春先の長雨で思い出す、若き日のあの頃。
寒の戻りがあって、長雨になりそうですね
皆様以下にお過ごしでしょうか?
rubyprofessorことパルタガスです。
こんにちは(w)
この冷たい雨をみるたびに思い返す土地があります。
18才から22才まで過ごしたロンドンです、
高校卒業後、運転免許を取得してすぐ
イギリス北部ネス湖の近くのインバネスまで飛行機で行きレンタカーを借り
ロンドンまでB&Bを泊まりながら疾走する無謀な旅です。
追突事故にあったり、下水が戻ってきて結膜炎になったり大変でしたが、
無事ロンドンまで到着しました。
ロンドンで走り回ること博物館、美術館、聖堂、宮殿、本屋、
毎日走り回ってました。
ネッシー探していないことを確認して
エジンバラでハギス山盛り食ってスコットランド出身と間違われ
ワーズワースの自宅で冷蔵庫を見て完動して
ヨークでナンパされ(汗)
ビートルズの出身都市で追いはぎに遭いそうになり(w)
ロンドンで17才の高校生にデートを誘われ困惑し、
「僕日本人で18才だから」といいつつもデートして相手のおうちまで行っちゃったこと。
色々ありました。
エジンバラで購入した分不相応なBALLYの靴も
ロンドンで走り回ったダメージに耐えられず靴底修理になりました(w)
バブルがはじけたあとだったので、コートにスーツ全てオーダーでたんまり払った一張羅。
靴屋さん(BALLY)で
「凄く手入れしてあるんだけどここまで一気に減るとは凄く歩いているんですね。」
で卒業記念で一人でインバネスからここまで着たと説明すると
3足新しい靴を頂きました。
未だに2足は履かぬまま置いてあります
置いてあるハズなんだけど親父が履いてはきつぶしてたら泣く(w)
つまりこのスーツと靴でいろんなところに不躾ながらも入れたところがあります。
オークションハウスで過去のデータと言うことで発行物を購入していると
向こうの方がびっくりされていました。
こんなに本買うの?買うのになんでオークションに出ないの?
と聞かれたので
亡くなったじいさんの相続である程度はあってもまだ18才だしね、目利きの自信はあるけどまだ入れてもらえないでしょ?
と言ってみました。
奥からお偉いさんが出てきて。
「君、こっちに来ないか?」と、
で入ったところはちょっと広めのお部屋。
コートを脱ぎ1時間ほどつたない英語と辞書で必死に話をしました。
彼が一枚名刺をくれ、
「もしこっちに来るならここでアルバイトしないか?」
その時に彼に願い出たのが
「じゃぁ明日のオークションに参加させてください。競り落としますから。」
翌日、旅行費用の半分以上を突っ込み落札しました。
その日に日本の母にデータを送り値段をみて貰うと
購入額の5倍でも日本では安い。
と言うことが解りBRINKSで発送して待つこと2週間
旅行費用が3倍額以上に(w)
泊まってるホテルもそういう仕事の人と勘違いして
部屋もグレードアップ。
メイフェア地区の5星の訳のわからんサイズ部屋に18才が一人で宿泊(w)
当時出たてのJaison Kayとも友達になれました。
まぁ真っ青なとあるフェラーリって世界に4~5台しかなく
それだと気がつきじーっと見てたら
「お前誰?なんで車見てるの?」
って聞かれ
「この車、たしかオリジナルのブルーでイギリス国内に1台あるかないかだよねぇ・・・・」
と答え
にやっと笑い延々としゃべり出して意気投合してマクラーレン本社まで一緒に行って来ました。
マクラーレンF1のロードゴーイングカーが売り出す寸前の話で
マクラーレンさんの方いわく
「今こちらで購入されますと日本で買うより2000万円ほどお安くなります。購入する資格はおありな様ですのでいかがでしょうか?」
・・・・
でも日本円で8500万円なんて持ってる訳ねーじゃんか(w)
低調に
「まだ18才ですし年相応の車を買いたいと思います。」
で断りました。
JKは買いましたけどね(w)
とりあえずほくほく顔で日本に戻り両親とアメリカのアリゾナへ
