序章
「毎日暑いよね」
「うんうん・・暑すぎるぅ」
「ねえ・・あき! 九州のおじさんのうちに遊びに行こうか」
母が突然そんなことを言い出した。
「九州?」
「うん、九州の・・・鹿児島におじさんがいるの」
「きいたことないけど??」 いぶかしがるわたし。
「最後にいったのは、あきが生まれる前だもん」
「お父さんも、一緒にいくの?」
「ううん・・お父さんはお仕事で忙しいからだめね。
お盆の時期にでも、私とふたりでいきましょう」
知らない人のところなんて行きたくなかったけれど
そのときは、なんだか押し切られたようで、ついつい頷いてしまったわたしだった。
(会ったこともないんだし、気をつかうだけだし
だったら、友達と遊んでた方が楽しいのになあ)
考えれば考えるほど憂鬱になってくる。
わたしは、考えることをやめた。8月10日の航空便で羽田を飛び立ったわたしたち。
鹿児島空港に降り立つ、そのままタクシーで、おじさまのうちにいくことになった。
「いま着いたの。向かってるんだけど・・・」
母は、そのおじさまと話をしているようだ。
わたしは、車窓から見える海の景色に心を奪われていた。
車は、山道にはいって行く。街灯などもない単に舗装だけされた道が続く。
(こんなところ、夜ひとりで歩くの、きっと怖いな!)
「もうすぐ着くわよ。」
大きな屋敷がみえてきた。
木造平屋の古いつくりの屋敷だった。
タクシーを降りると、その屋敷に真っ直ぐ向かう母!
「京子さん。お久しぶりです。」
奥から、優しげな女性が現れた。
その1
「芳江さんも、元気そう。」
(そっか・・このおばさま・・芳江さんって言うんだ)
「さあさあ・・こんなところに立ってても仕方がないわ
中に、入ってくださいな」
芳江さんに促され、わたしと母は奥に通される。
そこには、どことなく母に似た顔立ちの40歳くらいの男の人が座っていた。
「京子。久しぶりだな。ちゃんと生きてたのか!」
彼は、笑いながら言った。
「おかげさまでね。雄一兄さんも生きてたみたいね。」
「あはは、そう簡単にくたばるわけにもいくまい。」
「それにしても相変わらず、広すぎる家ね。
で、住んでるのは、やはり3人だけなの?」
「いや・・犬がふえた。一匹だけだが・・」
犬と聴いて、わたしは嬉しくなった。
わたしは犬が大好きなのに、今、東京で住んでいるマンションはペット禁止になっている。
学校の帰りに、毎日ペットショップによっては
ため息をついているわたしにとって、犬ってきいただけで、それまでの憂鬱な気分が吹き飛んだ。
「ただいま!」
玄関から大きな声がした。
「おなかすいたよ! なにかある?」
「まあ、このこは、帰ってくるなり何なんでしょう。
お客様、いらしてるのよ。ご挨拶なさい」
芳江に言われ、はじめてわたしたちに気づく彼。
「あっ! こんにちは・・・」
照れたように、わたしと母に挨拶をする彼・・・。
「はじめまして・・・正男くんだったかしら?」
「は・・はいっ! まさおです。」
突然、名前を呼ばれ、驚く彼・・。
(ふ~ん、まさおっていう名前なのか)
「このこは、あき・・・よろしくねっ。」
わたしから自己紹介しようと思ってたのに
ちゃっかり、母から言われてしまったわたし。
「かあさん・・・」
「はいはい、今、用意しますから!」
わたしたちも、飛行機に乗るちょっと前に
軽くサンドイッチをつまんだだけなのだ。
気がつけば、おなかが、きゅうきゅう鳴っている。
「ねえねえ・・あき姉さん。」
正男が、なれなれしげに、わたしの名前を呼んだ。
その2
(なんで、勝手に姉さんにしちゃうのよ)
わたしは心の中では苦笑いしながらも
「なあに?」と、笑顔で答えた。
「あき姉さんって中学生?」
「うん、そうよ・・・2年生」
「学年までは聞いてないけど・・」
(なに・・こいつ・・憎たらしい)
「そういう正男くんは、何年生なの?」
「僕は、6年生!」
(ふん・・まだ、がきんちょじゃない)
「ご飯たべたら、あき姉さんに見せたいものがあるんだ。」
「まさお・・・まさか、あれ見せるんじゃないでしょうね・・。」
芳江おばさまが、横から口をはさんだ。
「あれって・・?」
不安そうに尋ねるわたしに、正男が偉そうに答える。
「もちろん、あれだよ!
