先日京都、奈良、大阪に行ってきました。
大阪では劇団四季『ウィキッド』を観に行き、
京都では師匠からエンライトメント・セッションをリアルで受けました。
いつもはオンラインなので、直に対面で愛の光エネルギー放射を受けられる幸せ。
あまり普段は水分を摂らない私ですが、この日は朝から喉が渇き、
セッション中3杯も水やお茶を頂きました。
エネルギーがぐるんぐるん巡ります。
知らず知らずのうちに自我寄りになってしまうところを指摘して頂きました。
それはどんなことかと言いますと、どうしても目の前の人に寄り添ってしまう私。
3次元の世界ではそれで上手くいってました。
例えば公務員時代、市民に寄り添い、上司の言うことを聞く。
普段でも夫や人の意見を優先する。(逆も然りで、夫や子どもには私の言うことを聞かせていた。)
つい人にいい顔してしまい、頼まれるとNOと言えない。
単なる意見でも「私はそうは思わない」と言えない。
「そうだよね〜」
以前ブログで書いたとおり、
がっかりさせたくない、
頼りにならない人と思われたくない、
ひいては価値のない人と思われたくない
という怖れがあることがわかり、
だいぶ自分と向き合って怖れを癒し、光のお志事をしたり、日常を過ごすことができるようになっています。
けれども、ふとした瞬間(無意識)に人に合わせてしまう私がいます。
それはなぜか。
幼い頃を振り返ると、親の言うことを聞かないとひたすら怒られる。
言うこと聞くまでずっと不機嫌な親。
だったら親の言うことを聞いていた方がラク。
わざわざ反抗したり、自分の意見を言って場を変な空気にしなくていいや、
めんどくさい。
と自分を引っ込め、我慢するのが当たり前になっている。
そのうち無意識になり我慢している認識もない。
私は両親が喧嘩したところを見たことがありませんでした。
それは仲が良かったのではなく、なるべく子どもには喧嘩する姿を見せたくないという思いがあり、
言い合う姿を見ることがなかったので、喧嘩をして仲直りするのを目の前で見たことがありませんでした。
実は夫と付き合っていた時、私は結婚したいな、と思っていたのですが、
なかなか夫から結婚の『け』の字が出てこない。
業を煮やして「私と結婚する気はないの?」と聞いたところ
「まだ喧嘩していないから、結婚して喧嘩別れするの嫌だから」
とのこと。
これは断りの言葉なのか?と思いましたが、本気でそう思っていたとのこと。
言い合う=喧嘩=悪と捉えていて、なかなか感情をぶつけ合う喧嘩ができずにいました。
師匠の剛さん、みいこさんはよくレッスンやセミナー中で言い合いをします。
なんとも言えない空気が流れることがあります。
私にとっては、こんな風に言い合っていいんだ!と目から鱗。
とことん腹を割って言いたいことを言い合う。
お互いが納得する着地点を見出す。
そしてにっこり笑って仲直り。
(喧嘩=仲が悪いわけではありません❤️)
そのプロセスこそが愛。
ご指導頂きありがとうございました✨🥰
実はこれが自分の内側でなされないといけないことなのです。
自我の声と真我の声をとことん聞き合う。
お互いを認め合いながら真我に沿っていく私になる。
ただいま日々練習中です。
そこに自我の特徴である「めんどくさい」が発動すると、無意識に
「相手の言うこと聞けばいいや」
になってしまうのです。
思い起こすとそんなパターンで来ていたなあ、と思うことしきり。
🌟目の前の人から何か言われたら即答しない。
🌟ひと呼吸おくこと。
🌟自分の中でしっかり対話すること
を日々心がけます。
自我は情。
今年のテーマは情から愛へ。
情でいると感情が揺れるのでブレます。
ブレても、ブレていることに気づける私になる。
真ん中に戻れる私になる。
いつでも✨真ん中✨今ここ✨0ポイント
天之御中主神✨
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