ここでも運命的な出会い(後にアメリカの兄、弟、父、オカン3人と増えていく。)があり
日本の大学に入るわけですが・・・
入ったは良い物の
このエスカレーター式私学にこのままいたらクソバカになる。
と入学1ヶ月半でさっさとやめ
イギリスへ
大学行きながらオークションハウスで働いてました。
あの名刺は威力がでかかった。
お土産に日本の菱の大門のバッジを貰って
そのオークションハウスの方の胸につけて回ったのも
懐かしい思い出です。
学校から会社まで移動するのに走って、止まってるバスに飛び乗り、バス停3つ前の信号でバスが止まったら飛び降りて会社に走っていく。
会社が終わったら宝石の鑑定の勉強をしに宝石の鑑別機関へ走る。
帰りは中華料理屋で総額3ポンドの晩ご飯を食べて(毎日行くから結構色々出してくれる。)
自宅マンションに帰る。
土日はJKのレコーディングと車遊びにつきあう(w)
こんな生活をして無事4年で卒業できたんですが卒論は出さずにして卒業できました。
理由は・・・
関西大震災のおかげです。(汗)
ですからこういう雨の日ほど
きりっとスーツで決めたいわけですが、日本じゃ不便なので、ジーパンにスニーカーで走り回ります♪
服装で仕事が成り立ってたまるか。
ネクタイして首輪つけられた気分になりたくない。ネクタイしてなくても希少な物は扱ってるんだと言う自負はあります。
その当時イギリスで頑張ってたみんなもネクタイを捨て僕と同じ仕事をしています。
そのメンバー全員で
ドーバー海峡近くのBRIGHTONという港町で
ヒラメをドッカンドッカン釣ってロンドンの寿司屋に渡してエンガワのにぎり寿司バクバク食べたのが懐かしいです。
イギリスですし食う時って
酢飯の上にヒラメがのってる物だと誤解した普通のイギリス人の友達もいます(w)
未だにみんな友達です。
イギリスのヒラメはあたりがあったら即アワセ鬼フッキングが基本でした。
一人50枚は当たり前だった気がします。(サイズは60cm~1.2mまで揃います。)
冷たい雨の日はロンドンの日です。
皆様以下にお過ごしでしょうか?
rubyprofessorことパルタガスです。
こんにちは(w)
この冷たい雨をみるたびに思い返す土地があります。
18才から22才まで過ごしたロンドンです、
高校卒業後、運転免許を取得してすぐ
イギリス北部ネス湖の近くのインバネスまで飛行機で行きレンタカーを借り
ロンドンまでB&Bを泊まりながら疾走する無謀な旅です。
追突事故にあったり、下水が戻ってきて結膜炎になったり大変でしたが、
無事ロンドンまで到着しました。
ロンドンで走り回ること博物館、美術館、聖堂、宮殿、本屋、
毎日走り回ってました。
ネッシー探していないことを確認して
エジンバラでハギス山盛り食ってスコットランド出身と間違われ
ワーズワースの自宅で冷蔵庫を見て完動して
ヨークでナンパされ(汗)
ビートルズの出身都市で追いはぎに遭いそうになり(w)
ロンドンで17才の高校生にデートを誘われ困惑し、
「僕日本人で18才だから」といいつつもデートして相手のおうちまで行っちゃったこと。
色々ありました。
エジンバラで購入した分不相応なBALLYの靴も
ロンドンで走り回ったダメージに耐えられず靴底修理になりました(w)
バブルがはじけたあとだったので、コートにスーツ全てオーダーでたんまり払った一張羅。
靴屋さん(BALLY)で
「凄く手入れしてあるんだけどここまで一気に減るとは凄く歩いているんですね。」
で卒業記念で一人でインバネスからここまで着たと説明すると
3足新しい靴を頂きました。
未だに2足は履かぬまま置いてあります
置いてあるハズなんだけど親父が履いてはきつぶしてたら泣く(w)
つまりこのスーツと靴でいろんなところに不躾ながらも入れたところがあります。
オークションハウスで過去のデータと言うことで発行物を購入していると
向こうの方がびっくりされていました。
こんなに本買うの?買うのになんでオークションに出ないの?