今年は、いっぱい取れたし
東京じゃ、あんまり見ないかもだから、見せてやるんだ」
なんだか、危なそうなものかも・・。
玉子焼きを頬張りながら、わたしは、身の危険を感じていた。
(なんちゃって・・ちょっとおおげさかな)
「ごちそうさまでした。」
母は、おじさま、おばさまと楽しそうに談笑している。
手持ち無沙汰で、ぼうっとしているわたしの手を正男が握った。
「ねえ・・行こう。」
「えええぇぇぇ・・・(まだ、心の準備が・・・)」
「いってらっしゃい。」
母が笑う。
わたしは、正男に手を引っ張られる形で腰を上げた。
(どこに連れていくのよ・・)
行き先は、正男の部屋だった。
机の上は、乱雑で、散らかり放題。
(こんな机じゃ、勉強なんて・・絶対できないわね)
わたしの綺麗好きの血が騒ぐ・・。(これ、片付けたい・・)
その3
机の上に比べ、部屋そのものは綺麗に掃除が行き届いている。
たぶん、おばさまが、部屋だけは毎日掃除をしてあげてるのだろう。
正男が窓をあけるとそこは縁側になっていた。
「ねえ・・こっちこっち」
机を凝視していたわたしを正男が呼んだ。
まずは、本を本箱にと・・手にとっていた本を
そのまま、机にもどしながら、そっと心に誓うわたし。
(この机・・絶対、片付けて見せるから!)
縁側に出ると、そこには直径2メートルほどの池があった。
水が澄んでいて、魚の様子もよく見える。
のぞきこむと、錦鯉が何匹も泳いでいる。
その中に、信じられないほどの大きな金魚が泳いでいた。
尾っぽが大きく、体型からしても・・・
絶対、金魚のはずなのに、尾っぽ以外の本体(?)だけで
20センチ近くもある・・・ありえない大きさに思えた。
水槽とちがって、池だから、成長するんだろうか・・。
大きな金魚に目を奪われていた私を、正男が呼んだ。
「あき姉さん! これ、みてよっ」
正男のほうに向き直ると、彼は、白い大きな箱を指差している。
わたしは、正男と箱に近づいた。
ガサゴソ・・ガサッ
箱の中で、なにかが這い回るような音がする。
なんなの・・これ?・・やめてよね(半分涙目)
「あき姉さんって、ずっと東京に住んでるんでしょ?」
「そ・・そうよ」
答えながらも、気が気でない。
(まさか、ごきぶり・・なんてことないよね?
でも、このこだったら・・・十分ありえそう・・。
もしもそうだったら、二度と口なんてきいてあげないから)
「東京には、虫なんて、いないんでしょ?」
(やっぱ、そうきたか・・)
その4
「虫くらいいるわよ。セミもちゃんと鳴いてるのよ」
「へえぇ、セミもいるの? じゃあ、これも、きっといるんだろうな…」
正男が、残念そうに言う。
わたしは、ちょっとだけ気の毒になりかけたけれど
ここで甘い顔を見せると、こいつは、きっとつけあがる。
でも…まあ、年上の余裕ということで
ちょっとくらいは、興味がある素振りをみせてあげようかな。
「いったい何が入ってるの。
すごく見てみたい気もしてるんだけど・・・。」
とたんに沈みかけていた正男の顔が、再び明るくなった。
「そこまで言うなら、見せてあげるっ!」
(別に見たくはないんだけど)
「うん、見せて、見せてっ!!」
(わたしって、女優の素質があったんだろうか)
正男が、ゆっくりと箱のふたをあけた。
わたしは、恐る恐る、その中を覗き込んだ。
「すごい・・・いったい何匹いるの?」
「あき姉さん、数えてみてよっ!」
「ええと・・・1、2、3・・・・」
わたしは、一生懸命、数え始めた。
「27・・ひき・・」
なんと、その中には、27匹ものカブトムシが入っていたのだ。
テレビや図鑑で見たことはあるけれど
こうして、実物を、目の前で見るのは初めてだった。
「ほんとうに、つのが・・はえているのね。」
「もしかして、初めてみた・・の?」
「う・・・うん・・・」
正男は、すごく嬉しそうだった。
「じゃあ、これ、あき姉さんにあげる!!」
(な・・なんですって!!)
確かに、実物を見て、驚いたけれど
欲しいなんて、一言だって言ってない。
だいたい、女の子が虫なんて欲しがるはずないでしょ!
