「普通」ってなんだろう?
よく、「普通にこうしてるよね」とか「これが普通だよね」とか「普通の人は
こうだよね」「普通に結婚して」「普通な幸せ」とか言いますよね。
広辞苑では「普通」の意味として、「ひろく一般的であること」「多くに当てはまること」「どこにでも見受けられ、他と特に変わらないこと」などがあげられています。
じゃあ、ひろく世間一般の人の持っている「常識」とはどう違うんだろう?
これも広辞苑によると、常識とは「普通、一般の人が持ち、また持っているべき知識。専門知識ではない、一般知識とともに、理解力・判断力・思慮分別などを
含むとあります。
「普通、一般の人が持ち、、、、」って、ここに「普通」ってまた出てくるんです。
なんか、わかるような、わからないような、「あたりまえの」とか、「みんなとおんなじような」とかという意味合いなのかなぁ、概念が大きすぎて、曖昧過ぎて
なんかこうじゃないのかなぁ的なしきりでくくられている曖昧模糊な世界観のような感じ、かな。
でも、この「普通」って言葉には、縛られたくはありません。
「多くに当てはまって」「他と特に異なる性質を持っていないさま」がいいこと、当たり前、極論すればそれ以外はダメ、みたいな風潮には納得できません。
人は、人、百人百様って言いますし、その人なりの個性が大切って言われてるのに、何か飛び出していると、出る釘は打たれるとか、普通にしてなさいとか、、、
わたしの若いころ、といっても40代頃(30年くらい前)には、変わった状態ではいられない、変人扱い、隠さなきゃいけないこと、みたいな風潮があって、もちろ
ん、田舎と都会では認められることが違うという地域差みたいなこともあったんでしょうけど、自分自身をずいぶん押さえつけ、押し殺して、生活していたような感じでした。
いまでは考えられないでしょうけど、、、、
自分自身の性自認のことだけではなく、だれを好きになるかでも同じ感じです。
「恋愛」という言葉が生まれたのは、諸説ありますが、明治時代に出来上がったと言われてます。
その時代時代で、流動的で変わっていく「恋愛」のような感情を、誰にでも同じようにあてはめることは、とてつもなく無理な話です。
男の人と女の人が恋愛という感情をもってお互いを好きになる→家族になる→
子供が生まれる→家を持つ→家庭を持つ
という、世間一般に言う「普通」の生活の営みしか認められない世界だとしたら
とてつもなく不毛な世界のような気がします。
恋愛という感情も、時代と場所によって変化します。
誰が誰を、どんな風に好きになったって、いいじゃないですか。
マイノリティだから許されないじゃなくて、マイノリティでも許される、認めら
れる、じゃないなぁ、、、「認める」とか「許す」って言葉は、誰かに「認めて
もらう」とか「許してもらう」という受動的な感じがするので、言葉が違うと
思います、、、、うーん、どういう表現がいいのか、、、、
「普通」の人でも、マイノリティでも、誰の目を気にすることなく自然に、ありの
ままに自由な姿で生きていける、そういう世界がいいなぁ、、、