あれから3年か…
あの地帯はどうなっているのだろう。
片付けてはまた崩れ、揺れのない日を過ごしたことはなかったです。
今でも思い出す…
*****************

忘れもしない、14時46分。
初めて鳴り響く携帯のアラーム音に恐怖を感じ、手を伸ばした途端やってきました…

阪神大震災とは違う、味わったことのない激しい揺れ。
マンション7階とはいえ、揺れが止まらない。立ってられない。

40強の大きさのテレビが一瞬にして暴れだし、転倒防止の線なんてぶっち切り。
当時2歳の娘が泣きながら足にしがみつくなか、テレビを押さえ耐えてました。
普通なら揺れが収まるのを待つだけなのに、あのときは違った!
待っても待っても収まらない。耐えるのみ。

一瞬にして電話機も金魚の水槽落下。


洗面所も…

キッチンも、扉という扉から出るわ落ちるわ。

ただ、耐えるしかなかった。
この世の終わりを感じた瞬間でした。
どうにか揺れが歩けるほどになったとき、すぐに必要なものをバッグに詰め、子供抱えて外に集まったものの、地上でも立ってられない揺れ。

揺れ揺れ揺れ…

ワンセグで聞こえてきた『津波』『死者何百人』このご時世津波なんて冗談かと思いました。
当時いたマンションは仙台駅近くだったので津波の心配はしなかったけど、よく遊びに訪れた仙台港や空港までの道沿いの家々が心配になりました。

規制が解かれ通れるようになったのは1ヶ月以上経ってから。
それでも一部…まだ捜索中だから。
少しずつ少しずつ自衛隊のみなさんで…。

そこには変わり果てた光景がありました。

あり得ないところに車が軽々と打ち上げられ…


新車が並べられてたはずが流され、事故車同様…


かろうじて残った家の壁には津波の足跡…


空港までの道沿い。
ホントは家が両脇に並んでたんだよっ!
どこだったか窓からのぞいてた猫がいた家なんて、跡形すらなし!
こんなことがあるなんて…。


左奥は海岸。防砂林の木々がなぎ倒されまばら。
一帯に広がっていた田畑にはその木々やがれきや砂だらけ。
実家では米作りしてるから、田んぼに塩分入っちゃ再生困難な状態はわかる。
農主さんの気持ちを思うと言葉が出ませんでした。
*****************

あれからどうなってますか?
お変わり「ありますか」?

こんなことがありました。
こんなこと、二度と起きてほしくないけど自然の力にはかないません。
何を伝えれば何が伝わるかわかりませんが、忘れないでほしくてUPしました。
できることは何か、できるうちにすることは何か、考える時間も大事だと思います。


犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。