しかし、その後の正男の行動は早かった。
その5
わたしが、いらないと返事するよりはやく
正男は、箱の中の、ひときわ大きなカブトムシを手で掴む。
それを、ひょいと持ち上げると、わたしに向かって差し出した。
そして、わたしの手を引っ張り
わたしの手のひらに、そのカブトムシを置こうとした。
「ま・・待って!!」
わたしは、必死で、正男の手をふりほどいた。
彼は、きょとんとした顔で、わたしを見つめている。
「これ、かわいいのに…」
「かわいく…ない」
「あき姉さん、喜ぶと思ったのになあ…」
正男は、純粋に、わたしを喜ばせようとしてたみたいだった。
でも、さすがに、大きなカブトムシをさわるなんて
とても、わたしには、できないし、もしも手に置かれていたら
きっと、大きな悲鳴をあげていたと思う。
正男は残念そうに、そのカブトムシを箱に戻し、ふたを閉めた。
「あっ! だったら、もっと面白いものがあるんだ!!」
正男の目が、きらきら光る。
「もっと・・おもしろいもの?」
「うんうん、すごく綺麗なんだよ。」
「きれいな・・もの・・?」
「うん! これなんだよ!!」
まさおは、カブトムシの箱をすみに追いやると
今度は、少し小さめの箱を手にとった。
「なにかしら・・貝殻とかなの?」
(ちょっとわくわく!)
「ううん、これも生き物だよ。」
「いきもの?」
面白くて、きれいな生き物?
さっぱりわからない・・。
正男は、わたしの返事も待たないで
その箱のふたを、すぐにとった。
さっきの例もあるのだ。
わたしは、またも、恐る恐る、その中をのぞきこんだ。
(あ・・ありえない・・)
そこには、黄色と黒の縞模様をもった・・大きな・・・。
その6
大きな蜘蛛が入っていた。
「これ、金蜘蛛って言うんだよ。」
「・・・」わたしは、言葉も出ない。
「あっ! これは、あき姉さんは、さわらなくてもいいよ。」
(たのまれたって、さわるもんか)
「これの・・どこが綺麗なの」
わたしは、生まれつき蜘蛛がきらいだ。
あのグロテスクな8本の足、どこを見ているかわからない不気味な目、
はっきり言って、ゴキブリのほうが・・まだましだ。
小さな蜘蛛でも、きゃあきゃあ言うわたしなのに
そこにいたのは、手足を入れると10センチ近くもあろうかという大きさなのだ。
「ちょっと待っててね。」
正男は、そう言うと部屋に戻り
まだ、削っていない鉛筆を持ってきた。
その鉛筆を左手にもったまま、右手を蜘蛛の入った箱のなかに入れ、
なんの躊躇もなく、その大きな蜘蛛をつかみあげる。
「い・・・いったい何するのっ!」
正男は、にっこり笑いかけて、ちょっと自慢げに言う。
「これ、なかなか見つからないんだよ。
見つかっても、せいぜい6センチくらいで
こんなに、大きいのは、めったに取れないんだ。」
(誰も、そんなこときいてないでしょ!!)
足は細く、黒いのだが・・何しろ身体が不気味すぎる。
黒と黄色の縞模様が、なんとも言えず毒々しい。
わたしは、おっかなびっくり聞いてみた。
「それって、もしかして、毒、持ってるんじゃないの?」
「そうかも知れないけど、平気だよ!
噛まれたことないもん」
(おいおい、そういう問題か・・)
わたしは、一瞬、卒倒しそうになったが
こんなところで、倒れるわけにはいかない。
倒れているところを、蜘蛛が這い回ったりしたら、きっと心臓がとまる・・。
その7
「じゃあ、見ててね。」
「う・・うん。」
言われなくても、見てるしかない。
目を離すのは・・・危険すぎる(もう完全に涙目のわたし)
正男は、蜘蛛を仰向けにすると
そのお腹の部分を、鉛筆で軽くトントンと叩いた。
蜘蛛は怒ったようで、手足をその鉛筆に絡めようとする。
正男がちらっとわたしを見た。
わたしが、蜘蛛を凝視しているのがわかるとひどく嬉しそうな笑顔を見せる。
(こいつ、絶対、勘違いしてるな!)
