マルセイユタロットとルネサンス美術
タロットとルネサンス美術を比較する講座を開催している。どちらも15世紀フィレンツェのプラトン・アカデミーが源泉になっている、という考えに基づいている。
昨年7月から始めた講座も次回「21世界」を開催して完了というところまで来た。イタリアにいる時から温めていた内容なので、最後のカードまでこれたのが感慨深い。
前回「20審判」を扱った。これがキリスト教「最後の審判」に関連することを知っている人は多いと思う。
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に「最後の審判」を描いたのはタロットカードが生まれてから約100年後。
こちらはフラ・アンジェリコの「最後の審判」
手前にある棺はキリストの棺を表す。
キリストの復活は人間も天国に生まれ変われる希望を表す。
希望と言って思い出すのが「パンドラの箱」だ。
賢者プロメテウスは神から火を盗んで人間に与えたことで3万年の刑に罰せられた。
毎日鷲に内臓を食べられるが、不死身のため内臓が毎日復活。永遠に苦しみが繰り返される、というお話。
神々の怒りは弟エピメテウスにも及んだ。
美女パンドラがエピメテウスの元に送られる。それほど考えないエピメテウスは美しさに魅せられてパンドラを妻にしてしまう。
パンドラは神々から魅力をいっぱい授かってきた。それだけでなく「絶対開けてはいけない箱」を持たされたのだ。
絶対開けてはいけない箱は絶対に開ける箱である。
開けた箱の中からはありとあらゆる災厄が出てきた。慌てて蓋を閉めたところ、箱の中には希望が残ってしまった。
だからこの世は災厄だらけで希望がない、というのがこの話のオチである。
しかし、本当にそうだろうか。
本当は全ての災厄を一度出してしまわないと希望には到達できない、ということじゃないかと思う。
愚痴を言うのは良くない、とよく言われる。
だけど、自分の恨み辛み悲しみを一度吐き出してしまわないと、新しい幸せに向かって前向きになれない。
色々な辛いことがあった時、我慢せずに吐き出してしまうのが大事。
そしてもっと大事なことは、吐き出した後に「希望」が待っていると言うこと。
一見災いに見えることがその後の希望、幸せをもたらすきっかけになってくれるかもしれない。
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