情から愛へは今年の大きなテーマです。
強く感じる情はやはり身近な家族、親です。
先日母と話していて感じたことがありました。
とあることで母が私に
夫に対してこうしなさい、と言ったのです。
そこにモヤモヤを覚えました。
内観していくと
夫を教育するのは妻であり
妻=娘である私にそうしなさいと促している
→優しく言っているのですが命令のように感じました。
そうすることが社会一般の常識であり、
しないと後悔することになるという脅しのよう。
もちろん良かれの情で言ってくれているのですが、その根底にあるのは『怖れ』。
言葉に怖れの言の葉が乗っていて、脅される感じがして「そうしなければ」と行動せざるを得なくなる。
行動を規制されて不自由さ、息苦しさ、怖れを感じるのです。
それがモヤモヤの元でした。
実はすでにそのことについて夫に言ってみたことがあるのです。すると
「そういう風に言われたくない、自分のことは自分で決める」
確かにそのとおり。
そもそも夫はわかっていないという思い込みがあることにも氣づき大反省。
私のしたことは以前ブログで書いた『圧』=コントロールなのです。
こうして母が見せてくれたというのは
情を手放せていますか?
愛になっていますか?
のお試しです。
情は怖れをベースにした条件付きの愛です。
母には
アドバイスのお礼と以前の経緯を伝えて
「それぞれどうするかは自分で決めるね」
と話すとあっさりわかってくれました。
同じようなことを家族にしていた自分の言動を振り返ると、あるあるすぎて凹み気味😓
後悔の念に傾いたので、そんな私に寄り添って
その時は真我を知らなかったし、そうするより他に仕方なかったよね、と許しました。
そして何かや誰かを心配することが愛情だと思っていた節があったことにも氣づきました。
さらにその心配事を私が取り除いてあげないと、って。(それは自分が安心するためなんですよね)
続いてさらに遡り、学生時代を思い出しました。
ボランティア活動をしていたのですが
よくモヤモヤしていました。
困っている人を手助けしなければ、と
人の役に立とうと躍起になっていたあの頃。
困っている=気の毒な人とみなして
安全な場所にいて上から目線で『してあげている』的な感じ。
その違和感がどうしても拭えませんでした。
魂の学びから自分と向き合ってきて分かりました。
誰かをなんとか【自分の思い通りに】したい、
これが傲慢であり圧なのです。
真我を知らないから、いつも不安で誰かをコントロールしたり、されたりしていました。
コントロールすべきは外側の誰かや何かではなく、自分の自我(思考と感情)
安心や安全は
外側(お金や人、宗教など)にはなくて
内側(真我)にしかありません。
私たちの奥にある
真我の愛の光💖お天道様☀️アイアム⭕️
そこと繋がれば心配【怖れ】はなくなり信頼【愛】になる✨
『情けは人の為ならず』まさに、です。
でも情は人を繋ぐ潤滑油。
愛で情を使いこなして
光の私たちの意識で
愛と調和と平安の世界を創造します✨
七夕🎋願いは叶います⭕️
ワクワク過ごします🥰
先日訪れた『高尾駒木野庭園』にて、ちょうど七夕前で短冊が用意されていました🎋
これからは自我(偽我)世界は崩れていきます。
いかに真我=愛に目醒めて揺るぎない私なっていくかが鍵となります🔑
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