単に目が離せないだけなのに、わたしが興味を持ってみているのだと・・・。
正男は、蜘蛛の方に向き直ると
いったん、鉛筆を置いて、残った左手の人差し指で蜘蛛のおなかを、直接撫ぜ始めた。
蜘蛛は、その指を捕らえようと足を絡める。
正男は、まったく動じないで蜘蛛のお尻に近いほうをさわり続ける。
(右手がうっかり外れたら・・これ、絶対、かまれるわね
そのときは、即座に逃げよう・・・)
わたしは、立膝になって、いつでも逃げられる体勢をとった。
でも、不思議な気分だった。
怖いのに、何が起きるのだろうと目を離せない。
始めは怖いだけだったのに、いつしか興味を覚えている。
「あき姉さん?」
「なあに?」
「見てみて!」
指に、蜘蛛のお尻から出た糸がついていた。
糸は、指を離しても伸びてくる。
お尻と指が、20センチも離れたというのに蜘蛛は糸を切ろうとしない。
正男は鉛筆を、もう一度左手にとった。
そして今度は、その糸をその鉛筆に巻き始めた。
鉛筆をぐるぐる回すようにすると、
そのぶん、お尻からの糸も引き出され、それが鉛筆のまわりに巻かれていく。
その8
はじめは透明に見えていた糸が巻かれるにつれて、金色に輝き始めた。
まだ、一度も削られていない鉛筆・・・その片方の端に2センチくらいの幅で、その糸は巻かれている。
心なしか、その巻かれているところが糸の分だけ膨らんでみえる。
ふと気づくと、蜘蛛のおなかが、へこんでいた。
「これくらいでいいかな!」
正男は、そう言うと、蜘蛛を箱の中に戻しふたを閉めた。
そして、糸の巻かれた鉛筆をわたしに差し出す。
「これ、あげる!!」
わたしは、その鉛筆を、ついつい受け取ってしまった。
そして、金色に光った糸の部分を、そっと触ってみた。
「あれ・・これ、ぜんぜんべたべたしない・・。」
「うん、なぜか、こうやって巻いた糸は
さらさらしてるんだよ・・。
だから、鉛筆のアクセサリーになるんだ!」
「たしかに・・きれいね・・・」
そう答えながら、わたしは思った。
とんでもないアクセサリーだし、どこにも売ってなさそうだし・・
わたしって、ちょっとだけ得したんだろうか。
いやいや、どう考えても、これって異常事態だと思う。
「一週間くらい、ごやっかいになるのよ。」
旅行前の母の言葉を思いだした。
これが・・この生活が、1週間も・・・。わたし、無事に帰れるんだろうか・・・・。
「どうもありがとう。楽しかった。
ちょっと疲れたから、一休みしたいなあ・・」
わたしが言うと、正男が答えた。
「あっ!ごめん。 ついたばかりで、疲れてるよね。」
(おっ・・こいつ、思ったよりいいやつかも)
「部屋に案内するよ。
ついでに布団も出してあげるから、お昼ねするといいよ!」
その9
正男が、わたしの手をとって引っ張った。
ちょっと・・なんで、わざわざ手を握るのよ。
でも、手を振り払うのも大人気ないし・・まあいっか。
この家は古そうだが、つくりはしっかりしている。
部屋は、10以上あるそうだが、ほとんど使っていないらしい。
使ってない部屋でも、芳江おばさまは、毎日掃除をしているとのこと。
そんなきれい好きな人の子供が
なんで、あんなに、机の上、散らかすんだろう。
今度、絶対に片付けなくては・・(でも箱には近づかないようにしよう)
なんてことを考えているうちに部屋についた。
その部屋は、10畳ほどの広さの部屋だった。
正男が押入れから手早く布団を下ろして敷きはじめる。
「枕は、高いのと低いの・・どっちがいい?」
「どちらでも気にしないよ」
「じゃあ、こっちにしよっと!」
赤い薔薇の絵柄の枕カバーがついた枕を正男は選んだ。
「それじゃ、またねっ!」
そういい残すと、ふすまを閉めて彼は出て行った。
わたしは、横になって目を閉じた。疲れていたせいか、すぐに眠ってしまったようだ。
「いつまで寝てるの? もう、晩御飯の時間よ!」
母の声で目が覚めた。時計を見ると、まだ5時だった。
「まだ5時じゃない・・早すぎる」
「郷に入れば郷に従え・・・知らないわけ?」
いつもは7時前に食事をとることはない。
こんなに早くたべちゃったら、あとで・・きっとお腹が空く。
そんなことを思いながら、母のあとをついていった。
大きなテーブルにご馳走が乗っかっている。
母は叔父様と一緒にビールを飲み始めた。叔母様は、お酒は飲めないらしい。
その10
わたしは、から揚げやお刺身を頬張った。
どれ新鮮で美味しかった。でも・・・何かが足りない・・・。
(あっ! 正男がいない)
「正男くん、いませんね・・どうかしたんですか。」
芳江おばさまが、答えてくれた。
「あ、あのこはね・・お祭りにいったの。」
「おま・・つり?」
「うん、そうなの。
友達と約束してたみたいで、ついさっき出かけたわ。」
「晩ご飯は・・?」
「屋台が一杯出るから、それを、食べるんだといって・・」
「ええぇぇぇ・・・何も食べずに出かけたんですか。」
母が、横から口を開いた。
「あき! あなたが起きないからでしょ!!」
「・・・」
「正男くんたら、あなたと行きたかったみたいよ。」
「わたしと・・・?」
「だって、何度も、あなたの部屋をのぞきにいってたみたいだし」
雄一おじさまも、口を開く。
「あきちゃん、可愛いからな・・・。
正男のやつ、あきちゃんのこと、ますます気に入ったみたいだ」
「ますます? だって、まだ会ったばかりなのに・・・?」
「正男は、初めからあきちゃんのこと知ってたんだよ。」
「・・・?」
「実は、この夏、あきちゃんが遊びに来ると正男に話してあったんだ。」
(わたしだけが、何も知らなかったってこと?)
