ソファーの上で

寝転がって

そよ風にあたりながら

ゆっくり呼吸をして

外から聴こえる音に耳を澄まして

すっごい心地良くて


特に

そよ風と鳥の声が
同時になった時が

もう最っ高で。


 
忘れてはいけない感覚だと
思ったから今のこそうと
こうして、久々に文字打ってる。



こうやって
身体の感覚に集中してるとき

ただ、ただ
静かな幸福を感じる。


とても心地良くて
自分のど真ん中を感じられる。


他には、どんなときに
こういう心地良さが
体感で起きるだろう?

と想像してみた。



夢中になる作業だったり

昔やってたスポーツだったり

最近の仕事だったり



いくつも出てきて

それらをもっと
細かく突き詰めていくと


それらのことが
全部好き、心地よい、
というのではなく


どれもこれも
それぞれの
とある瞬間だったりする。


これをしてる時の
この瞬間が
最高に
心地良い、気持ち良い、嬉しい、

というもの。


その瞬間の
心地良さなどは、
なぜ起きるのか‥


もっともっと
突き詰めていくと


その瞬間
なにが自分の中で起きているのか


それがはっきりとわかる。




その瞬間起きているのは、

自分のど真ん中を感じている

ただ、それだけ。


自分のど真ん中とは、

何も持たない
何にも左右されない
ずっと自身の奥深くで
どっしりと構えている存在


それが、

本来の自分。


そこを感じられたときに
静かな幸福感を感じられる。



この本来の自分を感じる時が
あまりないと人間は、
どんどん心が迷子になる。



どんなに高価なものを
所有していても

どんなに高評価を受けても

どんなに頑張って
成果を積み上げてきても


それらと自分を同一化して
自分の価値と結び付けた時点で


全部、ガラクタでゴミくず
になる。


それが無くても
自身の価値は下がらない。


それがあっても
自身の価値は上がらない。


あってもなくても
本来の自分は何も変わらない。



だから失うことを恐れる必要もない。


失うことを恐れるのは、
偽りの自分、エゴだ。



逆に、
どんなに貧しくても

どんなに孤独でも

どんなに失敗ばかりでも


自身の価値は
下がりもしなけりゃ
上がりもしない。


良いと思える状況も
悪いと思える状況も

ただ、今、それなだけで、

それによって
自身の価値が上下することはないし

本来の自分はビクともしない。


一喜一憂し
ビクりとするのは
本来の自分ではなく

偽りの自分。
自分の中のエゴという存在。



はっきり言ってしまえば、


自分ってすげぇーって
思っても、
全然すごくないから大丈夫。

自分ってダメだーって
思っても、
全然ダメじゃないから大丈夫。


真実は
自身のど真ん中の
「本来の自分」


それは、
何も持たず
何にも左右されない
常に自分の奥底でどっしり構えている
その静かな存在。


すごくもない
ヘタレでもない
何も言葉が付けられない
永久不滅なもの。


それは
誰の中にでも存在していて

その存在に
気付いてるか
気付いていないかで

日々の幸福度が
そして生き方が、変わる。



「本来の自分」で生きるとは、

自分の得意を披露したり
自分らしさを発揮したり
ではない。

これが目的となったら危険。



本来の自分の感覚と
同一化し、同じ感覚になり
その感覚を忘れず生きること。


どんなに地位、名誉、財産、を得ても
どんなに全てを失っても
どんなに手に入らなくても


本来の自分の感覚
自分のど真ん中の感覚
で居られること。
「いまに在る」こと。


それが
本来の自分を生きる
ということ。