と聞かれたので
亡くなったじいさんの相続である程度はあってもまだ18才だしね、目利きの自信はあるけどまだ入れてもらえないでしょ?
と言ってみました。
奥からお偉いさんが出てきて。
「君、こっちに来ないか?」と、
で入ったところはちょっと広めのお部屋。
コートを脱ぎ1時間ほどつたない英語と辞書で必死に話をしました。
彼が一枚名刺をくれ、
「もしこっちに来るならここでアルバイトしないか?」
その時に彼に願い出たのが
「じゃぁ明日のオークションに参加させてください。競り落としますから。」
翌日、旅行費用の半分以上を突っ込み落札しました。
その日に日本の母にデータを送り値段をみて貰うと
購入額の5倍でも日本では安い。
と言うことが解りBRINKSで発送して待つこと2週間
旅行費用が3倍額以上に(w)
泊まってるホテルもそういう仕事の人と勘違いして
部屋もグレードアップ。
メイフェア地区の5星の訳のわからんサイズ部屋に18才が一人で宿泊(w)
当時出たてのJaison Kayとも友達になれました。
まぁ真っ青なとあるフェラーリって世界に4~5台しかなく
それだと気がつきじーっと見てたら
「お前誰?なんで車見てるの?」
って聞かれ
「この車、たしかオリジナルのブルーでイギリス国内に1台あるかないかだよねぇ・・・・」
と答え
にやっと笑い延々としゃべり出して意気投合してマクラーレン本社まで一緒に行って来ました。
マクラーレンF1のロードゴーイングカーが売り出す寸前の話で
マクラーレンさんの方いわく
「今こちらで購入されますと日本で買うより2000万円ほどお安くなります。購入する資格はおありな様ですのでいかがでしょうか?」
・・・・
でも日本円で8500万円なんて持ってる訳ねーじゃんか(w)
低調に
「まだ18才ですし年相応の車を買いたいと思います。」
で断りました。
JKは買いましたけどね(w)
とりあえずほくほく顔で日本に戻り両親とアメリカのアリゾナへ
ここでも運命的な出会い(後にアメリカの兄、弟、父、オカン3人と増えていく。)があり
日本の大学に入るわけですが・・・
入ったは良い物の
このエスカレーター式私学にこのままいたらクソバカになる。
と入学1ヶ月半でさっさとやめ
イギリスへ
大学行きながらオークションハウスで働いてました。
あの名刺は威力がでかかった。
お土産に日本の菱の大門のバッジを貰って
そのオークションハウスの方の胸につけて回ったのも
懐かしい思い出です。
学校から会社まで移動するのに走って、止まってるバスに飛び乗り、バス停3つ前の信号でバスが止まったら飛び降りて会社に走っていく。
会社が終わったら宝石の鑑定の勉強をしに宝石の鑑別機関へ走る。
帰りは中華料理屋で総額3ポンドの晩ご飯を食べて(毎日行くから結構色々出してくれる。)
自宅マンションに帰る。
土日はJKのレコーディングと車遊びにつきあう(w)
こんな生活をして無事4年で卒業できたんですが卒論は出さずにして卒業できました。
理由は・・・
関西大震災のおかげです。(汗)
ですからこういう雨の日ほど
きりっとスーツで決めたいわけですが、日本じゃ不便なので、ジーパンにスニーカーで走り回ります♪
服装で仕事が成り立ってたまるか。
ネクタイして首輪つけられた気分になりたくない。ネクタイしてなくても希少な物は扱ってるんだと言う自負はあります。
その当時イギリスで頑張ってたみんなもネクタイを捨て僕と同じ仕事をしています。
そのメンバー全員で
ドーバー海峡近くのBRIGHTONという港町で
ヒラメをドッカンドッカン釣ってロンドンの寿司屋に渡してエンガワのにぎり寿司バクバク食べたのが懐かしいです。
イギリスですし食う時って
酢飯の上にヒラメがのってる物だと誤解した普通のイギリス人の友達もいます(w)
未だにみんな友達です。
イギリスのヒラメはあたりがあったら即アワセ鬼フッキングが基本でした。
一人50枚は当たり前だった気がします。(サイズは60cm~1.2mまで揃います。)
冷たい雨の日はロンドンの日です。