「あいつにとっては、あきちゃんが唯一のいとこなんだ。」
「わたしも今日まで、いとこがいるなんて知りませんでした。」
「うんうん、それでな・・・。
正男のやつ、 あきちゃんに早くあいたいって京子に直接電話したんだよ。」
「ええーっ! それ、ほんとなの・・お母さん?」
驚きのあまり、高い声になったわたし。
そのまま、母のほうをじっと見た。
その11
「ほんとよ!
正男くん、あきのことを知って すごく嬉しかったんだって! だから・・・」
「だから・・?」
「じゃあ、会ったらすぐにわかるようにと・・・」
「わかるようにと・・・?」
わたしは、同じ言葉を繰り返した。
「写真、先に送っておいたのよ。」
「・・・・」
「そういうことだ。」
(なにが、そういうことよっ! 人に断りもなく・・)
「で、正男は、この2週間の間、毎日あきちゃんの写真を見てた。
要するに、今日をすごく楽しみにしてたというわけだ!」
おば様の追撃が入った。
「こんなに可愛いひと、初めてみたって・・正男、感動してたしね!」
それを、聞いた母が、笑いながら言った。
「ラブラブねっ。」
おじ様もおば様も大きな声で笑った。
――わたしは、耳まで赤くなった。
そして、母のとどめの一言が告げられた。
「あき、彼氏いないしねっ!!」
(ちょっと、この人たち・・いったい何なの?!)
わたしは、返事に困り、エビフライを箸で持ち上げる。
そのとき・・・玄関から、大きな声が聴こえた。
「ただいま!!!」
それは、正男の声だった。
「おかえりなさい。」
芳江おばさまと母が同時に答える。
「おい、帰ってくるのが、早すぎるんじゃないのか。」
正男は照れもせずに答える。
「だって、あき姉さん、ほっとくのは可哀想でしょ。
だから、一緒に行こうと思って戻ってきたんだよ。」
(戻ってこなくたっていいのに・・)
「よかったわね、あき!!」
(よくないわよ・・だって、このこ変なんだもん)
でも、ちょっとだけ、お祭りに行ってみたい気になっていたのも事実。
その12
(仕方ない、ここは、まさおの顔を立ててあげよう)
「うん、おまつりって、楽しそうだし・・いってみたい。」
わたしの乗り気な返事に、正男は、すごく嬉しそうだった。
「あっ! そういえば、浴衣があるの。
着付けしてあげるから、こちらにいらしてくださる。」
「ええっ 浴衣?!・・それ、すごく嬉しい!!」
浴衣ときいて、わたしのテンションが一気に上がった。
お祭りへの興味は、ちょっとしかなかったけれど浴衣には憧れていたから・・。
おば様についていくと、藤色のきれいな浴衣を見せられた。
「これよ。 わたしのお下がりだけど、それほど着てはいないから!」
幼い頃、七五三で、着物を着せられた記憶はある。
でも、それって自分の意思で着たいと思ったわけではない。
ただ、写真を撮るためだけに、両親が着せてくれただけだから・・・。
でも、このときの浴衣は、そうではなかった。
着付けてもらいながら、優しい麻の手触りが嬉しくて
(ここに来ることができてよかったな)って心底思えていた。
着付けも終わり部屋に戻る。
みんなの視線が、わたしに集まる。
「馬子にも衣装ね。」母が言うので
「孫じゃないから!!」と、返すわたし。
正男がわたしに、にっこりと笑いかける。
そして正男は、わたしの母に向き直るとこう言った。
「では、あき姉さんを、お借りします。
おばさんは、たくさん飲んで楽しんでてください。」
(こいつ、大人に取り入るのがうまい・・)
「はい、まさおくん にお任せね。
迷子にならないように、しっかりエスコートしてあげてよ。」
その13
玄関に向かうと、そこには赤い下駄が用意してあった。
「これ、履いてもいいんですか。」
「もちろん。そのために出したんだから!」
おばさまの心使いが嬉しかった。
「早く行こうよ。」
正男が、わたしの手を引っ張る。
母とおじさまは、奥の方から出てこようともしない。
飲むのが忙しいのか、話すことがたくさんあるのか多分その両方だと思うから、まあ、仕方がないか!
