少し寂しかった。
なんなら泥棒入る夢見たわ。
ドロボー ドロボー
叫んで助けを呼ぼうとしても息が漏れたような声しか出なくて
ドロボー
やっと、言えた実際の自分の声で目を覚ました。
声出た
また眠った。
なんとも言えない夢。
こないだ、出かけた時に夢守りを持って出て、
落とした形跡なんてないのに、
鞄の中から消えていた。
起き抜けに、たばこを吸ってまた気分悪かった。
あー、今朝もやめれてないのだなと。
もはや、ツインソウルだ。
癒しと、安らぎも与えてくれる時もある。
過去たばこがあったから、生きてこれたとも思うし、
なかったら、もしかしたら悲しくなかったかもしれない。
夢に精霊みたいに、けむりのヴィジョンが現れるくらい。
多分私の悲しみのすべてを知っている。
2年前くらいは、過呼吸にでもなるんじゃないかというくらい2,3日に1回は号泣していた。
母の病気や死もあったけど、
2015.2.11にある人が夢に出てきてから
時空を超えた愛の記憶をいっぺんに思い出した。
何度も、本当に実在する人なのか、疑ったり
証拠を集めたりしていた。
それは、知らないことのように感じていた自分との出逢いでもあった。
そして、いろんな
精霊や、人、スピリットとチャネリングが声とヴィジョンで始まった。
それまでは、遠くにあったものがいっぺんに集まってきて、楽しくもあったけど、疲れてしまった。
あんなに死に恐れた時はなかった。
自分から 『あの愛に逢いたい 』 と、 母の愛の違う世界へ行こうとした時もあったし、
(そういうとき、メイト達は止める。「どこ行く気やねん。ちょっと待ってよ〜。」と。)
かといえば、『今日は星の夜だよ』と言われると、ものすごく怖かった。
亡くなった子供達がいる世界に当時は見えた。
連れて行かれる感じが怖かった。
肉体を離れることの死 。 いや、 自我が消えることが怖かったのかもしれないし。
肉体の痛みも感じたりしていた。
なんの話やねんがつづく、
ホウセイ(私が勝手に呼んだ)というパートナーがいる
ある次元ではとってもかっこよくて、追いつけない
ある次元では、情けなくてどうしようもない
宇宙の塵からやり直し
と言ったこともあれば
私には、この世とあの世の美しさのすべてを集めたのがあなた。
と伝えたこともあった。
お前だけを探していた。
と、言われたこともあれば
なんで、またお前やねん。
と、言われたこともあった。
心療内科というのは、寄り添ってくれる先生にはすべてを話すといいと思う。
私、心療内科ってどんなとこか知りたくて一年半前に行った。
あまりにも、私が寝れなくなったのと
私が急に泣いたり、
怒ったり、
変なことをするから心配になったのですね、家族が。
私も死の恐怖がつきまとっていたので、疲れてたし行ってみようとも思った。
後で聞いたら、あまり評判のいい先生じゃなかった。
兄には、「全部 はい はい って適当に答えとき。」
と、言われたけど
一般的には変なことも話したら、どう対処してくれるのだろうと知りたくもあった。
「あんたの言ってることは誰が聞いても変や。絶対に治らん、一生薬飲むように。」
と、言われた。
正直予想以上に傷ついてしまった。
反論をしようと思えばできたけど、
なぜか兄を悲しませたくなくて、
口をつぐんだ。
「とにかく、薬だけ飲んどきな。」と、言われて
薬の袋に 兄が日にちと飲んだら○を書くチェック欄を書いてくれた。
私はすぐに飲むのを忘れて ○が書けない日があった。
最初の1週間は
ヴィジョンや聴こえてた声や音楽が消えて寂しかったけど、
美しいそれ達も、消えてしまったけれど
苦しみも恐怖も消えて行った。
良かったかも知れないと思った。
そして、クリニックの後に離れて暮らしている兄と一緒にモーニングするのが嬉しくて
最初の方は機嫌よく行っていた。
「会費は出してあげるから、スポーツジム通ったり、ちょっとお化粧楽しんだりしいな。人がいるとこに出ていきや。」
