少し前、実家行ってモヤモヤ〜
しかも両親ともに対して。
しかも以前向き合って終わっているはず(と思いたい)なのに〜💦
真剣に向き合う時だ、と決意して思ってること感じていることを書き出します。
父に対しては、行く度に次男の様子はどうだ、元気か、と聞きます。
するとモヤモヤ発生〜😣
知らないよ、もう大人なんだし、一々連絡来ないし。→便りのないのはいい便り。いつまでも子どもじゃないんだから。
私に聞かずに、直接聞いたら⁈→父と息子の間に入りたくない。イライラ〜
もっと自分の楽しみを見つけてイキイキしてほしい→多趣味だった父が、孫生き甲斐は淋しい〜
総じて自分の優しさ【愛】の欠如に傷つく私…
そして色々あった次男だけど、今は何とか1人で社会人がんばっているんだから、
昔の手を焼いた頃の思い出にもう浸らなくていいんじゃない?(父はかなり次男のやらかしにあちこち頭下げたり、付き合ったりしていました。だからこそ可愛いのだそう)
と思った瞬間、先日夫と次男のやらかし話で盛り上がっていた自分を発見😅
次男のやらかしは、夫と私の短所と思われる所を見せてくれていたよね、と。
やっぱり同じく手を焼いただけに可愛いんだよねー、と思う私。
それを今まで素直に認められなかった私。
結局昔話に浸っている父の姿は私でしたー😅
私はあなた、あなたは私
そんな私をゆるします✨
モヤモヤの霧がひとつ晴れ渡る☀️⭕️
母に対しては、友人たちも高齢なため病気や体調不良の人が多し。
「◯◯さんはこんな病気で気の毒だ、だから私が訪ねて行って〜してあげるんだ」
というのを聞くのが苦しい私。
同情するの、どうかなぁ。意味があって病気になるのだし。
気の毒な友人に「私が〜してあげる」が上から目線ぽいなぁ…
などと書き出しているうちに、ジャッジしていることが苦しいことに氣づきました。
でも人を訪ねて話をしに行くのは、結局母が癒されて元気もらっている。(母は気づいているか分からないけど)
私も『おしゃべりハッピーサロン』で話して癒して、と同じことしてるし。
気の毒がるしか母は表現のしようがないけれど、もしかしたら励ましたいのかもしれない、と受け取り方を変えたら
さらにもう一つのモヤモヤの霧が晴れました☀️
すると2人に会いたくなりました☺️
いつものパターン(実家に行っておしゃべり)はやめて、外にランチを誘ってみよう💕
たまたま先日母の友人の娘さんを励ますためにお茶した飲茶のお店。
広くてゆったりしていて仕切りがあって寛げます。
飲茶メニューがいっぱいあって、飲茶だけあって、一品が小ぶりで色々味わえます。
あまり食べられない高齢者にピッタリ⭕️❗️
連れて行くと思ったとおり、大喜びの2人。
「小ぶりだし、家で食べられない料理だし美味しいわねー」
私の意識が変わったせいか、なんと父が
「大地(次男)にメールしたら元気でやってるそうだぞ。今度上京したら家に寄ります、って言ってたぞ!」
ワオ!父から次男の情報ゲット。立場逆転しました。父は嬉しそう😃
しかも私から父に最近どう?と聞くと、何やら楽しい出来事が色々聞けて、私の方から父に意識を向ければ良かったことに氣づきました✨
母は友人の気の毒な話ではなく、私が少し水を向けたせいもあって、
「友人が骨折して入院したことは、悪い面ばかりではなくて看病している娘さんも看護疲れから解放されるし、お互い少し離れるいい機会ね」
中庸な目線になっている〜✨👀
母は、「こんないいお店教えてくれて、今度お父さんと2人で食べに行くわ」
とのこと。
今どきのロボット給仕だったり、メニューはタッチパネルだったりするのでレジで、
「両親がここのお店をとても気に入ったようです。でも高齢なために今どきの対応はできないので、お手伝い願えますか?」
と聞いたら
「もちろんです!そんなお客様いっぱいおられます!」とのこと☺️
それを聞いて両親もホッと笑顔になりました☺️
自我の不完全をゆるして、ゆるんで、内側の意識が晴れ渡ると、目の前の現実が晴れ渡りますね〜☀️
やっぱり大好きな餃子をオーダー🥟
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