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(ボッティチェリの自画像)
その一心で言葉もわからない外国に来てしまった昨年。
前回はボッティチェリ作の『春』を通してフィレンツェに来たきっかけを書いてみました。
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最初にイタリアに来た時は『春』のヴィーナスに心を奪われていました。
あれから1年・・・
計4回くらいウフィツィ美術館を訪れました
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『春』の魅力はそのままに、
『ヴィーナスの誕生』により目がいってしまう自分を発見
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有名な作品ですが、実は『春』ほどまでには惹かれていなかったのです。
『春』がすべてを知ってそれを黙して語らないのに比べて
『ヴィーナスの誕生』は無垢で純真で何も知らないといった風情。
この無垢さがなんとなく理解できなかったのかもしれません。
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さて突然ですがここで問題です。
これはティツィアーノ作『聖愛と俗愛』という作品ですが、
さてこの絵のどちらが聖愛でどちらが俗愛でしょう?
なんと右の裸の女神が聖愛を表すのです。
西洋美術では裸は
真実
包み隠さない
といったことを表します。
『ヴィーナスの誕生』もその象徴。
会社という衣を脱ぎ
理知武装している衣を脱ぎ
社会的地位という衣を脱ぎ
自分を守っていたものを脱ぎ去ったこの1年。
自分を取り繕っていた衣を脱いだ今『ヴィーナスの誕生』のように裸で立っている自分を発見しつつあるのかもしれません。