正男に引っ張られるようにわたしは玄関を出た。
正男は、ほんとうに、嬉しそうだ。さっきの会話を思い出す。
(わたしの写真を見て、会うのを楽しみにしてた?)
なんだか、正男のことが、可愛く思えてくるから不思議だ。
男の子と手なんてつないだこともなかったのに、わたしの方からも強く握り返していた。
「じゃ、いこうね!」
辺りはまだ明るかった。
6時近いというのに昼間の明るさだった。
南国は、陽が沈むのが遅いって聞いてたけど、これって、きっと時差の影響なんだよね?!
「ねえ、お日様って、何時ごろ沈むの」
「7時半ごろかな・・・」
(ここって・・ほんとに日本?)
「でも、帰りは、真っ暗になるよね?・・・・ちゃんと帰れるの?」
舗装されてるとはいえ、街灯のない道なのだ。
不安になって尋ねるわたし。
「大丈夫、これ・・あるから!」
正男は、ポケットから懐中電灯を取り出した。
(このこ、思ったよりしっかりしてる)
わたしは正男のことを、ちょっとだけ頼もしく思った。
車は、めったに通らない。
だからだろうか・・。心なしか、空気もきれいに思えてくる。
その14
都会で音のある生活に慣れているせいか、ひどく静かで、風の音まで聴こえてくる。
そして、その風の音を切り裂くように下駄の音が、カンカンと高く響く。
きのうまで東京にいたのにと思うと、わたしは少しだけ不思議な気持ちになった。
「お祭りって・・遠い?」
「20分くらい、歩くんだよ。」
このあたりは、家と家が離れている。
正男の家と一番近い家でも、歩いて3分はかかるそうだ。
「学校は、近いの?」
「自転車で30分くらいかな。分校なんだ。」
「分校・・?」
「うん、全校生徒28名」
「たったの・・28名?」
「うん、小6は、僕を入れて4人だよ。」
「4人だけのクラスなの?」
「ううん、国語と算数は、5年生と一緒だよ。
体育と図工と音楽は4、5、6年が一緒にやるんだ。」
分校って・・テレビで見たことはあったけれど
現実に通っているこを見たのは初めてだった。
しかも、それが、わたしのいとこ・・・。
「中学校は、どうなってるの?」
「それは、近くにないから、バスで通うことになるんだよ。」
「バスで・・・?」
「うん、この辺じゃ、普通。」
「大変ね・・・。」
「ううん、行き帰りだって楽しいよ。」
そんなことを話しているうちに
わたしたちは、おまつりの会場に着いた。
盆踊りの音が聴こえてくる。
中央に矢倉が組んであり、
そのまわりを100人くらいの人が輪になるように踊っていた。
300人以上は集まっているだろうか・・・。
どこから集まったのだと思うくらいに、たくさんの人で賑わっている。
屋台もいくつか出ていた。
その15
焼き鳥、焼きイカ、焼きとうもろこし、
たこ焼き、綿菓子、カキ氷、それに、おでんまである。
おもちゃ屋台もいくつもあった。
おめん、かたぬき、穴あけ箱、ヨーヨー、そして金魚すくい。
「あき姉さん、何か食べたいものある?」
「そうね・・綿菓子、食べたいなっ!」
正男は、わたしの手を引っ張ると
綿菓子やさんの屋台に真っ直ぐに向かった。
「これください。」
できあがってビニールの袋に入っている綿菓子を指差すと
そこにいたおじさんが、わたしに話しかけた。
「おや、言葉使いが・・・このへんの人じゃないのかい?」
「はい。東京から遊びにきたんです。」
「おっ! それはそれは、ようこそだな。
だったら、お嬢ちゃん。 べっぴんさんだし、特別製を作ってやるよ。」
そう言うと、そのおじさんは・・・・。
丸い入れ物の中に、茶色と赤のかけらを投げ入れた。
「それ・・なんですか?」
ついつい尋ねるわたし。
「茶色いのはザラメ。
赤い方は、イチゴ飴を砕いたやつだよ。
グラニュー糖や白砂糖で代用してるやつもいるが
ありゃ、いけねえな。 昔から、綿菓子とぜんざいは、ザラメと決まってる!」
(うっ・・意味不明)
「味がまるきりちがうんだよ。」
なんだかわからないけれど、
これからできる綿菓子って、めっちゃ美味しそうな気がしてきた。
わたしたちは目を丸くして、おじさんの手元を見ている。
おじさんは、作りながら説明をしてくれた。
熱で融かされたザラメが液状になり
高速回転させられ、その液体が小さな穴から飛び出すようになっている。
その16
