昨日の夕方。
娘が「わ~、お母さん見て空がきれい
」と、声を上げました。
窓に背を向ける形で黙々と作業をしていた私に、夕刻の変わりゆく景色を教えてくれた娘。
作業するのをやめ、ベランダに出て、しばし空を眺めました。
子育てをしながら、親が子供に望むことは、年々多くなってくる。
素行のこと、勉強のこと、あれこれ要求したくなることも増えてくる。
思春期になると、お互いに感情がとげとげしたりもする。
私も、例に漏れず、いつしか子供に望むこと、こうであってほしい、こんな人間になってほしい、こんな人生を歩んでほしい・・・と、大人の目線で、大人の欲で考えてしまっている。
だけど・・・もう十分じゃない?
自然の美しさに感動できる感性が育ってる。
そして自分が素敵だって思う景色を「ねぇ、見て」と言える、幸せを人と分け合おうとする心が育ってる。
人として、これ以上の何を望む?
育児書や育児マニュアルと、どれだけ首っ引きで向き合っても、最後は「愛」。
最大のものは「愛」。
私も不器用で、育児書通りの声掛けなんてできなかったし、常に体当たり育児だったけど、間違いなく愛はあった。
それでいいのだ。
私には、天才を育てるというテーマがあったわけでもなければ、偉人を育てるという目標があったわけでもない。
「他人の傷みがわかる優しさをもった子になってほしい。美しいものに感動できる心を持っていてほしい」
それが一番の望みだった。
一番の望みを、娘はもう体現してるじゃない。
それに気付かせてもらった出来事でした。
難しい育児論がわからなくても、マニュアル通りに上手な声がけができなくても、まずは我が子と手を繋ぎながら、きれいな景色を見ようよ。
美味しいものを、はんぶんこしよう。
それが心を育ててく。
進路希望調査票を手に、大事なのは進学先ではない・・・と、にんまり笑ってしまいました。
さあ、今日も愛に生きよう
今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました