今日は、旧和辻邸の一般公開日でした。
家族の夕ご飯を作ってから出かけたので、
着いたのは閉館30分前。
和辻哲郎さんが晩年に住んだ家です。
この家を知る人たちからは
哲学者が住むのにふさわしい家とか、
趣きのある家、
などと描写されています。
奥様の照さんは家事が
とても手早かったそうです。
いったいどんな家で、
どんな暮らしをしていたのだろう、
拝見してみたいと思っていました。
もともと、神奈川県大山の
農家を練馬に移築して住まわれたそうです。
現在は、鎌倉の川喜田記念館の庭に
移築されていますが、
玄関内の土間と外側からぐるりと拝見すると、
昔の農村の簡素な家なのだと感じました。
移築(して多少改築)すること自体、
贅沢なことかもしれませんが、
ご自分が育った農村の暮らし、
そこに流れていた何かを
大切になさったのかもしれません。
人に見せるための家ではなく、
住む人が家に呼ばれて選んだように
感じました。
膨大な蔵書を置く図書室とか
豪華な家具をしつらえる、
などは似合わない。
玄関と土間に続く居間は広いのですが、
ほかは書斎も含めて小さな和室です。
ここに、少ない物だけで暮らしたら、
家事は手早くなるのではないか。
台所は見えませんがでしたが、
土間以外、全室和室、畳。
でも、いわゆる高級旅館とは違って、
気取っていません。
そんな空間にいると、
気持ちが落ち着きました。
ものすごくミニマリズムという感じでもなく、
でも、雑貨で飾りたくもなく、
せいぜい、季節の草花を素直に
すっと活けておくぐらいが似合う。
あるいは、庭に、風土にあった花が
少し咲いていれば、それでいい。
家の存在の仕方そのものが、
暮らす人の気持ちにも影響を与える。
この家は人の手で作られたので、
恐らく、まったく同じ部品は
ーー例えばまっすぐなサッシとかーー
一つもないのでしょう。
まったく同じ物(部品)から建てられた家に暮らして、
果たして人間らしさを保っていられるのか?
帰宅して、そんなことを思っていました。
今日もお読みくださり、
ありがとうございます。
家族の夕ご飯を作ってから出かけたので、
着いたのは閉館30分前。
和辻哲郎さんが晩年に住んだ家です。
この家を知る人たちからは
哲学者が住むのにふさわしい家とか、
趣きのある家、
などと描写されています。
奥様の照さんは家事が
とても手早かったそうです。
いったいどんな家で、
どんな暮らしをしていたのだろう、
拝見してみたいと思っていました。
もともと、神奈川県大山の
農家を練馬に移築して住まわれたそうです。
現在は、鎌倉の川喜田記念館の庭に
移築されていますが、
玄関内の土間と外側からぐるりと拝見すると、
昔の農村の簡素な家なのだと感じました。
移築(して多少改築)すること自体、
贅沢なことかもしれませんが、
ご自分が育った農村の暮らし、
そこに流れていた何かを
大切になさったのかもしれません。
人に見せるための家ではなく、
住む人が家に呼ばれて選んだように
感じました。
膨大な蔵書を置く図書室とか
豪華な家具をしつらえる、
などは似合わない。
玄関と土間に続く居間は広いのですが、
ほかは書斎も含めて小さな和室です。
ここに、少ない物だけで暮らしたら、
家事は手早くなるのではないか。
台所は見えませんがでしたが、
土間以外、全室和室、畳。
でも、いわゆる高級旅館とは違って、
気取っていません。
そんな空間にいると、
気持ちが落ち着きました。
ものすごくミニマリズムという感じでもなく、
でも、雑貨で飾りたくもなく、
せいぜい、季節の草花を素直に
すっと活けておくぐらいが似合う。
あるいは、庭に、風土にあった花が
少し咲いていれば、それでいい。
家の存在の仕方そのものが、
暮らす人の気持ちにも影響を与える。
この家は人の手で作られたので、
恐らく、まったく同じ部品は
ーー例えばまっすぐなサッシとかーー
一つもないのでしょう。
まったく同じ物(部品)から建てられた家に暮らして、
果たして人間らしさを保っていられるのか?
帰宅して、そんなことを思っていました。
今日もお読みくださり、
ありがとうございます。