それが空気によって冷やされ、糸状になるんだそうだ。
いちご飴を入れることで、色はピンクに染まっていく。
「食紅でもいいんだが、それじゃ単に色がつくだけで味気ないからな!」
「すごい・・そういうもんなの?」
「ああ、そういうもんだよ・・・お嬢ちゃん。」
綿菓子のつくり方なんて、初めてきいた。
というか、こんなことを話してくれる人・・いままでいなかったし。
大きな割り箸に、ピンクの糸が巻き取られていく。
見たこともないほどの巨大な綿菓子が完成した。
「はいよ!」
おじさんが、その綿菓子をわたしに手渡した。
「どうもありがと。」
嬉しくなって、わたしは、にっこり笑った。
「次は、坊主のぶんだな。」
同じように大きなピンクの綿菓子が作られ正男の手に渡された。
わたしは嬉しくなって、またお礼を言った。
「ほんとにありがとう。」
「ああ・・おまつり、しっかり楽しんでいきなよ。」
(なんてアットホームなの!!)
この綿菓子のおかげで
わたしは、今まで行ったどのおまつりよりも、このおまつりのことを大好きになっていた。
ちなみに、値段は、ぶらさげてあるものと全く同じ。
(こんなんで、利益出るんだろうか)ひとごとながら心配になる。
お味のほう?
もう、あまくって、口の中でとろけて最高!
この、いちご綿菓子って、普通の綿菓子とは、全然味が違うの。
う~ん・・・なんて表現すればいいんだろ・・。食べてみないと、これは説明のしようがない。
まあ・・一言で言えば・・やっぱ最高。
次に向かったのはヨーヨー売りだった。
水が入ったボンボンなのだが・・
今までに一度も見たことがない不思議なヨーヨーだった。
その17
「ねえ・・このヨーヨー光ってるね。」
「うん・・・ピカピカだ。」
見かけは普通のヨーヨーと同じなのに、中から発光している。
特別な水が入れてあるんだろうか・・。色は赤や黄色や青、そして紫と、色とりどりだった。
わたしは、赤いヨーヨーを手に取った。
一個500円・・・うっ!
値段は、ちょっと高いけれども、あまりに珍しい。一瞬だけ迷って、正男にたずねた。
「ねえ・・このへんのおまつりって
いつも、こんな光るヨーヨーを売ってるの?」
「ううん・・これは、初めてみた。」
正男も驚いているみたいだった。(だったら買いねっ!)
「まさおくんも・・欲しい?」
「う・・うん・・・・ほしい!」
正男は、青いヨーヨーを選んだ。
綿菓子を食べながら色んな屋台を回るわたしたち。
綿菓子が口の中でとけて、あまい蜜にかわっていく。
おいしくて、思わず顔を見合わせたりするわたしたちだった。
(金魚すくいもしてみたいな)
そう思い、向かおうとするわたしの手を正男が引っ張った。
(うん?どこにつれていくの?)
なんと正男は、盆踊りの輪の中にわたしを連れて行こうとする。
みんな、輪になって踊っている。正男が、わたしに言った。
「せっかくの盆踊りなんだから、踊っていこうよ」
わたしは、一度も踊ったことはない。
だいたい、踊るなんて、恥ずかしい・・。それに・・踊り方なんて、まったくわからないし。
「わたし・・いいから・・・」
しり込みするわたに正男が言った。
その18
「大丈夫だよ。前の人を真似すればいいだけだから。
やってみると、楽しいから!」
「だって・・・」
「始めは、前の人を見てるだけでいいよ。 簡単だし、すぐ覚えられるから・・やろうよ」
(いやだって言ってるのに・・なんて強引)
ちょっとだけ、正男のことを嫌いになった。
かといって、ひとりで、ここを離れるわけにもいかない。
迷子になったら帰れなくなってしまうし・・(本日2度目の涙目)
仕方なく、わたしは、前の人を見ながら
見よう見まねで、踊り始めた。
生まれて始めての盆踊り。手の動きや、足の引き方などを、懸命に真似してみる。
(あれ?・・思ったより簡単だ)
5分もしないうちに
わたしは、踊りを全部覚えていた。
自然に、身体が動いてしまう。曲に合わせて動いているだけなのに・・(なんだか楽しい)
始めは恥ずかしいと思っていたのに
そんなこと、何も気にならなくなっていた。
ただ、輪になって踊っているだけなのに、なんで・・・こんなに楽しいんだろう・・・。
すぐ横で踊っている正男も楽しそうだ。
同じ振り付けで、ただ、同じように踊るだけなのだ。
それなのに・・どうして?
