明日で震災から3年になります。
夢中で過ごしてきた3年でした。
あの日のことを忘れることは、生きているかぎり、ないでしょう。
あの日、強烈な揺れの直後、石巻の叔父と、一度だけ電話が繋がりました。
「津波だ!!石巻は終わりだ!!」という叔父の叫び。
その後は電話が繋がらず、石巻にいた母と叔父と連絡が取れなくなりました。
4日後、弟と一緒に、救助用具一式を持って、石巻に向かいました。
母も、叔父も生きていることを、ただ願って。
二人とも、近くの小学校に避難していて、無事でした。
その時、叔父が書き残したメッセージありました。
石巻の実家は、瓦礫とヘドロと流されてきた車たちで、立ち入ることもできず、外から眺めるだけでした。
自衛隊のヘリや災害救助車、消防車などが何台も何台も激しく行き交い、これは本当に現実の世界の出来事なのかと、我が目を疑う光景。
変わり果てた故郷に、涙が止まらず・・・。
それから数か月間に渡り、何度も何度も石巻に足を運び、泥かきや瓦礫の撤去をし続け・・・
夢中で過ごした日々。
あの頃のことを、私はこんなふうに綴っていました。
http://rubyred-cranberries.cocolog-nifty.com/namidagumo/2011/03/post-6633.html
http://rubyred-cranberries.cocolog-nifty.com/namidagumo/2011/06/post-c8a2.html
今も、石巻に帰省しても、怖くて沿岸部にいくことはできません。
大好きだった海に、近づくことができない。
今も私はもしかしたら、震災とちゃんと向き合えていないのかもしれない。
まだまだ、震災は終わってません。
被災地の人々の戦いは、続いています。
自分の身の回りのことで精一杯だった3年間。
被災地に、私は何一つできなくて、それがずっと心のモヤモヤでした。
何もできなかった。
何もしてこなかった・・・と。
でも、願えば、動き出せば、実るのかもしれない。
先日、ご縁をいただき、復興支援サークルの方とつながることができました。
復興支援サークルの代表の方が、1年目より、2年目より、今年が一番つらい・・・と漏らしておられました。
最初はみんな必死だったから、駆け抜けてきたけれど、ある程度落ち着いてからのほうが、気持ちが重い・・・と。
今だから、このタイミングだからこそ、私にもできることがあると確信し、微力ながら支援に協力させていただくことになりました。
物は揃い、暮らしも落ち着いたからこそ、心の癒しがほしい、ホッとすることがしたいとのご要望で、来月2回、アロマでお手伝いさせていただきます。
最近の私は何か一つ日程調整するにも大変なくらいスケジュールが埋まっていて、ちょっと感じ悪いくらい、いろいろキャンセルせざるをえないような状況です。
そんな中で、先方がご希望する日時が2回とも、パズルをはめ込むみたいに、そこだけポッカリ空いていたのも、神様の導きかもしれません。
少しずつ、私にできる小さなことを。
被災地のため、そして震災といまだにきちんと向き合えていない自分のために。
今日も最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
みんなが笑顔で過ごせるように、祈りをこめて。
浅野めぐみでした。