送のNHK 映像の世紀バタフライエフェクト 「ワイマール ヒトラーを生んだ自由の国」を見て分かった気になりました。確かに複合要因としてそのような残念な結果を招きましたが、憲法の条文としては次の条項が問題であったことを知りました。

 

第48条 大統領緊急令

“公共の安全および秩序を回復させるため、国民の基本権(人身の自由・住居の不可侵など)の全部または一部を暫定的に停止することができる“

 

NHK 映像の世紀バタフライエフェクト 「ワイマール ヒトラーを生んだ自由の国」:

 https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024070122264

 

他人事ではないですね。

文化庁HPにある令和5年度著作権テキストより著作権について、著作物を引用する場合についてのルールを説明した資料より;(以下、< >の部分を除いて引用)

 

■著作者の権利の制限(許諾を得ずに利用できる場合)―――――――

著作権法では、条約によって許される範囲内で「権利制限規定」と呼ばれる「例外規定」が数多く置かれ、一定の例外的な場合には、権利者の了解を得ずに著作物等を利用できることとされています。

 

<その場合、私が利用する次の2種類について、ここにピックアップしてみました>

 

(1)【「引用」】(第 32 条第 1 項)

報道、批評、研究等の目的で、他人の著作物を「引用」して利用する場合の例外です。例えば、以下のような行為が該当します。

・報道の材料として他人の著作物の一部を利用する

・自説の補強や他人の考え方を論評するために他人の著作物の一部を利用する

 

【条件】

1 すでに公表されている著作物であること

2 「公正な慣行」に合致すること(例えば、引用を行う「必然性」があることや、言語の著作物についてはカギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること)

3 報道、批評、研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること(例えば、引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であることや、引用される分量が必要最小限度の範囲内であること、本文が引用文より高い存在価値を持つこと)

4 「出所の明示」が必要(複製以外はその慣行があるとき)

※美術作品や写真、俳句のような短い文芸作品などの場合、その全部を引用して利用することも考えられます。

 

(2)【「時事の事件」の報道のための利用】(第 41 条)

「時事の事件」を「報道」する場合の例外です。

【条件】

1 その事件を「構成した著作物」や、その事件の過程で「見られたり聞かれたりした著作物」のみを利用すること

2 報道の目的上正当な範囲内であること

3 慣行があるときは「出所の明示」が必要

 

出典資料:

令和5年度著作権テキスト:

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/93726501.html 

13.著作者の権利の制限(許諾を得ずに利用できる場合)(p.60):

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/pdf/93736501_11.pdf

 

ちなみに、著作物の定義は、次のように書かれています。

 

”第2条(定義)

一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。”

 

”次の著作物については、著作権が及びません(第13条)”とあります。

 

(イ)憲法その他の法令(地方公共団体の条例、規則を含む。)

https://www.bunka.go.jp/.../seidokais.../pdf/93908401_05.pdf 

【問い】

カッコの中に入る言葉を、次の①から⑥の中から選び、番号で回答すること。

モンテスキューやルソーは、議員や統治者を (  ) によって選ぶことが民主政治の本質にかなうものだと論じた。

①   選挙 ② 世襲 ③ 魚屋の意見 ④ くじ引き ⑤ 決闘 ⑥ 占い

  <・・・出典(※)より引用

 

ブレインストーミングという言葉があるが、この本は知っていると思っていた民主主義の概念やその理解を根底から覆すものとなっている。特に、その概念の原点であるモンテスキューやルソーの思想に照らし合わせた時、歴史的に大きく誤解してきたことが分かる。言い換えると、日本の大正デモクラシー、吉野作造の民本主義でさえ、本来的な意味でのデモクラシーからはかけ離れていると言っている。日本のデモクラシーは長い間、迷走してきたと言えるだろう。

 

上記の問いの正解:④ くじ引き

その理由は下記著作参照。

 

出典(※):

  • 書籍「民主主義という錯覚 ~日本人の誤解を正そう~」 薬師院 仁志 (著) PHP研究所

https://amzn.asia/d/0bwFldCd

落語は古くから、政治家や社会を風刺する表現を巧みに用いてきました。権力者への皮肉、社会の矛盾や問題点の暴露、庶民の生活の苦悩など、様々なテーマをユーモラスに描き出すことで、人々を笑いと考え込みに誘います。
この政治風刺は、単なる娯楽ではありません。落語家は、社会の動きや世相を鋭く観察し、そこに潜む問題点を独自の視点で切り取ります。そして、それを笑いに昇華させることで、権力への批判や社会への警鐘を鳴らすのです。

では、現代において、落語の政治風刺はどのような役割を果たしているのでしょうか?
まず、政治家や社会の権力者をチェックする役割が挙げられます。落語家は、政治家の失言や失態を笑い飛ばすことで、権力の傲慢さや無知さを明らかにします。また、社会の不条理や矛盾を突くことで、問題の所在を浮き彫りにし、人々に考えるきっかけを与えます。


次に、庶民の生活を代弁する役割が挙げられます。落語家は、社会の底辺で苦しむ人々の声を代弁し、彼らの苦悩や悲しみをユーモアの中に込めます。そのことで、人々に共感を与え、社会全体の連帯感を高める効果があります。
そして最後に、エンターテイメントとして人々を楽しませる役割が挙げられます。政治風刺は時に辛辣ですが、落語家はそれをユーモアと知性で包み込み、観客を笑わせます。そのことで、人々にストレス解消や心の癒しを与え、日々の生活をより豊かにするのに貢献します。


このように、落語の政治風刺は、社会を批判し、人々を考えさせ、そして楽しませるという、様々な役割を果たしています。それは、単なる娯楽にとどまらず、社会変革の力ともなりうるものです。

(※)上記はGoogle 最新生成AI Gemini回答(6月15日)を利用して編集。

 


東京新聞記事(2024年6月7日 13時18分 (共同通信)):雲助さん、落語で裏金事件を皮肉 国会内で議員前に寄席