見るのとやるのは全然ちがうって言うけれど
やる前と今で、こんなにも、気持ちが変わってしまうなんて!
気がつくと、あっという間に3時間ほどが過ぎていた。
「楽しい?」正男が話しかける。
「うん・・楽しい!」わたしが答える。
「あと2曲で、本日の盆踊りは終了いたします。」
スピーカーからアナウンスが流れた。
(あと・・2曲・・・あと・・たったの2回でおしまいなの?)
その19
心が急に淋しくなる気がした。
もっと踊っていたいのにって・・心から思った。
最後の2回・・・わたしは、気持ちを込めて踊った。こうして・・わたしの始めての盆踊りは終わった。
「最後に金魚すくいして帰ろうか」
正男がわたしに言った。
「うんうん、それ、すごくしたかったの。」
二人で金魚すくいの屋台に向かった。
おじさんから、紙のついたすくいをもらって
わたしは、取りやすそうな金魚を探す。横でみていた正男が口を開いた。
「ねえ・・いい金魚ってわかる?」
「いい・・金魚?」
「うん・・いい金魚」
(いったい・・なんのこと?)
「金魚・・どれでも同じなのでは?」
「ううん、ちがうよ。」
「そんなこと言われても、ぜんぜんわからない。」
「尾っぽを見るんだ。
身体と同じくらい大きな尾っぽの金魚がいい金魚なんだ。」
「へえ・・そうなの?」
言われて金魚たちを見ると、確かに尾っぽの大きさが違う。
尾っぽが大きな金魚は、思ったより少なかった。
でも、確かに、何匹かはいる。
その大きな尾っぽの金魚をじっと見ているとすごく可愛く見え始めてきた。
「ほんとだ・・この金魚・・かわいいね。」
「でしょ!!」
正男が嬉しそうに相槌を打った。
わたしは、ひときわ尾っぽの大きな金魚を見つけ出した。
「よし、これ、狙うわよ。」
「うんうん、頑張れ!!!」
「まかせなさい。」
楽しく正男と言葉のやりとりをしているときだった。
「おっ・・おっぱ い、見えてるじゃん!」
正面から、声が聞こえた。
思わず顔を上げると、そこには高校生くらいの学生が3人。
その20
髪を明るい茶髪に染めて、にやにやと笑っている。
(感じわるい・・)
前かがみになりすぎたせいか
浴衣の前がはだけて、胸が見えてしまっていたらしい。
わたしは、すぐに胸元を押さえ、彼らをきっと睨んだ。
「減るもんじゃないし、隠すなよ!!」
(最低・・なんてひとたち!)
楽しかったはずの金魚すくいが、台無しになった。
「あき姉さん・・行こう。」
正男が、わたしの手を引いて立たせる。
わたしも、すぐに正男に従った。
「おい・・待てよ」
後ろから声が聞こえる。
振り切るように、わたしと正男は足を速めた。
盆踊りも終わり、だんだん灯りがきえていく。店じまいをする屋台も増え始めた。
楽しいおまつりだっただけに、最後は、ちょっと残念だった。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「うん、帰ろう。」
時計は10時を回っている。
おまつりの会場を離れると辺りは真っ暗だった。
正男が、懐中電灯の明かりをともした。目の前だけが、ぱっと明るくなった。
カン・・コン・・カン
くるとき以上に下駄の音だけが高く響く。
「それにしても・・あの金魚、取りたかったなあ」
「うんうん・・・変な奴さえ来なければ取れたのにね。」
金魚すくいは、もともと下手なので
取れたかどうかは、わからないが
それでも、一度も挑戦しないまま、あの場を去ったのだ。
(ほんとに・・もう)
悔しい思いで胸がいっぱいになった。
会場を出て5分ほど、歩いたときだった。
――キキーッ!
鋭いブレーキの音とともに
わたしたちの目の前に、3台の自転車が回り込むように止められた。