とも言ってくれて、すごく嬉しくて甘えれば良かったと今は思う。
真面目に薬を飲み出してからが、私の本当の苦しみが始まったように思う。
薬を飲む前は、死の恐怖はあったけれど
生きていることがとても美しく嬉しかった。
未来の夢のヴィジョンが無数にあった。
並行次元にいくらでも幸せをひらくことができた。
自分に誇りもあった、だけど誰かに対して鼻にかけたところもあったかもしれないとも思う。
薬を飲み出してからは
生きることが辛くてしょうがなくなり、
自分は何て価値のない人間なんだろう、と思い始め
愛の記憶もほとんど忘れ
精霊も神もいない無神論者になった。
いつもびくびくしだし、社会というところがとても怖くなった。
同時に就職しないと行けない
働かないと、意義を見出さないと、ってなった。
なぜか、応募したところはすべて採用されたが
どこへいっても苦しかった。
笑えない、無感情、無感動、人への優しさを忘れた。
自分を愛するというのがわからなくなった。
そして、自分の言葉が出なくなった。
何をやっても、自分はダメなやつだなぁと思っていた。
その間に、麻央さんのブログが始まった。
励まされることもあったし、
彼女の命の炎を感じて感動することもあったし、
正直な話、
ひどい想いを抱いたこともあった。
そして、日本中から集まる賛辞、
女神だと言われ、誰からも愛されていると感じた。
ひとりの死がこんなにも大きいのかと羨ましくどこか嫉妬していた。
彼女の死と、母の死は同じなのだろうか。
震災の時も感じた。
震災で亡くなった命と、昨日人知れず亡くなった人も同じ死なのにと。
きっと、麻央さんより自分は素晴らしくないとどこかで思っていたのだと思う。
本当の彼女を通しての真意は
すべての女性は、それぞれに個性があり
それぞれがそれぞれに、本当にかけがえなく素晴らしい女性であることを想い出し、知ることだと思う。
優越感も劣等感も、まぼろし で、うつし世だ 。
生きることってなんなのか、
死とはなんなのだろう、
すべてを含み、すべてを超えて、
愛とは……?
未知である。
話は戻って
薬は、自分が使い手にならないといけないと思い、
薬に依存せず
根本的に自分を取り戻そうと思い始め
ブログも書き始めた。
ハッピーちゃんが発信している
『世界は自分で創る』
を、読んで そうだった そうだったと
ひとつづつ想い出し始めることになった。
自分へ生きる丁寧さを想い出しつつあった。
短期で行ったクリーニング屋さんのアルバイトも良かった。
自分の価値を少しずつ受け取れるようになった。
そこでの、紫苑さんとの出逢いも良かったと思う。
また、感情が戻ってきた。
自分の人生を振り返れるブログも書けるようになった。
弱い私ですが、どこかで応援いただけると嬉しく思います。
自分もそんな存在であれるのなら
きっと嬉しい。
この曲は 私の葛藤の何年かをあらわすような曲。
more than paradice
私はそれを、夜中に聞いたような気がした
ずっと好きだった歌、夢見た歌どうか行ってしまわないで、
私を独りにしないで、優しい子守唄心臓の鼓動を感じて、
頭上の空は砂丘に変わり光る河は私を通り過ぎてゆく
人生はすれ違う車のヘッドライトのように過ぎ去ってしまうんだ
私がみた南国の夢
山々を超えて、太陽も超えて赤い花々のような夕陽は私を包み、
私はとても自由だった
だけど気がつくとそこには私の手を取ってくれる人は誰もなく
それは何て孤独なことだろうと思ったの
起きてしまってからも その夢は私の体に浸透しつづけ、私はずいぶんと長いことぼんやりと考えていた
この地上に愛以上に私を納得させるものがあるだろうかって
そうよ、あなたはパラダイス以上
あなたが抱きしめてくれる時、全てのことが美しいんだって気づかされる
まるで嵐のように美しいって
どこか遠くの国へ…
だけど自分の心から逃れることは決してできないはずだ

