ここ数日、とても良い天気です☀️
いつも庭を眺めて、いつかやらねば…
ずーっと氣になっていた我が家の庭。
夏が暑すぎて手入れをせずに放ったらかし😓
紫蘇が終わって抜いてそのままにしていたら雑草が生え放題。
猫の額の庭と思っていたけど、意外に額は広かった😓
めんどくさい〜💦
夫は芝生と木の係と勝手に決めていたけれど、
夫に相談&提案&お願い
「土の部分の雑草と根っこ取り、一緒にやってもらえたら嬉しいなぁ」
夫は快諾してくれて、一緒に作業。
何だかとっても心も身体も軽くラクになりました✨☺️
30年近く住んでいますが、住む前から庭に植っていた木、ムクゲ。
毎年剪定していて、でもどんどん大きくなって枝が混んできて、夫から相談されました。
「この木、どうする?幹が太くなってきてこれ以上大きくなると自分たちではどうにもならないかも」
剪定は夫任せで、これから先のこと考えると、あまり手のかからない方が良いなぁ。
2人で相談して、切ることにしました。
切ってから、ムクゲさんに相談しなかったことにモヤモヤ〜罪悪感が湧いてきて
「どうしよう❗️ごめんなさい🙏」
切った枝、残った切り株に愛の光を送りました✨☀️❤️
何とも落ち着かない感情が湧いてきたので、丁寧に視るときだと思い、作業を終わらせて内観しました。
罪悪感に対しては、ゆるしの法則に訴えて、
私を許しました。
でもまだ何か引っ掛かりがあります。
ムクゲは芙蓉の花に似て、夏は白い花を咲かせて楽しませてくれました。
この家に住んでからずーっと花を咲かせてくれていたのに、あまり思い入れがない自分にハッとしました。
愛が足らない自分に対して、傷ついた、というのでしょうか。
愛をもって接していなかった私。
ムクゲさんにごめんなさいと謝りました。
するとハテ?と思いました。
愛を持たないといけないと自分をジャッジしていたことに氣づいたのです。
よく考えたら、住んだらそこに元々あったもの。
好き嫌い関係なく、家に木がもれなくついていただけ。
そこに自分の思いグセがあったことに氣づきました。
『あるものに合わせること』
その状況やルールに自分を合わせるクセ。
そういうことだったのか〜
やっとスッキリしました✨
なんせ、その木を手放したら、スッキリしたのです。
でもスッキリしたと思ってはいけない、という思いが発動したことが分かりました。
今まで一緒にいたのに薄情な私、と。
でもこれ、情じゃないの?
別に嫌ではないし元々あるものだから仕方ないまぁいいか、と無意識に我慢していたのです。
私の意向に関係なく、親の良かれでこうあるべきを受け入れてきた親との関わりに通じるものを感じました。
今その根っこを掘り出し、ジメジメして日の当たらずに固くなった地面を掘り起こして、地下茎でどんどん増えていく雑草を抜いて手を入れて、フカフカにやわらかくしています。
日の光が当たっています☀️
ここの地面にこんなに深く触ったことなかったなあ。
これはまさに私の内側の奥底。
切り株は、今のところびくともせず、自力ではどうにもなりそうにありませんが、根っこを少しずつ切って、アイアムの光を送り、完璧なタイミングで手放します、と意図します。
お陰様で木があったところの視界が広がり、清々しいです✨
通りがかったご近所さんが
「思い切って切りましたね!スッキリして良いですね」
これは私の心の声だなぁと思いました。
庭は私の内側と連動しています。
仕事をしていた頃、庭は父任せ。(結婚しても親がかり→親の価値観に縛られていました)
仕事を辞めてからは私が庭仕事をやることにしましたが、私が勝手に決めて苗や種を植えていました。
(夫との調和→真我と自我の調和なし)
これからは夫と2人で意見を出し合って、決めたり作業したり『調和』していこう✨と思いました☺️
焦らず楽しみながら、新たな庭づくりに取り組んでいきます〜✨🩷
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